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第1話:待ち合わせは異世界の森で

新宿、冬の喧騒の中で

2026年1月、東京・新宿。アルタ前の大型ビジョンが流す流行歌は、冷たいビル風に煽られて空へと霧散していく。凄まじい人波がアスファルトを叩く音の中で、五十嵐秋人はスマートフォンの画面を何度も確認していた 。


秋人にとって、今日という日は数年前から待ち望んでいた、あるいは恐れていた日だった 。IT企業のプロジェクトマネージャーとして、数えきれないほどの「管理」をこなしてきた日常の中で、唯一の安らぎが、チャットツールを通じて知り合った「ミーシャ」という女性との会話だった 。画面越しに数年間、文字だけで積み上げてきた信頼。今日、その結末が「対面」という形で訪れようとしている 。


(……落ち着け。商談じゃないんだ、ただのオフ会じゃないか)


自分に言い聞かせながらも、シャツの下の心臓は不規則に拍動し、手汗を何度もズボンで拭った 。やがて、人混みの中から一人の女性が、迷いのない足取りでこちらに歩み寄ってくるのが見えた。


「……アドル、さん。……ですよね?」


その声が耳に届いた瞬間、秋人の思考は真っ白になった 。そこに立っていたのは、画面越しに聞いていた活発な印象よりもずっと凛として、都会の冷たさに削り取られてしまいそうな繊細な美しさを湛えた女性、笹川冬美だった 。


「……はい。秋人です。アドル、と名乗っていました。……笹川さん、ですよね。冬美さん……ミーシャさん、かな」


三十路を過ぎた大人の男女が、冬の新宿のど真ん中で、まるで初めて告白する学生のようにぎこちなく立ち尽くす 。オンラインではあんなに饒舌だったのに、いざ対面すると、喉の奥が張り付いたように言葉が出てこない。冬美が少しだけ照れくさそうにはにかんだ 。その瞬間だった。


視界が突如として反転し、網膜を焼くような純白の閃光が全てを飲み込んだ 。


白き空間、神の宣告

「……っ、う……。秋人さん、無事……ですか?」


秋人が次に意識を取り戻した時、そこには重力も空気の匂いも、音すらない空間が広がっていた。足元も頭上も、ただ果てしない「白」。その中に、自分と同じように当惑して立ち尽くす冬美の姿があった 。二人の困惑を断ち切るように、空間そのものが震え、形なき「神」の意志が降り注いだ 。


『私は時の狭間を管理する神だ。君たちは運悪く、時空の歪みに巻き込まれた。……残念だが、二人とも元の世界へ戻ることは不可能だ』


神を自称するその存在は、慈悲のかけらもない事務的なトーンで告げた 。


『特例として、別の世界で人生を再開してもらう。そこは剣が振るわれ、魔法が理を成す世界だ。君たちの肉体は、その世界で最も活動に適した「20代前半」の姿に再構築した。精神はそのままにな』


その言葉と共に、秋人の身体を激しい「熱」が襲った。長年のデスクワークで蓄積されていた節々の痛みが消え、肌が瑞々しく張りを取り戻していく 。気づけば、隣の冬美もまた、全盛期の輝きを放つ20代の姿へと変貌を遂げていた 。


『秋人。君には【複製錬金】を授ける』



100%複製: 対象を「所有」し、「レシピ」を把握している場合 。



想像錬成: 所有していない、あるいはレシピがない場合、知識と経験に基づき試みる。成功率は極めて低い 。



鑑定: 対象のステータスやレシピを把握できる 。


『冬美。君には【異空間保存パーフェクト・ストック】を授ける』



機能: 時間停止、容量無限の収納空間。出し入れは一瞬 。



共有: 秋人は空間内の素材を「複製錬金」に直接使用可能 。


「……わかりました。この力が、私たちの生きる術になるんですね」


冬美が冷静に頷いた。秋人は彼女の横顔を見つめ、決意を込めて口を開いた。


「冬美さん。……いや、これからはミーシャ、と呼んでもいいかな。僕も、五十嵐秋人は新宿に置いていく。これからはアドルとして生きたい。……過去を切り離して、君と二人で生き抜くために」


