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山中に広がる波紋 第7話

翌朝。

 宿を出たのは、きっかり九時だった。

「この時間なら、山もまだ“人の顔”してますね」  島見杏果が言う。

「午後になると、急に牙を剥く」  名立達彦が、ハンドルを握りながら応じる。

 エクストレインは、昨日引き返した分岐を越え、

 開田高原からさらに奥へと進んでいた。

 舗装路は、いつの間にか細くなり、

 やがて――これは道なのか?と首をかしげたくなるレベルになる。

「……けもの道に、アスファルトを貼った感じですね」  島見が、率直な感想を漏らす。

「車で行けるの、ここまでだな」  名立が速度を落とす。

 ダッシュボード中央。

 方位測定器のLEDは、もはや迷っていなかった。

 ――一点。

 山の奥。

 人の気配が、限りなく薄い方向。

「ここだ」  後席の戸隠弘明が言った。

 声は低いが、迷いはない。

「建物があります」  島見が双眼鏡を覗く。

「……寺院、ですか?」

 森の奥。

 木々に半ば飲み込まれた、瓦屋根の建物。

 だが、どこかおかしい。

 手入れされた形跡がない。

「廃屋だな」  名立が言う。 「それも、かなり前から」

「勝手に入るわけにはいかん」  戸隠は即座に言った。

「木曽警察署に連絡だ」

 ほどなくして、

 パトカーが一台、山道を慎重に上がってきた。

 合流した警察官は、状況を聞くと、表情を引き締めた。

「……分かりました。こちらで立ち会います」

 建物の戸は、すでに半分朽ちていた。

 警察官が慎重に開ける。

 中は、静まり返っている。

 そして――

「……人、ですね」

 島見の声が、わずかに震えた。

 床に横たわる、白骨化した遺体。

 時間が、すべてを奪ったあとだった。

 服はところどころ破れ、

 不自然な裂け目が残っている。

「噛まれた……跡だな」  警察官が、静かに言った。

「検死をしなければ断定はできませんが、野生動物…恐らくクマでしょう」

 戸隠は、何も言わず、建物の中を見回していた。

 しばらくして――  遺留品が確認される。

 財布。

 身分証。

「……数か月前に、遭難届が出ていた男性です」  警察官が言った。

「行方不明のまま、捜索が打ち切られていた」

 名立が、息を吐く。

「じゃあ……」 「この人が、ノイズ源だった?」

 島見の問いに、戸隠は首を横に振った。

「いや」

 彼は、方位測定器をもう一度見た。

 LEDは、今も静かに示している。

 だが――強さがない。

「発信源は、もう“ない”」 「……え?」

「ここにあったのは、痕跡だけだ」  戸隠は、淡々と告げる。

「遭難時に持っていた何か――  非常用発信機か、無線機か。  それが一時的に、121.5を汚していた」

「でも、今は?」 「壊れたか、電池が尽きたか、獣に持っていかれたか」

 戸隠は、窓のない暗がりを見た。

「山は、そういうことを平気でする」

 沈黙が落ちる。

「……じゃあ」  島見が言う。 「空で拾われたノイズは」

「“過去の声”だ」  戸隠は言った。

「遅れて届いただけ…か、それとも…」

 警察官が、深く頷いた。

「おかげで、見つかりました」 「仕事です」

 戸隠は、それ以上何も言わなかった。

 山を下りる途中。

 クマ鈴が、やけに大きく鳴る。

「……無駄じゃなかったですね」  島見が言う。

「ああ」  戸隠は、短く答えた。

「少なくとも――  山に、飲み込まれっぱなしにはならなかった」

 121.5MHzは、もう静かだ。

 だが――

 それが“何もなかった”ことを意味するわけではない。

 エクストレインは、再び人のいる世界へと戻っていった。

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