白い町の一時間 第3話
戸隠がドアを開けた瞬間、
氷点下の空気が刃のように車内へ流れ込んだ。
戸隠は無言で雪を踏みしめる。
キュッ、キュッ、と乾いた音。
除雪車は交差点脇で一旦停止していた。
ブレードを持ち上げ、対向車を待っている。
運転席の窓が曇り越しにぼんやり光る。
戸隠は車体の横に立ち、
ノックした。
コン、コン。
中の男が振り向く。
六十代半ば。
分厚い防寒着。
疲労の色が濃い顔。
窓がゆっくりと開いた。
「……何だい?」
戸隠は警察手帳ではなく、
総務省の身分証を静かに示した。
「総務省長野総合通信局の電波監視官です」
男の表情がわずかに固まる。
「作業中申し訳ありません。
お使いの無線機について確認したい」
男は眉をひそめた。
「無線?
業務用のだよ。会社の指示で使ってる」
戸隠は屋根のアンテナを見上げる。
「国内規格のものではありませんね」
沈黙。
遠くで別の除雪車のエンジン音。
町はまだ眠りと作業の境界にある。
外国製
男は観念したように息を吐いた。
「……安かったんだよ」
「海外通販で買った。
よく飛ぶって評判でな」
名立と島見も近づく。
島見が小型受信機を確認する。
キャリアはまだ出ている。
「出力最大設定のままですね」
男が首を傾げる。
「最大?
そんなの触ってない」
戸隠が静かに言う。
「初期設定が高出力になっている機種があります」
男は苦い顔をした。
「会社の無線は山陰に弱くてな……
吹雪になると全然届かない」
信濃川の低地。
両側に丘陵。
豪雪による遮蔽。
通信は生命線だ。
「これならどこでも通じる。
現場同士で話せりゃ十分だと思ってた」
見えない被害
戸隠は端末画面を見せた。
赤いログ。
《復調不能》
《未応答》
「この地域で運用中の通信システムが、
早朝に機能停止しています」
男は戸惑う。
「……そんな大げさな」
島見が続ける。
「独居高齢者のバイタルデータです」
男の目が動いた。
「心拍や体動を1時間ごとに送信しています。
異常があれば保健センターが確認に行く」
沈黙。
除雪車のエンジン音だけが響く。
「あなたの無線が出ている間、
そのデータが届きません」
男の顔から血の気が引いた。
現実
「……知らなかった」
かすれた声。
「そんなもんがあるなんて」
戸隠は責めない。
ただ事実だけを置く。
「実証実験中ですが、
将来は災害時の命綱になります」
雪国では、孤立は日常だ。
道路が閉ざされれば、
通信が唯一の接点になる。
男はハンドルを握りしめた。
「俺は……
町のために走ってるつもりだった」
雪をどかし、
生活を守る。
だが同時に、
別の守りを壊していた。
技術の罠
島見が静かに説明する。
「この機種は周波数設定が広く、
国内の割当外にも出ます」
名立が補足する。
「しかも隣接帯域にスプリアスが多い」
男には難しい言葉だ。
だが意味は伝わる。
「……違法ってことか」
戸隠は頷く。
「国内では使用できません」
判断
東の空が青くなり始める。
夜明け。
戸隠はIPトランシーバを取り出す。
「新津課長、現場です」
短く状況を報告する。
相手はすぐに理解した。
低い声が返る。
「故意性は?」
「低いと思われます」
「被害は?」
「五時台の送信欠落。
六時は防げる可能性あり」
数秒の沈黙。
やがて課長が言った。
「使用停止を指導。
代替通信手段を確保しろ」
摘発より、被害防止。
行政の現実的判断。
6時を守る
戸隠は男を見る。
「今、この無線の電源を切ってください」
男はすぐにスイッチを落とした。
キャリアが消える。
車内の受信機が静かになる。
島見が端末を凝視する。
「……クリーンです」
名立が小さく息を吐く。
6:00
センターからビーコン。
今度は妨害なし。
一番目の端末。
《応答確認》
二番目。
《正常》
三番目。
《正常》
島見の肩から力が抜ける。
「全局リンク確立」
凍った空気の中で、
見えない通信が町を再び結び始める。
その後
男は深く頭を下げた。
「本当に……すまん」
戸隠は静かに言う。
「知らずに使ってしまうケースは多い」
「会社にも説明します。
ちゃんとした無線を用意してもらう」
名立が苦笑する。
「むしろ会社が知らない可能性もありますね」
雪国の現場は、
常に余裕がない。
朝
太陽が雪面に反射し、
町が白く輝き始める。
除雪車は再び走り出す。
今度は静かに。
合法な無線を使わずとも、
目視と手信号で十分な区間だ。
戸隠たちは監視車へ戻る。
ヒーターの温風。
残ったコーヒーのぬくもり。
島見がぽつりと呟く。
「……同じ町を守ってるのに」
「方法が違うだけで、
ぶつかることもある」
戸隠は窓の外を見る。
雪原の向こう、
小さな家。
その中で、
今まさに送信されたデータが
保健センターへ届いている。
見えない安心。
見えない電波。
そして、見えない危機…。
雪はただ積もるのではない。
人を孤立させる。
だから人は、
道路を掘り、
電波を飛ばし、
つながろうとする。
十日町の朝。
白い町に、
二つの命綱が静かに伸びていた。




