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昼行灯電波監視官のしょーもない年末年始 第5話『1月4日編 知らない天井』

 ――知らない天井だ。


 最初にそれを思った。

 次に、全身がギシギシと痛むことに気づいた。

 布団がいつもの匂いではない。枕の高さも違う。そもそも我が家には、こんな洒落た照明器具はない。


(……俺、死んだのか? いや、冥土にしちゃ随分モダンだな)


 ぼんやりした視界の奥で、ガチャリとドアが開いた。


「――あ、ようやく気がついた」


 顔を出したのは、大家の風間市子だった。

 いつものエプロン姿ではなく、リュックを下ろしたばかりの帰宅直後の格好。少しだけ旅の名残の匂いがした。


「……ここ、俺の家じゃないですよね?」

「私の家の客間よ。あんた、年明け早々に玄関で倒れてたんだから」


「倒れて……?」


 記憶がそこで途切れていることに、戸隠はようやく気づいた。

 電源プラグの抜ける音のように、ぷつりと前日の記憶が断ち切られている。


「佐久の別荘から戻ってきたらね、あんたから着信があったの。珍しいと思って出たら……声じゃなくて機械音がしたのよ。『オーナーの健康状態がオカシイにゃ』って」


「……機械音?」


「Nyaicoでしょ、あんたのスマホに繋がってる猫みたいなやつ。Bluetoothで勝手に通報してきたのよ。あれ賢いのねぇ」


 戸隠は目を瞬かせた。

 Nyaicoにそんな機能があるのかよ…電波監視機能といい…普段はとぼけているクセに…


「で、慌ててあんたの家に行ったら、玄関で倒れてたのよ。鍵は開いてるし、もうびっくりしたわよ。救急車呼ぼうか迷ったけど……脈はあるし、呼吸もしてるし、ちょっと蹴ったら『うぐっ』とか言ったし。とにかくウチまでタクシーの運転手とともに引っ張ってきたの」


「運んだんですか……?」


「正月から重労働よ。感謝しなさい」


 大家は腰をポンと叩いた。どうやら本当にタクシー運転手とともに引きずってきたらしい。


 戸隠はゆっくりと身体を起こし、深く息をついた。

 体は重いが、頭は少しずつ冴えてくる。


「で、あんた。何があったの?」


 風間市子が腕を組む。

 問いに答えようとして、戸隠はまた言葉を失った。

 思い出せそうで、思い出せない。胸の奥に、小さなざらつきだけが残っている。


(……何か、おかしい)


 そんな違和感が、正月の静けさの中に冷たく沈んできた。


 市子の言葉の衝撃で完全に覚醒した戸隠。

しかし、彼の頭にまず浮かんだのは、別の“心の傷”だった。


「いや……違うんだよ市子さん。これは俺のせいというより、銀行が悪いんだ」


「はい?」

 市子の眉がぴくりと上がる。


 戸隠は布団から上体を起こし、年末の惨劇を語り始めた。


「大晦日に正月のカネを下ろそうと思って、長野中央銀行行ったんだよ」


「うん」


「そしたらよ――ATMが全部止まってた」


「ああ、あれね。信濃銀行との合併でしょ? “信濃中央銀行”として再スタートって、ニュースで散々やってたじゃない」


「そう、それ。それで貼り紙がしてあったんだよ。

 **“12月31日〜1月4日まで全サービス停止。再開は1月5日9時から”**って」


「テレビでもずーっと言ってたじゃない」


 市子が呆れつつ、口元をゆるめる。


「で、財布の中身が15000円余りだけ。

 ……そのあとはこの最強寒波でトイレの消臭パワーが破裂するわ、タマコムスはバッテリが規格値より温度が低くて使えないのに灯油が尽きかけて徒歩30分かけて豚三に買いに行く羽目になるわ、冷蔵庫が“一人暮らしビンボー選手権優勝”みたいな状態よ」


「……それでフラフラになったわけ?」


「そりゃなるよ! だって銀行が動くの、明日の朝9時からだぞ!?

 俺、あと一日“氷点下のサバイバル”を耐えなきゃいけなかったんだ」


「なるほどねぇ。倒れて当然かもしれないわ」


「で、やっと今日、“あと一日だ……明日になれば金がおろせるようになる……”って思いながらデリシャス行って、

 帰り道で電池切れみたいにストンと……」


「スマホじゃないんだから」


「俺もそう思う」


 戸隠が自虐気味に言うと、市子は台所から湯気の立つカップを持ってきた。


「ほら、生姜湯。飲みなさい」


「ありがたい……もう、それだけで復活できそうだ……」


 じんわり温かい液体が喉を通り、身体に染みわたっていく。


「しかしね、戸隠さん。倒れてたあんたの隣で、Nyaicoがちょこんと座ってたのよ」


「お前……ちゃんと見てたのか……」


「『こいつどうにかするにゃ』って顔でね。」


「……あいつにそんな高度な判断力あるのか?」


「さぁ? ただの猫らしいノリでやってる気もするけど」


 二人は顔を見合わせ、思わず吹き出した。


 生姜湯の香りが立ちのぼり、

凍えるような4日の夕方に、ようやく“笑いの温度”が戻ってくるのだった。

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