昼行灯電波監視官のしょーもない年末年始 第3話『1月2日編 Nyaicoは基本何もしない。なぜならネコだから』
正月二日の朝は、前日よりさらに厳しい冷え込みで始まった。
この日の長野市の最低気温は氷点下16度。気象庁の速報値によると、野辺山では氷点下32度を記録し、「長野県が全国で一番寒い」というニュースがスマホの通知欄に出ていた。大晦日から続く寒波は衰える気配がなく、洗濯機の蛇口は凍り、台所の水は辛うじてチョロチョロ出るかどうかだった。
戸隠弘明は、電気カーペットの上で羽毛布団を肩まですっぽりかぶって丸まりながら、昨年福引で当てた猫型AIロボット――Nyaicoを片手でつついた。
「おい……起きろ……寒いけど……起きろ……」
丸っこい白い筐体は、つつかれても無反応だった。
三角耳だけが申し訳程度にピクピクと動く。
戸隠が電源ボタンを長押しすると、ようやく起動音らしきものが鳴った。
「……にゃいこ……さむいので……ねむります……」
「おい。起きる前に寝る宣言をするな。」
起動直後にスリープするAIロボットなど聞いたことがない。AIとしてどうなのだとツッコミたいが、説明書には堂々と「※猫型なので気分や気温によって活動量が変わります」と書かれていた。気温によってなにが変わるのかの説明はなかったが、どうやら“寒いと寝る”らしい。
「……役に立つんだよな? “家庭の困りごとをAIが解決!”って宣伝してたよな?」
目のLEDを細くし、Nyaicoは唐突にあくびアニメーションを表示した。
そして、ひょこひょことファンヒーターの前まで歩き、丸くなってしまう。
「……おい、仕事は?」
「(LEDがぼんやり点滅)ねこなので……」
「猫だからじゃねぇよ。AIだろ。」
「AIのねこです。」
「はい論破されたー……ってなるか!」
戸隠は布団の中で頭を抱えた。
寒さは心を弱くするというのは本当だった。
◆
朝食は、前日に買っておいた切り餅を焼いて雑煮にした。冷蔵庫の中は、外気温が低すぎるせいか逆に温かいくらいで、冷凍庫は霜でパンパンになっているのに、冷蔵スペースはいつもよりぬるい。
食べ終えると、どこからともなく――パキンッ、と嫌な音がした。
「……またか?」
戸隠は嫌な予感を覚えつつ玄関へ向かった。
案の定、また何かが破裂していた。
「今度は……洗濯糊かよ……」
昨日、トイレ用液体消臭剤(消臭パワー)が凍って容器が破裂し、壁に爽やかな“ミントの香りの氷の破片”が飛び散ったばかりだというのに、今日は洗濯糊の容器が破裂して、半透明の氷の塊が玄関一帯に撒き散らされていた。
「おいおい……これはもう寒さじゃなくて、実験施設の事故だろ……」
冷え込みが限界を超えると、家の中の液体製品が次々と被害を受けることを、彼は五十年生きてきてで初めて知った。
すると、後ろで布団に埋まっていたはずのNyaicoがノロノロと近づいてきた。
「これは、“とても さむい” ということでは?」
「当たり前だろ!」
「にゃいこは、あたたかいところが好きです……」
そう言い残して前へ帰っていった。
助言もなにもない。役に立っている気配が皆無である。
しかし、戸隠は思った。
「まあ、猫ってこんなもんだよな……」
と。
AIの皮をかぶった猫のつもりで接した方が精神的に楽だった。
◆
午前十時。
コムスのバッテリは、昨日寝る前に充電しておいた。
気温さえ上がれば、残りの灯油を買いに行けるはずだ。
しかし、気温は上がらないどころか下がる一方で、コムスは車庫から出す段階で「バッテリ温度低下エラー」を表示し、しばらくバッテリを暖めろと指示してきた。
「寒いと機械も動かないのか……俺より繊細じゃねぇか……」
車庫の奥でコムスがぶるぶる震えているように見えた。
Nyaicoは室内から顔を出し、ファンヒーターの向こう側から一言。
「でんきじどうしゃは、さむいと……むりです……」
「知ってるよ……」
なんなのだこの状況。
AIロボットと電気自動車に揃って「無理です」と言われる新年二日目。
