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昼行灯電波監視官のしょーもない年末年始 第2話『凍える元日』

実際、本日の長野市は薄曇りで3℃と、比較的暖かい元日でございます。

 ――元日。


 午前六時三十二分。

 いつもなら「一年の計は元旦にあり」とばかり、軽くストレッチでもしてからコーヒーを淹れるところだが、今日の戸隠弘明は布団の中で丸くなって震えていた。


「寒い……なんだこれ、氷点下っていうより“絶対零度の手前”って感じだぞ……」


 暖房がない。

 いや正確には、暖房を動かすための灯油がない。


 水道も半凍結してチョロチョロ。

 給湯器は完全停止。

 そして布団の中でスマホを見ると、例のニュースが更新されていた。


> 「長野市 最低気温 −18.1℃ 観測史上でも際立って厳しい冷え込み」

「菅平は −32.8℃」

「路面凍結、破裂事故の報告多数」




「破裂事故……まあ、あるだろうな……」


 ぼそっと呟いた、その直後である。


 ――ボンッ!!


「うわあああああああ!!」


 トイレの方から、小さな爆発みたいな音が響いた。

 とっさに布団から転げ落ち、靴下のまま廊下を走り、冷え切ったトイレを見回す。


「な、なんだ!? 水道管か!?」


 だが、そこに飛び散っていたのは――


 青リンゴの香り。


 床一面、ぬらりと光る液体。

 壁にはカラフルな細片。

 そして、トイレの窓が割れ、その下には哀れな姿となった一本のボトル。


 「液体消臭パワー(トイレ用)・さわやかアップルミント」。


 容器は縦方向にぱっくり裂け、口が半開きになった怪獣のような形で固まっている。


「……破裂したんかい」


 おそるおそる指で触ると、中身は半分シャーベット化しており、香りだけが無駄にフレッシュだ。


「いや、でもさ……

 トイレ用の消臭剤が凍結して破裂って、長野でもそうそうないぞ?

 気温いくつなんだうち?」


 温度計を見る。

 室温 -12℃。


「そりゃ破裂もするわ!!」


 思わずツッコミの声が裏返った。

 しかし、床に広がるアップルミント・スプラッシュは笑えない。


「これ掃除したら、うちのトイレだけ無駄に爽やかになるんだよな……」


 台拭きを手に取ったものの、指先はかじかんでうまく動かない。

 雑巾をしぼろうにも水が冷たすぎて手が悲鳴をあげる。

あ…あとガラスもなんとかしないとヤバいな…。


 そのとき戸隠は悟る。


――灯油を買わないと死ぬ。いろいろと。



---


豚三ぶたさんホームセンターへ向かう決意


 時計を見ると午前七時半。

 元日だから空いているかは怪しいが、ホームセンター『豚三』は、毎年「初売りセール」をやっていた記憶がある。


「灯油……売ってるよな。

 初売りで“あったかフェア”とかやってるよな。頼むぞ豚三……」


 戸隠は防寒着を着込み、マフラーにぐるぐると顔を埋め、ドアを開けた。


 ――冷気のナイフが頬を斬った。


「さむっっ!! これは人類の住む気温じゃない!!」


 愛車トヨタ・コムスに近づくと、フロントガラスは真っ白。

 さらにバッテリーのランプが暗く点滅している。


「お、おい……今日だけは頑張れ。頼む。

 お前が動かないと、俺は凍死するんだ……!」


 コムスのバッテリをさすりながらキーを回す。


 …………。

 …………。


「……死んでる……」


 バッテリーは、完全に死んでいた。


「ま、まあ歩けばいいじゃないか……豚三まで片道25分……

 いや、凍死距離だろこれ……」


 風速を計算するまでもない。

 体感温度は氷点下20度を余裕で下回っている。



---


■ それでも歩く男・戸隠弘明(50)


「いや、行くしかない。

 灯油がなければ死。歩けば生。

 迷う必要のない選択だ」


 気合いを入れ直し、雪の積もった歩道をズボッ、ズボッと踏みしめながら歩く。


 途中、道路脇のコンビニも、カフェも、全部休み。


 全ての文明が停止しているかのような静けさの中、

 唯一響くのは、戸隠の呼吸と、やけに爽やかなアップルミントの残り香。


「……俺、なんで元日にこんな八甲田山雪中行軍しなきゃなんねぇんだよ…」



---


■ と、その時――


 ズルッ。


「うおっとっとっと――!」


 凍結した路面で足を滑らせ、前につんのめる。

 だが、絶妙にバランスをとって転倒は回避。


「危ねぇ!!

