第107話:瞬きの錬金と、誓いの夜
「さて、アドル。あなたの修行は、極めて基礎的なものになるわ。自分で言っていた弱点を克服する修行よ」
真っ白な空間の中、リーネは鞭を弄びながら淡々と告げた。アドルはその言葉を反芻するように眉を寄せる。
「弱点を克服……。具体的には、どういう意味だ?」
「即応能力の不足。あんたはそう言っていたわね。つまり、想像錬金にしろ複製錬金にしろ、錬金時間が長すぎて実戦では使い物にならない。なら、その時間をほぼゼロにしてしまえばいい。単純な理屈でしょう?」
「理屈はわかる。だが、そんなことが可能なのか?」
「可能にするのよ。複製錬金は、手順を極限まで省略し、即応型へ昇華させる。そして想像錬金……これについては、ミーシャが近くにいることが前提になるわね。錬金、失敗、解体、そして再錬金。この試行錯誤の工程をミーシャの異空間の中で究極にまで圧縮するのよ。そうすれば、傍から見ればあんたが手をかざした数秒後には、何十回もの失敗の末に引き当てた『成功品』が完成しているように見える。上振れの確率だって、試行回数が増えれば当然高くなるわ」
アドルの脳裏に、その光景が鮮明に浮かんだ。
もしそれが実現すれば、戦場の常識が根底から覆る。
「なるほどな……。具体的には、何をすればいい」
「飲み込みが早いのはいいことね。やることは単純よ。鍛冶、木工、錬金、料理……あんたがよく使う基本技術を、今日から毎日、実技でこなしてもらうわ。これは錬金術じゃない、ただの作業よ。明日、王都から一流の鍛冶師を連れてくるから、一日中叩き続けなさい。条件は一つだけ。製造工程を昨日より一秒でも早くすること。品質なんて二の次よ。スピードこそが、あんたの筋肉と魂に即応の回路を刻み込む唯一の手段なんだから」
リーネはそこで言葉を切り、意地悪な笑みを浮かべた。
「職人は明日来るわ。今日はもう休みなさい。わかったわね?」
「……ああ、わかった」
◇
その夜、修行場の端でアドルとミーシャは寄り添うように座っていた。どこまでも続く白の世界は、まるで自分たち二人以外、この宇宙から消えてしまったかのような孤独を突きつけてくる。
「ミーシャ……そっちは、どうだった?」
アドルが声をかけると、ミーシャは静かに首を振った。
「また、基礎の繰り返しよ。でも……リーネ師匠の言う通り、私の魔法はまだ『形』に囚われすぎているのかも」
アドルはミーシャの横顔を見つめた。
異世界に来てから、いくつもの死線を共に越えてきた。
かつて現代日本で画面越しの文字だけでやり取りしていた頃の彼女は、どこか遠い世界の幻のようだったが、今の彼女は、その肌の温もりも、微かな呼吸の音も、全てがアドルの生きる理由そのものになっていた。
「アドル……こうして、誰にも邪魔されずに話すの、なんだか久しぶりね」
ミーシャがそっと、アドルの手の上に自分の手を重ねた。指先が微かに震えている。
「私ね、たまに怖くなるの。もし、あの武道大会の時に、あなたが本当に死んでしまっていたらって。あの時、あなたの体が動かなくなったのを見て、私の心も一緒に死んだような気がした。……世界なんてどうでもいい、自分だってどうなってもいい。ただ、あなたを失うことだけが、耐えられなかった」
アドルは何も言わず、重ねられた手を握り返した。彼の中にも、同じ痛みが刻まれている。
ミーシャが傷つき、その足が折れた瞬間の絶望。
自分が自分ではなくなり、ただの破壊の衝動に塗りつぶされそうになったあの時の恐怖。
「そこで、はっきり気づいちゃったの。私、あなたが大好き。……ううん、愛してる。アドル、あなたがいない世界なんて、私には何の価値もないわ」
ミーシャの瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
それは、極限の状態で見つけた、あまりにも純粋で重い本心だった。
「……ミーシャ。俺も、同じだ」
アドルは、溢れ出す愛おしさに耐えきれず、彼女を強く抱き寄せた。華奢な肩が、自分の腕の中で震えている。
「すまなかった。俺が不甲斐ないばかりに、何度も怖い思いをさせて。……俺も、ミーシャが大好きだ。この命に代えても、ミーシャを、ミーシャとの日々を守り抜きたい」
二人の唇が、吸い寄せられるように重なった。
最初は、震える心を確かめ合うような、微かな触れ合い。
だが、それはすぐに互いの魂を貪り合うような、深く、情熱的な口づけへと変わっていった。
異世界という残酷な檻の中で、唯一確かな「真実」を刻み込むように。その夜、二人は真っ白な世界の中心で、互いの全てを捧げ合い、一つに結ばれた。
◇
熱を帯びた夜の余韻の中で、ミーシャはアドルの腕の中で眠そうな、それでいて満足げな声を漏らした。
「ねぇ、アドル……。この世界ではね、一夫多妻制も認められているらしいわよ」
アドルの鼓動が一瞬跳ねた。胸元にある彼女の髪を撫でながら、問い返す。
「……何を、急に」
「ふふ、わかってるでしょ? カミラのこと。あの子、あなたのこと、本当の主君以上に慕ってるわ。……ううん、一人の男性として、ずっと見つめてる」
アドルの脳裏に、屋敷を守り抜き、ボロボロになりながらも毅然と立っていたカミラの姿が浮かぶ。彼女への愛着を、アドルもまた否定できなかった。
「私ね、それでもいいと思ってるの。今回のことでわかったわ。あなたは、私を愛しているのと同じくらい、カミラやルル……あの家族を大切に思ってる。……もう、私たちは切り離せない一つの家族なんだって。だから、彼女がもし望むなら、彼女のことも幸せにしてあげてほしい。……でもね、私を一番にすることだけは、絶対に忘れないで。約束よ?」
ミーシャは少しだけ悪戯っぽく、それでいて切実な瞳でアドルを見上げた。
「もし、私を放っておいたら……毎日やけ酒を飲んで、あなたの枕元で管を巻いてやるんだから」
「……はは、それは勘弁してくれ。俺は、ミーシャが笑っていてくれることが一番の力になるんだから」
アドルは彼女をもう一度強く抱きしめ、額に誓いのキスを落とした。
二ヶ月。
この地獄のような修行の先に何が待っているのかはわからない。だが、この温もりを守り抜くためなら、神の定めた理だろうと、世界の劣化だろうと、全てをこの手で「複製」し、上書きしてやると心に決めた。
夜の静寂が、深く、優しく二人を包み込んでいった。




