山中に広がる波紋 第3話
長野総合通信局・電波監視課
長野市朝日町。
官庁街の一角にある、年季の入った庁舎。
13時過ぎ。
電波監視課の執務室は、奇妙な静けさに包まれていた。
誰もが忙しくないわけではない。
ただ、“何かが来る直前”特有の、落ち着かない空気が漂っている。
「……来ましたか」
新津課長は、電話を置きながら、短く言った。
通話相手は、東京――所沢航空管制センター。
正式な文書ではない。
だが、内容は重い。
「非常周波数、121.5MHzにノイズ。木曽町上空。航空機からの実報告」
新津は、ゆっくりと椅子に深く腰掛けた。
121.5。
航空の世界では、ただの周波数ではない。
「単独事案、ですか」 『はい。他便からの追随報告はありません』
新津は、指で机を軽く叩いた。
単独。
山岳地帯。
しかも、地上起因の可能性が高い。
「……分かりました。こちらで引き取ります」
通話が切れる。
新津は、室内をぐるりと見渡した。
若手職員たちは、すでに気配で察している。
誰もが、こちらを見ないふりをしながら、耳だけを立てていた。
「さて……」
新津は、ひとつ息をつく。
「“重要無線通信妨害案件”だ」
その言葉で、空気が一段、張り詰めた。
「木曽町上空。121.5MHzにノイズ」 「航空機側の機器不良ではない、と」 「所沢は、そう見ている」
新津は、書類棚の一角に目をやり――
ある席に、ちらりと視線を投げた。
そこには、
書類に埋もれ、
湯のみを手に、
ひどくやる気のなさそうな中年男がいる。
戸隠弘明。
電波監視官。
――昼行灯。
「……戸隠」
名前を呼ばれても、すぐには反応しない。
「戸隠」 「……はい?」
ようやく顔を上げたその表情は、
どう見ても“事件の匂い”とは無縁だった。
「木曽町だ」 「はあ」 「非常周波数、121.5」 「……それはまた、厄介ですね」
淡々とした返事。
だが、新津は見逃さない。
その目の奥で、
確実にスイッチが入ったことを。
「準備しろ」 「今日、ですか」 「今日だ」
新津は言い切った。
「空で起きた異変は、地上で止める」 「それが、俺たちの仕事だ」
戸隠は、ゆっくりと立ち上がり、
上着を手に取る。
「……やれやれ」
その呟きは、
誰に向けたものでもなかった。
こうして――
所沢の空で観測された“微かなノイズ”は、
長野朝日町の庁舎から、現場へと送り返される。
まだ誰も知らない。
この121.5MHzが、
ただの雑音ではないことを。