 あぶな……って、あれ?」


 視界の端に白い物体が映る。


 小さな、見覚えのある、手のひらサイズの白い固まり。


「……これ、消臭パワーの“凍った中身”じゃないか!!」


 なんと、自宅から100m離れた地点まで、破裂時に飛んできた固まりが落ちていたのだ。


「どんな勢いで飛んだんだよ!! 弾丸じゃん!!」


 あまりの珍事件に、思わず寒さを忘れて笑ってしまう。



【1月1日・午後】


 豚三ぶたさんホームセンター長池店が見えてきたのは、戸隠が家を出てからちょうど三十分後だった。


 店頭の大きな横断幕には、元日の寒空に似つかわしくない陽気なフォントでこう書かれていた。


> 豚三 初売り! 新春あったかフェア!!




 その下には、派手な赤文字。


> 「灯油価格 1,690円/18リットル(一家族18リットル限り)」




「……いや安いけどさ。

 これ、歩きで買う人のこと何一つ考えてないよな……」


 十八リットルの灯油は、約15kg。

 氷点下の中、徒歩で持ち帰るには拷問の領域だ。


 だが、店内に入る前にもっと大きな問題が見えた。


 灯油売り場に、異様なほどの長蛇の列ができている。


「うわぁ……」


 老人の杖、スキーウェア姿の家族、明らかに“帰省で灯油が切れた”風の夫婦、さらに謎のキャンパー風青年まで入り混じり、レジ横から店の外へ延々と伸びている。


 店頭の看板にはこう書いてあった。


> 「灯油販売 本日は“お一人さま18リットルまで”」




「……そりゃそうだよな。こんだけ寒けりゃみんな買いに来るわな……」


 戸隠は列の最後尾に並んだ。

 後ろに並んだおばちゃんが、どこかで聞いた覚えのある長野訛りで話しかけてきた。


「あら?戸隠さんじゃないの?あなたも灯油かね?」 

「えーっと…どちらかでお会いしましたか?」


「綿内です。夏にうちの夫が色々ご迷惑をおかけしまして…」


「あぁ…いやいや…あの程度はいつも仕事している位のものですので、そんなに恐縮されなくても。」


「しかし、今年は正月からヒドい寒さですね…」


「ほんとですね……。車が動かなくて、歩きで来ました」


「あらまぁ……そりゃ大変だったねぇ。

 でも戸隠さん、歩きで灯油持って帰るんかい?」


「……そのつもりで……」


 おばちゃんは一瞬沈黙した。


「……戸隠さん、死ぬよ?」


「ですよね……?」


 軽く現実を突きつけられた。



---


■ 灯油の購入


 ようやくレジ前のポリ缶置き場にたどり着いたのは、並び始めてから40分後だった。


 レジの店員は、凍え切った顔。

 しかし妙にテンションの高いアナウンスで客を捌いていた。


「はいお一人様一缶でお願いしまーす! 追加の方は再度お並びくださーい!

