昼行灯にして光るもの 第7話 屋上の伝言
長野総合通信局の屋上は、街の喧騒から切り離された、奇妙な静けさに包まれていた。
アンテナ群が冬の光を受けて鈍く光り、遠くには犀川と長野市街の輪郭が見える。
風が冷たい。
手すりの金属を握ると、皮膚が張り付くほどの冷えだった。
戸隠は、工具袋を肩に掛けたまま、空を仰いだ。
少し遅れて奈良井が屋上に現れ、手袋を外しながら小声で言った。
「戸隠主任……“伝言”を預かってます」
その声は、冷気に混じって小さく震えていた。
戸隠は目を細め、言葉を促した。
「高井さんからか?」
「はい。ただし、官邸経由ではなく……“個人として”だそうです」
奈良井は胸ポケットから折り畳まれたメモを取り出した。
白い紙に、万年筆の青いインクで短く書かれている。
> “再び、国を守る雑音を拾ってほしい。
> 戸隠くんにしか聞き分けられない音がある。”
読み終えると、戸隠は静かに笑った。
「……相変わらず、詩人みたいなことを言う」
「総理が、あなたにそう呼びかけるのは特別なことです。
いま、霞が関では“行政ネットワークからの漏洩疑惑”が再燃していて……。
関係者の一部が、総務省内部にいると」
奈良井の言葉が風に消されかけた。
戸隠は無言のまま、工具袋を下ろし、無線アンテナのボルトを軽く叩いた。
「……昔も、似たような話があったな」
「高井総理がまだ総務大臣だったころの……?」
「そうだ。あのときも、情報がどこかから漏れてた。
表向きは“外部流出未遂”で済んだが、あれは官僚間の権力争いだ」
彼の声には、記憶の底から立ち上がる鈍い痛みがあった。
総務本省の電波部監視管理室――若き日の自分。
霞が関のど真ん中で、政治の臭いと現場の正義の狭間にいた時代。
「……あのとき、俺は監視の仕事をしていたが、監視すべきは“人”だった。
電波よりも、人間のほうがよっぽど雑音を出す」
奈良井が息をのむ。
「それでも、総理はあなたに頼りたいと……」
「ありがたい話だがな。俺は今、ここで雑音を聞いてる。
あの人は“国を守る”雑音を拾えと言うが、俺は“街を守る”雑音を拾うのが性に合ってる」
戸隠は、アンテナの基部に触れながら、低く笑った。
「昼行灯は昼にしか灯れないんだよ。夜の光にはなれねぇ」
風が強く吹き、メモの端がひらりと舞い上がった。
奈良井が慌てて押さえる。
その様子を見て、戸隠は肩をすくめた。
「その紙、風に飛ばすな。証拠は残さない主義だ」
「了解です。……ただ、総理は“返事を待ってる”と」
戸隠は少しだけ空を見上げた。
冬の雲の切れ間に、淡い陽が差し込んでいた。
「返事か……じゃあ、伝えてくれ。
“電波は現場で拾うものだ。官邸には届かない波もある”ってな」
奈良井が頷いた。
彼の眼差しには、尊敬と戸惑いの両方が混じっていた。
戸隠は階段に向かいながら、ふと立ち止まる。
「奈良井。高井さんに言っとけ。“雑音は、いつだって人の心の中にある”って」
そして軽く手を振り、ゆっくりと階段を下りていった。
屋上には、風の音とアンテナの微かな共鳴だけが残った。
――それは、国家の中枢と現場の狭間を結ぶ、かすかな周波数のようだった。