冬美――ミーシャは一瞬驚いたように目を見開き、それから優しく微笑んだ 。


「……ええ、アドル。そっちの方が、私たちにはお似合いかもしれないわ。……よろしくね、ミーシャって呼んで」


『さらばだ、アドル、ミーシャ。健闘を祈る』


絶望の森、最初の咆哮

衝撃と共に叩きつけられたのは、湿った土と腐葉土の匂いが立ち込める、深い森の中だった 。


「……っ、がはっ! ミーシャ、無事か!?」 「ええ……なんとか。……アドル、身体が、信じられないくらい軽い」


立ち上がった二人は、互いの20代の姿に、一瞬だけ現実を忘れた 。だが、事態は「何が起きたか」を分析する余裕すら与えてくれなかった 。


「……アドル、あそこ」


ミーシャの声が震えている。藪を掻き分け、姿を現したのは、濁った緑色の肌をした醜悪な小鬼――ゴブリンだった 。手には、棘のついた無骨な**「こんぼう」**を握り、下卑た涎を垂らしながら、二人を「餌」として認識して跳躍した 。


「逃げるぞ! ……いや、追いつかれる!」


ゴブリンの動きは速い。運動不足だった肉体が若返ったとはいえ、使い慣れない身体では逃げ切れない 。


「ミーシャ! 周りの落ちている太めの枝を集めてくれ! 一本でも多くだ!」 「えっ、あ、はいっ!」


ミーシャは即座に動いた 。アドルは、迫りくるゴブリンが振りかざした「こんぼう」を凝視した。


「錬成……ッ!」


集めた枝が光り、形を変えようとする――が、ボロボロと崩れた。失敗だ 。


「がぁッ!?」


ゴブリンのこんぼうがアドルの肩を掠める。熱い痛みが走る 。


「アドル! もう一回、これ使って!」


ミーシャが必死にかき集めた枝を、アドルの足元に投げ込む 。 二回目、三回目。出来上がるのは、脆く、すぐに折れる出来損ないの木屑ばかり 。ゴブリンの執拗な攻撃。アドルの脇腹に痛烈な一撃が入る 。


「ハァッ、ハァッ……ミーシャ、諦めるな! 次だ!」 「わかってる! 絶対、死なせないんだから!」


ミーシャが、転んだ拍子に拾った「重みのある硬い流木」をアドルに差し出した 。彼女の直感が、最適な素材を選び抜いた 。ゴブリンがとどめの一撃を放とうと、大きくこんぼうを振りかぶる。その、剥き出しの殺意を、アドルは真正面から見据えた。


(……見えた。構造、重心、密度。こいつの武器の、すべて!)


「錬成――ッ!!」


手の中の流木が、激しい光を放つ 。成功率が跳ね上がった。 手応えがあった。ずっしりとした重み。表面のトゲ。紛れもない、殺戮の道具 。


「うおおおおおッ!」


アドルは、生成したばかりの「こんぼう」を、振り下ろされたゴブリンの武器に叩きつけた 。



バキィィィィンッ!


乾いた音を立てて、ゴブリンの武器が粉砕される。驚愕に目を見開く小鬼の脳天に、アドルは渾身の力で「複製した武器」を叩きこんだ 。


沈黙。ゴブリンが動かなくなったのを確認し、アドルはその場に崩れ落ちた 。


「……やった、のか」 「アドル……。よかった、本当に……」


隣に座り込んだミーシャの手は、泥と傷で汚れていた 。最悪の初対面、最悪の初デートだ 。だが、アドルを支える彼女の体温だけは、この異世界で唯一、本物の安心を運んでくれた 。


アドルは、ボロボロになったこんぼうを握りしめ、静かに、けれど強く言った。


「ミーシャ……。まずは、まともな飯と、ベッドを確保しよう。この力と、君の力があれば……不可能じゃない」


異世界転生者である二人の、「生存と確保」の物語は、この絶望的な森から、静かに幕を開けた 。

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