 灯油値上がり前の特価でーす! 寒波に負けるな豚三〜!」


「……あの人、元旦からハイすぎないか?」


 店員のハイテンションに押し切られるように、戸隠は18Lポリ缶を受け取り、灯油給油機の前へ。


 そしてノズルを突っ込み、スイッチオン。


 ゴォォォォォォ……


 給油機がうなり、ポリ缶に透明な液体が注ぎ込まれる。


 ガソリンのような鋭い匂いが漂い、戸隠は思わず目を細めた。


「……これを……歩きで……?」


 18リットルの灯油を入れたポリ缶は想像以上に重い。

 両手で持ち上げると、腕の筋肉がぶるぶると震えた。


「嘘だろ……これを徒歩30分……?」


 今さらながらに絶望が押し寄せた。



---


■ 救世主、現る


 その時、背後から声がした。


「戸隠さん、よかったらこれ使いな」


 声の主は、先ほど列で話したおばちゃん…綿内夫人だ。


「え……?」


 綿内が指差した先には――


 ピンク色の子ども用ソリ。


 しかも、プリキュアっぽい謎のキャラが描かれている。


「孫に買ってやったんだが、今日は使わんらしいでな。

 灯油運ぶにはちょうどよかろ?」


「えっ、いや、でも……お借りするわけには……」


「よかろ、よかろ。元日なんだから、お互いさまよ」


 綿内は満面の笑みでソリを押し付けてきた。


「……ありがとうございます!!」


 戸隠は深々と頭を下げた。


 ソリにポリ缶を乗せてみると――


「おお、ぴったり!!」


 灯油の重さが地面に分散され、ほとんど力を使わずに動かせる。


 人類はソリを発明した時点で、すでにこの問題を克服していたらしい。



---


■ 氷点下のソリ引きおじさん(50)


 豚三を出て、戸隠は歩道にソリを降ろした。


 シャッ……シャッ……


 ソリが軽やかに滑る。


 ポリ缶を載せたプリキュア風ソリをズルズル引きながら、

 彼は氷点下17度の長野市を優雅に進んでいく。


 車道を走る車が何度も二度見してくる。


 通りすがりのランナーが振り返る。


 犬の散歩中の人が硬直する。


「……いや、俺だって見たらビビるわ……」


 50歳・電波監視官・元旦・ソリ引き。


 これをシュールと言わずして何と言おう。



---


■ 家に到着


 戸隠はソリを引きながら、無事、自宅前に到着した。


「助かった……マジで助かった……!」


 灯油タンクに給油し、石油ファンヒーターのスイッチを入れる。


 ――ぼっ……わぁぁぁぁ……


 柔らかな炎が揺れ、部屋にじんわり暖かさが広がる。


「……文明が……戻った……」


 本気で涙が出そうだった。



---


■ ソリ返却事件


 しかし、ここで問題が生じた。


「……ソリ返しに行くの、灯油よりしんどくないか?」


 まだ外は極寒、氷点下15度。

 そして綿内宅まで徒歩15分


「……いやダメだ。借りたものは返さねば電波監視官の名がすたる」


 その瞬間、脳内に流れたのは――

隠密同心のテーマ。


 覚悟を決め、再び防寒着を着込み、ソリを肩に担ぎ、外へ出た。


 しかし途中で近所の子どもに見つかり、


「おじさーん、それプリキュアのやつだよね?」


「違う、違うんだこれは事情があってだな」


「えー似合ってるよー!」


「似合ってるってなんだ!!」


 元日早々、子どもにメンタルを削られる50歳。


 なんとか綿内宅にソリを返し、深く礼を言って家へ戻る。



---


【1月1日・夕方〜夜】


 ストーブが効いた部屋で、戸隠はようやく落ち着いて座った。


 しかし油断はできない。

 財布にはまだ1万3000円ほどしか残っていない。


 正月の食料も十分とは言えず、

 暖房以外のあらゆるリスクがまだ残っている。


「まだ……1月1日が終わっただけか……」


 そして、部屋の片隅には、

破裂した『さわやかアップルミント』の残骸。


「……なんで俺の元日は、こんなバラエティ番組みたいな展開なんだ……」


 戸隠は頭を抱え、静かに天井を見上げた。


 だが、暖かい部屋で飲む白湯はうまかった。

 少なくともこの日、凍死の危険は回避したのである。

液体のトイレ消臭剤の破裂…ここまで派手に破裂することはないが、実際に2025年の劇場版名探偵コナン『隻眼の残像』の舞台…の隣村であり、信濃川の源流である川上村のトイレで破裂して裂けていたことが…

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