第110話:絶域の断罪
「……アドル、ミーシャ。あんたたちがこれから直面する『本物の絶望』を、一足先に味わわせてあげるわ」
リーネが指先で空を裂くと、紫色の不気味な亀裂が走った。そこから漏れ出す魔圧を一度その手で抑え込み、彼女は二人を小屋の裏手へと促した。
「っとその前に、あんたたちに不足しているものを補っておきましょうか。ついてきなさい」
重厚な石扉の先。
そこは数千年の時が積み上げた、伝説級素材の「ゴミ捨て場」だった。
オリハルコンの塊、龍の逆鱗、星の欠片……王都の国宝級すら霞む希少素材が、文字通り山のように、そして無造作に放り出されていた。
「ひどい惨状ね。整理なんて何千年もしていないわ。そこにあるものは全部、世界の錬金の過程で出た端材や実験の残りよ。あんたたちの基準なら役に立つかしら?」
「これ……全部、端材なのか? 一つだけで城が建つレベルの素材だぞ」
アドルの驚愕を他所に、ミーシャの瞳が宝石のように輝く。
彼女はその山の前に立つと、異空間ストレージの扉を大きく解き放った。
「リーネ師匠、本当に全部いただいてもいいんですね?」
「ええ、掃除する手間が省けるわ。遠慮しなくていいわよ」
ミーシャの合図と共に、数多の伝説級素材が吸い込まれていく。山が消え、久方ぶりに床が見え始めた頃、リーネはアドルに向き直った。
「さて、素材も揃ったところで、最後のアドバイスよ。アドル、あんた……剣に囚われすぎじゃないかしら? 」
アドルは腰の剣に手を置く。
あの時、ガラハドに技術以前の何かを見透かされたような感覚が蘇る。
「剣は基本だと思っているが……」
「あんたは剣士じゃない、錬金術師なんだから。瞬きの錬金術を手に入れた今のあんたなら、もっと自由になれるはずよ。最初は剣でも、その剣を素材に斧へ、槍へ、あるいは盾へ……。戦場そのものを工房だと思って、形状を変化させながら戦いなさい。相手が剣を防ごうとした瞬間に、それを別の武器へ変異させる。それができるのは、世界であんた一人だけよ」
◇
再び白い空間に戻ると、リーネが右手をかざした。
「さぁ、最後の卒業試験よ、討伐して見せなさい」
先ほどの紫色の亀裂が爆ぜるように広がり、中からどす黒く粘り気のある魔圧が溢れ出した。
「魔王級の魔族」の残滓。
実体を持たぬそれは、ただ存在しているだけで周囲の理を食い荒らしていくエラーの権化だった。
「ギガァァァァッ!!」
魔族の咆哮と共に、空間が凍り付くような殺気が吹き荒れた。アドルとミーシャは同時に飛び出すが、あまりの圧力に肺が潰されそうな錯覚に陥る。
魔族の巨大な鉤爪がアドルを襲う。
アドルは瞬時に「瞬きの錬金」を発動。
手にした剣を解体し、大盾へと再構築して防ぐが、衝撃で腕の骨がきしみ、地面が大きく陥没した。
「くっ……重すぎる……!」
「アドルさん、援護します!」
ミーシャが叫ぶ。
彼女は右腕一本で二重螺旋を維持し、空いた左手で異空間から素材を放出した。
「二重螺旋……フレイムサイクロン!」
一本の腕から放たれたとは思えない高密度の魔力が魔族の顔面で爆発する。
だが、魔族はひるむどころか、さらにスピードを増してアドルへと迫った。
「形に囚われるな、か……!」
アドルは盾を即座に霧散させ、鎖へと変えて魔族の腕を絡めとる。
しかし、魔族は力任せにそれを引きちぎり、アドルを吹き飛ばした。
「アドルさん!魔族もどき相手なら……試してみたい魔法があるの!時間を稼いでくれる?」
「了解だ!ミーシャっ、よし魔族め、こっちだ!ミーシャどのくらい時間を稼げばいいんだ!?」
「 詠唱開始! ……、アドルさんっ!詠唱には5分かかるわ!」
(相手が魔族の残滓なら……これが使えるはず……ドラン様ありがとう)
アドルは立ち上がり、リーネの倉庫から得た星の欠片を握りしめた。
