【有閑閑話】昼行灯電波監視官とサイクリング少女
嶺方峠の洞門越しに北アルプスを見ると額縁に飾られた絵画のように見えるんですよね…。
因みに、鬼無里という地名は紅葉という公家の姫が流刑されたとされ、東京、西京、五条など京都由来の地名があります。
登場するキャラクターは…(汗)
16時すぎ、鬼無里での潜在電解調査のため、長野総合通信局の公用車が、国道406号を長野市街へと下っていた。運転席には若手の名立、助手席には係長の戸隠弘明。車内では名立の無駄に詳しいラジコンの話に、戸隠が「へー」とだけ応じていた。実際は、彼の脳内には『特捜最前線』のテーマ曲が流れていた。
そのとき、東京バス停近くの路肩にひとりしゃがみ込む赤い姿が目に入った。
「……係長、あれ……?」
「停まれ。あの辺り、クマ出るぞ。場合によっては保護する」
そう言って車を寄せると、見えたのは赤を基調にしたサイクルジャージの高校生位の少女。背中にはかわいらしい女の子のイラスト——女神のようでもあり、アニメキャラのようでもある。ジャージの全面には大きく『FORTUNA』のロゴ。
ロードバイクのタイヤは完全にぺしゃんこ。彼女は少しびっくりしたように顔を上げた。
「こんにちは。長野総合通信局っていう、ちょっと変わった官庁の者です。どうしたの?」
「あっ……すみません。パンクして、チューブももう使い切っちゃって……。スマホもバッテリー切れで……」
「単独? こんなとこまで?」
「はい。嶺方洞門越しに見る北アルプスが見たくて……どうしても」
「……いやぁ、わかる。あそこは一見の価値あるもんな。でも、パンクは運が悪かったな。このあたり、ツキノワグマの目撃情報多いのよ?」
「えっ……ク、クマ……」
「昨日はこの先の沢沿いで親子連れが出てな」
「……それ、もっと早く言ってください……」
少女は軽く震えたように言いながら、思わず自転車の陰に身を寄せた。
「まぁ大丈夫。俺らもクマ避けでラジオ流しながら測定してんだから」
「音で逃げるんですか……?」
「だいたいね。でも、そこの名立は一度だけ、クマ相手に“声”で追い返したことがある」
「えっ?」
「“違法無線は止めてください!”って全力で叫んだら逃げたらしい」
名立が慌てて否定する。
「係長、それ脚色しすぎですって!」
少女はくすっと笑って、「助かりました、本当に」と深々と頭を下げた。
車にロードバイクを積み込み、長野駅までの道すがら、少女——佐伯美弥は、神奈川の大学に通う大学生で東京から輪行で松本入りし、白馬を経て嶺方まで走ってきたと話した。
「帰りも自走の予定だったんですけど……パンク2回目で心が折れました」
「むしろその年で嶺方峠登った時点で尊敬だよ。俺なんか、登るのは録画リストのアニメぐらいだ」
「さっき鼻歌で『風のメモリー』歌ってましたよね?」
「気づいた? 笹原弘子は俺の青春だよ」
市内に入り、長野駅善光寺口に無事送り届けたあと、名立がぽつりとつぶやいた。
「係長、あのジャージ……アニメのコラボらしいですね。FORTUNAって、サイクリングアニメの……」
「なるほどな。女神に守られてるって意味だったのかもな。今日は、俺らがちょっとだけ代わりを務めたってことで」
そして車内には、再び『特捜最前線』のテーマが、静かに流れ出す——戸隠の頭の中だけで。