第100話:凍れる心臓
ギルバートの吐き捨てた言葉が、冷たい風のように屋敷の廊下を吹き抜けていた。
カミラは震える足に鞭を打ち、真っ先に隣町の商人モルガンの元へと駆け込んだ。
「お願いモルガン、金貨二百枚……今すぐ用意できないかしら。どんな条件でも飲むわ」
カウンターを叩き、息を切らして訴えるカミラに、モルガンは苦渋に満ちた表情で首を振った。
「カミラさん、無茶を言わないでください。二百枚なんて、今のうちの店をひっくり返してもすぐには出せません。これまでの売上と、今かき集められる現金を合わせても……出せて金貨二十枚が限界です」
二十枚。あまりに遠い数字に、カミラの視界がぐらりと揺れた。
【目標:金貨200枚 / 手元:20枚(残り:180枚)】
「……なら、これを買って。屋敷の地下にある、アドルさんのマナバッテリーよ。あれなら、価値はわかるでしょ」
「正気ですか!? あれを外せば、屋敷の魔力供給は完全に止まる。照明も、温度管理も、防犯結界もすべて消えるんですよ。これから冬に向かうっていうのに、生活が立ち行かなくなる!」
「箱さえ残っていれば、アドルさんはいつか作り直せる。でも、屋敷そのものを奪われたら、もう終わりなのよ。お願い、これを引き取って。せめて六十枚、六十枚でいいから!」
モルガンは沈痛な面持ちでしばらく沈黙していたが、やがて絞り出すように頷いた。
◇
数時間後、モルガンの差し向けた作業員の手によって、地下の重厚なマナバッテリーが取り外された。カチッ、という無機質な音が響くと同時に、屋敷の壁に灯っていた魔石ランプが、意志を失ったように一斉に立ち消えた。
【進捗:マナバッテリー売却(60枚) / 現在:80枚(残り:120枚)】
足元から這い上がってくる、しんしんと冷える沈黙。カミラは手元の蝋燭一本の炎を頼りに、暗闇に沈んだリビングでルルと向き合った。
「ルルちゃん、ごめんね。今日からこの家は、夜になっても明かりがつかない。お風呂も沸かせないし、結界も消えたわ。……とても、不自由な思いをさせることになる」
「……平気なの。アドルさんの家、ルルが絶対守るなの」
ルルは目に涙を溜めながらも、力強く頷いた。カミラはその小さな肩を抱き寄せ、震える手でアドルが保管していた数少ない高純度の宝石と、研究用の希少な金属片を取り出した。
「これを、ルルちゃんの鷹に託して。重くて大変だろうけど、王都のご主人様のところへ飛ばしてほしい。あっちでこれを換金して、現金を送ってもらう……。三日で返信が届くか、ご主人様にそれだけの余裕があるかは博打だけど、これに賭けるしかないわ」
「……わかったなの。ルル、ピヨちゃんに全力全開を頼むなの!」
ルルの指笛に応え、一羽の鷹が闇夜に舞い上がった。その脚には、屋敷の「残り百二十枚」という絶望的な穴を埋めるための、最後の手がかりが重く括り付けられている。
◇
夜が更けるにつれ、結界の消えた屋敷には森の不気味な鳴き声が直接響くようになった。
カミラはリビングの冷たくなった床に座り込み、抜いたばかりの剣を膝に置いた。
セキュリティが消えた今、彼女自身が「生きた結界」となって夜を明かすしかない。
【想定:ピヨちゃんの空輸アイテム換金(?枚分) / 期待:残り?枚】
計算上はこれで足りかもしれない。だが、それはあくまでアドルが即座に動けた場合の話だ。もし彼が王都の騒動に巻き込まれていたら、もしピヨちゃんが撃ち落とされたら。
「……寒いね、ルルちゃん」
「……アドルさんの匂いが、だんだん冷たくなっていくなの」
二人は一本の蝋燭を囲み、震える肩を寄せ合った。
アドルたちが帰ってくるまで、あと三ヶ月。
その最初の一夜は、あまりにも長く、そしてあまりにも暗かった。