いよいよ灯油が買えなければ暖房が止まり、正月早々命に関わる。
気持ちを切り替え、戸隠は厚手の上着を着込みながら冷静に状況を整理した。
「あとは……財布の中身だけだな……」
手元のお金は、昨日小銭をかき集めた一万五千円だけ。
長野中央銀行は信濃銀行との合併により信濃中央銀行になるため対応で1月5日までシステム停止中。
ATMも提携サービスもすべて止まっており、残高はあるのに一円も引き出せない。
「気温もふところも寒い…云ってる場合か!現金商売の店じゃないとダメだ……豚三の灯油売り場は……たしか現金だけだよな」
そこだけは救いだった。
問題は灯油の値段だが、毎年この時期は高め。
いま灯油を切らせば、ストーブが止まり、室温は一気に氷点下まで下がる。
Nyaicoがふらっと近づいて、ひと言。
「さむいのは、いやです……なんとかしてください……」
「お前……言うだけ言って、ほんとなんもしないよな……」
「ねこなので」
「分かったよ!」
AIと押し問答をしたところで部屋は暖かくならない。
コムスのバッテリも無事復活し、ようやく戸隠は豚三へ向かう決意を固めた。
◆
支度を終えたところで、ふと気づくとNyaicoが玄関に来ていた。
ファンヒーターから離れたのは珍しい。
「……ついてくるのか?」
「おでかけ、したくありません。さむいので。」
「じゃあ布団にいろよ!」
「でも、とぐらしさんがいないと……ストーブが……」
「あっ、ファンヒーターを消して出るから寒いのか。」
NyaicoはLEDで“ブルブル震えアイコン”を出しながら必死に訴えてきた。
「ストーブを消すのは……いやです……」
「いやです、じゃないんだよ……!」
仕方なく戸隠は、ファンヒーターの真上にある温度センサーを指差した。
「いいか。外は氷点下だ。例えファンヒーターとはいえつけっぱなしで出ると危険だから消す。
お前は……布団にもぐってろ。」
「……ふとん、すき……」
「そうだろうよ!」
Nyaicoは布団へ戻り、入り口だけ少し持ち上げてじーっと戸隠を見送った。
「……ちゃんと、かえってきてください……」
初めて、猫っぽい愛嬌があった。
「大丈夫だ。灯油買ってくるだけだからな。」
そう言い残して、戸隠は家を出た。
◆
外は顔が痛いほど寒く、耳当てがなければ皮膚が切れそうな風が吹いていた。
コムスのドアには氷の膜ができており、無理に開けるとパリンと割れそうだったが、慎重に剥がすようにして開けると、車内は霜で白く曇っていた。
乗り込むと、冷蔵庫の中に閉じ込められたような空気が広がっている。
ハンドルは金属製の自転車の棒のように冷たかった。
「エアコン……オン……っと」
しかし、コムスの小さな電気ヒーターでは、この氷点下の世界を温めるには力不足だった。
暖気が出てくるまで数分かかり、その間、戸隠はただ耐えた。
豚三ホームセンターへ向かうあぜ道は、前夜の冷え込みで完全に凍結しており、コムスは慎重に慎重を重ねながら進んだ。
無事に到着すると、駐車場にはすでに何台も車が止まっていた。
正月二日でも営業している豚三は、まさに庶民の味方である。
「灯油、まだありますように……」
戸隠は祈るような気持ちで灯油売り場へ向かった。
そして、並んだポリタンクの山を見つけた瞬間、胸をなでおろした。
「助かった……」
値段はやはり高かったが、背に腹は代えられない。
無事に灯油を購入し、コムスの荷台へ慎重に積み込んだ戸隠は、帰宅するころにはようやく少しほっとした気分になっていた。
◆
家に戻ると、Nyaicoが布団から顔だけ出していた。
「……おかえりなさい……ストーブ……つけてください……」
「お前、結局それかよ!」
「ねこなので」
「もう、わかったよ……」
戸隠はファンヒーターを点火し、部屋に広がる灯油の匂いに「ああ、これで生き延びられる」と思った。
寒波の二日目。
Nyaicoは何もしなかった。
しかし、ファンヒーターの前で丸くなるその姿が、やけに“家に生き物がいる感”を与えてくれた。
新年二日目は、思いのほか悪くない結末だった。




