0.プロローグ
潜質——それは、ほぼ全ての人間に生まれつき備わる特異能力のこと。
大抵は六歳前後で発現し、血液型や身長と同じように個人情報のひとつとして扱われる。
発電、治癒、浮遊、透視、その他もろもろ。
十人十色の力は人々の暮らしを支え、仕事の幅を広げ、現代社会はこの「潜質」と共に発展してきた。
時には進学や就職の基準になり、時にはちょっとした見栄の道具にもなる。
平等であるはずの人の価値が決められてしまうことも少なからずある。
だが、この社会では珍しいことじゃない。潜質はあって当たり前。むしろ、ない方がよっぽど珍しい。
いま歩いている通学路とやらにだって、その光景は山ほど転がっているのだ。
たとえば。
通りの角にあるパン屋から、青年が焼き立てパンを抱えて出てきた。
片手にのせたそれを、彼は指先の小さな炎で軽く炙り始める。
じゅっ、と音を立てて表面が色づき、パチパチ火種が軽く弾ければ、きれいな焼き目のパンが完成。
小麦の甘い香りがあたりに広がり、両手でパンを割れば、ふわりと白い湯気が立ちのぼる。
オーブン要らずの即席トースト。便利だなあ、と見ていて思う。
向かいのベンチでは、清掃員のおばちゃんがスマホを片手に夢中でゲーム。
一見、サボってるようにしか見えない。
けれど、彼女の足元では誰も持っていないはずの箒が勝手に動き、砂利や落ち葉を集めていた。
柄が小刻みにカタカタ震えて器用にゴミ袋へと放り込んでいく様子は完全にベテランの手つき。
片手間にゲームしながら職務をこなす。多才でああいうのもアリかもしれない。
さらに先では、制服に身を包む少年が自転車ごとふわふわ五センチほど浮いて走り抜けていた。
たまに地面にタイヤが触れるたびにキュッと鳴る音、そしてまたふわりとわずかに浮かぶ光景。
浮遊系は誰がやっても格好よく見える。なぜかほんのちょっとだけ羨ましく感じた。
その横を歩いていたサラリーマン風の男性は、左手で弁当袋を抱えながら右手をひらりと振った。
すると紙袋の口が自動で閉じ、さらに透明な膜のようなものが表面へ纏われる。
たぶん保温か防水の潜質。昼まで中身が冷めないのだろう。
できたての弁当を維持して、いつでも食べられるとか、なんて贅沢なことか。
街のどこを切り取っても日常のひとコマでしかない。それぞれがそれぞれの能力を自由に使って、生活を彩らせている。
自分だって一応、潜質自体は持ってる。
ただ、わざわざ口にするほどのことでもないし、積極的に披露して映えるものでもないし。
使う時は使うし、使わない時は使わない。それだけ。
そんなことを考えながら歩くうちに、足は自然とゆるんでいた。
視線の先に見えてきたのは、真っ白に輝く大きな校舎。
広い敷地を囲うフェンス、その上で風に揺れる校章入りの旗。
四階建ての本棟はガラス張りを多く取り入れ、朝日を受けてきらきらと眩しく光っている。
校門の前では新入生らしい子たちが制服姿で並び、スマホやカメラを空に浮かせて記念写真を撮っていた。
保護者が潜質でカメラを数メートル上空に持ち上げ、角度を調整しているのも見える。
その光景に、自然と深呼吸が大きくなった。
肺いっぱいに春の空気を吸い込み、心臓が高鳴るのを感じる。
抑えようにも難しい。だって、この春やっと、新たな場所へ一歩踏み出せるのだから。
そして、彼—— 狐術火妖は、ぱっと顔を上げて声に出した。
「ここが、今日から通う高校……!」
赤みを帯びた健康的な肌は朝日に照らされて光り、吊り目気味の真紅の瞳がきらりと弾んだ。
漆黒の髪は緩くひとつにまとめて左肩に垂らし、ところどころ跳ねる毛が春風に揺れる。
左の前髪には一筋だけ赤いメッシュが鮮やかに走り、そこを白いピン二本で無造作にとめて。
真新しい制服は白いワイシャツに赤いネクタイ。
その上に焦げ茶色のパーカーを前開きで羽織り、下は無地の紺スラックス。
丈の短い白靴下と茶色のローファー。
整いつつもどこかラフで、自由気ままな印象。
その姿は、これから始まる新生活に胸を膨らませるどの新入生よりも、ずっと伸びやかに見えた。




