第二十章「最後の施術」
光が収まると、世界が変わっていた。
混沌の床屋は、もはや黒い霧に覆われていなかった。壁は白く、床は清潔で、窓からは明るい光が差し込んでいる。
「これは……」
穢れに呑まれていた者たち——通路に並んでいた異形たち——が、人の姿を取り戻していた。彼らは呆然と立ち尽くし、自分の身体を見下ろしている。
「俺は……」
「穢れが……消えた……」
歓声が上がった。泣く者、笑う者、抱き合う者——混乱の中に、喜びが溢れていた。
「神楽」
理容神が立ち上がった。彼の姿は、もはや老いてはいなかった。若々しく、力強く、まるで——
「お前は、俺を救ってくれた」
「仕事をしただけだ」
「仕事か」
理容神は微笑んだ。
「俺も、昔はそう言っていた。ただの仕事だと」
「お前は、俺と同じ世界から来たのか」
「ああ。千年前にな」
理容神は窓の外を見た。
「この世界に来たとき、俺は絶望した。電気もない、水道もない、清潔という概念すらない世界。だが——」
「だが?」
「穢れに苦しむ人々を見て、放っておけなかった。俺には、理容の技術がある。それで、彼らを救える。だから——」
「わかる」
一刀は頷いた。
「俺も同じだった」
理容神は一刀を見た。
「お前は、これからどうする」
「わからない。まだ考えていない」
「元の世界に帰れるぞ」
一刀の心臓が跳ねた。
「帰れる?」
「俺と同じ転移者なら、帰る方法がある。俺が教えてやる」
「……」
「だが、一つ条件がある」
「条件?」
「この世界に、俺の後継者を残してくれ」
理容神は真剣な目で一刀を見た。
「俺は、千年もこの穢れと戦ってきた。もう、限界だ。元の世界に帰りたい」
「……」
「だが、この世界を見捨てることはできない。穢れは消えたが、人々にはまだ理容の技術が必要だ。それを広める者が、いなければならない」
一刀は黙った。
後継者。この世界に残る者。蒸野、ハジメ、セリーヌ、村人たち——彼らの顔が浮かんだ。
「……わかった」
一刀は頷いた。
「俺が、この世界に理容を広める。お前は、元の世界に帰れ」
理容神の目が潤んだ。
「……ありがとう」
「礼はいらない」
一刀は手を差し出した。
「お前の技、俺が引き継ぐ」
理容神は一刀の手を握った。
「頼んだ」
その時、何かが一刀の中に流れ込んできた。知識、技術、経験——千年分の理容の叡智が、一刀の身体に刻み込まれた。
「これは……」
「俺が千年かけて身につけた全てだ。この世界の穢れに対抗するための技術。お前に託す」
「……ありがとう」
理容神は光に包まれた。
「さらばだ、神楽一刀。この世界を、頼む」
そして、消えた。




