上へ上へ、雲を見る(前編)
「太郎ちゃん、この前はすごかったわね。あれだけの計算量、とても私はできないわよ」
笹崎太郎はため息をつく。
「リリーさん、いじめないでくださいよ。2人ともあれがちょっとした工夫で、すぐに終わる事、気づいていたんでしょう」
「まぁ、次、頑張ればいいさ、ワハハ」とジェヨンがグローブのような手で笹崎太郎の背中をバンバン叩く。
そのとき、オフィスの隅にあるモニターがニュース番組を開始する。
「あら、もうクラウドニュースの時間ね。最近、これ人気なのよ。ネット型のニュース番組。ジェヨン、知ってる?」
「もちろん。この女子アナ、可愛いよ」
笹崎もモニターを見ていた。笹崎はそのMCの女性アナウンサー、加藤由美子のファンだった。ただ見た目が可愛いというより、対応力がある人だな、若いのに大したものだ、と思っていた。
一月ほど前に放送中に地震があり、ニュース説明用のパネルが落ちたことがあった。スタジオが騒然としたが加藤アナは冷静にスタジオを見渡しつつ、地震情報の紙を受け取り津波の心配がないことを告げた。ただ落下に気を付けましょうと言って落ちたパネルを拾い上げて、そのパネルに株価急落の文字があることで場を和ませた。慌てず、笑わず、自然にふるまっていたのがすごいな、と笹崎はその時感じていた。
モニターでは、レンズ雲のニュースをやっていた。形が珍しいが地震の前触れなどではなく、山地と気流の関係で発生する、という解説だ。
笹崎は、確かに可愛い人だなと見ていた。白い肌は綺麗でアイドルのような顔をしている。
そのときの笹崎の心を見透かすようにリリーがからかう。
「太郎ちゃん、加藤アナのファンでしょう?年も近いんだから、アタックしてみたら?」
「何言ってるんですか。雲の上の人ですよ」
そのとき、飛び込みのニュースが入ったようで、横から渡されたメモを加藤アナが読み上げた。
「一部の地域でこのクラウドニュースが見れなくなっているようです。原因は弊社が利用しているクラウド環境への攻撃と思われます。現在バックアップ環境への切り替えを行っています。今しばらくお待ち下さい」
「あ〜〜、それ、見れていない人にはつたわらない奴だね」と楽しそうにジェヨンが言う。
「仕方ないでしょう。お約束のセリフなんだから」
そこへスマフォを右手に持った白鳥チーフがやってくる。
「盛り上がってるところ、ごめんね。今、クラウドニュース社から支援依頼があったから。ちょっと行ってもらえる?そう、今回はリリーと美咲ちゃん、そして笹崎君ね。30分後に出発でよろしく」
「ちょっと水を買いたいので1階の売店に行ってきます」
笹崎はそう言ってオフィスを出て売店まで行く。
売店の棚で水の手を伸ばしたとき、偶然右から出てきた手とぶっつかる。ミネラルウォーターのボトルが床に落ちる直前で笹崎がキャッチする。
「落下に気を付けましょう」と笑いながらも口をついてしまう笹崎。
右側に立っていたのは笹崎と同じくらいの年齢の女子。分厚いレンズのメガネをしているが意志が強そうな表情をしている。
笹崎はキャッチしたボトルとは別に新しいボトルを棚から取って、そのメガネ女子に渡す。
その女子が、ありがとうございますと、はにかむように言うのを見て、笹崎は自分の心拍数が少し上がった事に気づいた。