これまでの修行で培った「瞬きの錬金」が火を吹く。剣から槍、槍から大斧、大斧から再び剣へ。一撃ごとに武器の形状を「上書き」し、魔族の防御をすり抜けて傷を刻んでいく。伝説級素材による想像錬金は、アドルが望む「成功」を次々と引き寄せていた。
しかし、魔族の攻撃は苛烈を極める。
アドルの肩、脇腹、脚が深く切り裂かれ、鮮血が舞う。
「まだだ……! まだ倒れるわけにはいかない!」
「……母なる大地の底に眠る不浄よ、光の審判を持って無へと帰せ……!」
背後でミーシャが、苦悶に満ちた表情で詠唱を続けていた。
ミーシャの両手が限界を超えて膨張し、周囲の空間がひび割れる。
絶域の断罪。
魔族に特化したその術式は、膨大な時間を要する代わりに、全てを無に帰す。
魔族がミーシャの膨大な魔力に気づき、ターゲットを彼女に変える。
アドルはボロボロの体でその射線に割り込んだ。
「通さないと言ってるんだ……!」
アドルは所有する全ての隕鉄を解体し、自分とミーシャを囲む巨大なドーム状の多層防壁を瞬時に練り上げた。
魔族の猛攻が防壁を叩き割り、アドルの口から血が溢れる。五分という永遠にも等しい時間が、二人を削っていく。
「今よ、アドルさん……! どいて!」
光が、全てを飲み込んだ。
「消えなさい! エラーの化身!! 絶域の断罪!!」
ミーシャの右腕から放たれた黄金の奔流が、空間を真っ白に塗りつぶした。
魔王級の残滓は、抗う術もなくその光に溶け、細胞一つ残さず完全に消滅した。
静寂が戻った白い空間で、アドルとミーシャはその場に力なく崩れ落ちた。ミーシャの魔力は完全に空になり、アドルもまた、精神の限界で意識を保つのがやっとだった。
「……合格よ。文句なしの出来ね。二人とも、化け物じみた強さになったわね」
リーネが拍手を送りながら近づいてくる。
二人の体は傷だらけだったが、その瞳には、もはや迷いはなかった。
◇
「約束通り、リュステリアの近くまで送ってあげるわ。でも、その前に……あんたたち、王都に寄っていくんでしょう?」
リーネが指先で光の門を描き出す。
その門を抜けると、そこは王都・外郭の森だった。
二人はまず、ガラハドとマリアの元を訪れた。
「……おいおい、どこの化け物かと思えば、アドルじゃないか。その気配……一体何を食えばそうなる。剣のセンスは相変わらずなさそうだが、存在そのものが別の何かに変質してやがるな」
成長したアドルの気配を察したガラハドが、驚愕と共に不敵な笑みを浮かべる。
アドルは「地獄を見てきた」と短く答え、マリアに向き直った。
「マリアさん、急な出発ですまない。リュステリアに戻ったら、必ず手紙を出す。……もし何かあれば、すぐに連絡をくれ。俺も、ミーシャも、今の自分たちの力なら助けになれるはずだ」
「アドル様、ミーシャ様……。お手紙、楽しみに待っていますね。どうか、お気をつけて。お二人のご無事を祈っています」
マリアは寂しげながらも、頼もしくなった二人の姿に安心したように微笑んだ。
王都を後にした二人の前に、リーネが最後の手をかざした。
◇
そうして二人は再度禁忌の森へ戻った。
「じゃあ、リュステリアの門の前まで送ってあげるわ。次に戻ってくる時は、自分の足で来なさい。……達者でね、アドル、ミーシャ、あなた達がこれから何を成し遂げるか楽しみに遠くから見ているわ」
まばゆい光が二人を包み込む。リーネの権能による座標の「再配置」。
目を開けた時、そこには懐かしい、だが以前よりもどこか不穏な空気が漂うリュステリアの門が立っていた。衛兵たちの視線もどこか刺々しく、街全体を薄暗い雲が覆っている。
「帰ってきたわね、アドルさん」
「ああ。……さあ、俺たちの屋敷へ帰ろう」
第三幕 王都編〜完〜




