第109話:加速する錬金
鍛冶の修行で極限まで削ぎ落とされたアドルの感覚は、続く三週間の詰め込み修行によって、さらに人間離れした領域へと引き上げられていった。
薬草をすり潰す音、木材を削る刃の感触、食材を捌く包丁の重み。
それら全てが、もはや作業ではなく反射へと置き換わっていく。
リーネは一切の容赦なく、アドルが少しでも動きを緩めれば、その幼い外見からは想像もできない鋭い言葉と魔圧で彼を追い詰めた。
「遅いわ、アドル。思考を挟む隙間があるから、手が止まるのよ。あんたの脳は『何を作るか』を決めるだけ。あとは体が勝手に『完成品』を異空間から引き摺り出す。それが、あんたが目指す瞬きの錬金術でしょう?」
アドルの指先は、絶え間ない作業で感覚を失いかけていた。
だが、皮肉にもその麻痺が、余計な雑念を消し去っていく。
薬草を調合しながら、同時に次に削る木材の木目を見極め、釜で煮える料理の火加減を察知する。
複数の工程が、アドルの脳内で一つの巨大な奔流となり、それを超高速で処理し続けることで、彼の周囲には「完成品」が次々と積み上がっていった。
◇
アドルが生産の地獄に身を投じる一方、ミーシャは血を吐くような実戦の地獄の中にいた。
目の前には、かつて「聖騎士」と呼ばれた転生者の幻影が立っている。生気のない瞳からは、底知れないプレッシャーが放たれ、ミーシャの肌をチリチリと焼く。
「……っ、やるわよ!」
ミーシャは右腕を突き出し、魔力を練り上げる。狙うは、一本の腕で編み出す片手二重螺旋詠唱。
一人での反復練習なら、すでにその萌芽は掴んでいた。だが、いざ敵が目の前に立ち、その殺気が視界を覆った途端、右腕の中の魔力が暴走し始める。
右手の中で反発し合う二つの力が、制御を失って自身の神経を内側から焼き、激痛がミーシャを襲う。
「一人での練習ならできるのに……っ! なんで、相手がいると……!」
ミーシャの焦燥をあざ笑うかのように、幻影の聖騎士が踏み込んできた。
白銀の剣が鋭く空気を切り裂く。
死の恐怖が心臓を強く打ち鳴らす。
その鼓動の一つ一つが、螺旋を紡ぐためのリズムを乱していく。
何日、何十回と繰り返される敗北。
倒すことすら叶わず、ただ逃げ惑い、痛みに耐え、己の無力さを突きつけられる日々が過ぎていった。
だが、修行開始から一ヶ月半が過ぎたある日、変化が訪れる。
聖騎士の無慈悲な一撃がミーシャの脇腹を裂こうとした瞬間、彼女の脳裏に昨夜のアドルの温もりが蘇った。
守りたい。
隣にいたい。
その純粋な渇望が、激痛によるノイズを一本の「芯」へと変えた。
「逃げない……もう、絶対に!」
右腕に走る灼熱を、逃がさず、むしろその熱を螺旋の回転エネルギーへと転換する。
無理に制御するのではなく、暴走する魔力の流れに身を任せ、その中心に自分という意識を置く。
パチン、と空間が爆ぜるような音が響いた。
右手の先に、小規模ながらも完璧な黄金の螺旋が描き出される。
聖騎士の剣が届くよりも早く、ミーシャの放った高密度の魔力弾が、幻影の胸当てを真っ向から貫いた。
ドォォォォン!
衝撃波が白い空間を揺らし、初めて聖騎士の幻影が大きく後退した。
胸に刻まれた深い亀裂。
ミーシャは荒い息を吐きながら、震える右拳を握りしめた。
「……一撃。入れたわ……っ」
「ふふ、やっと『芸出し』を卒業したかしらね」
いつの間にか背後に立っていたリーネが、くすくすと笑いながら二人を見下ろしていた。
「でも、二ヶ月では、どうにも終わりそうにないわね。あんたたち、修行が終わった後の時間制限はあるの?」
アドルは生産作業を止めることなく、辛うじて答えた。
「……出来れば、一ヶ月後には、リュステリアに到着していたい」
「一ヶ月後ね。ここから王都に戻って、さらにリュステリアまで移動する時間を考えると、修行に割けるのはあと数週間といったところかしら」
リーネは顎に手を当てて考え込む。その瞳の奥には、管理者の冷徹な計算が光っていた。
「……いいわ。帰りの移動に時間をかけるのは無駄ね。もし、ここからリュステリアの近くまで一日で帰れたら、ギリギリまで修行ができるわよね?」
「一日で……? そんなことが可能なのか?」
「私なら、何かしらいい方法を思いつくわよ。禁忌の森の奇跡、忘れたわけじゃないでしょう? ちょっと考えておくから、あんたたちはその間に、少しでもマシな成果を上げなさい」
リーネはそこで言葉を切り、どこか遠く……自分たちが今いる「白い空間」の外側へと視線を向けた。
「……ちょうど、あちら側の『準備』も整いそうだしね」
「準備……?」




