昼行灯にして光るもの 第6話 雑音のない朝
長野総合通信局の朝は、無線のように静かに始まる。
庁舎前あさひ町坂のポプラ並木が風に揺れ、落ち葉が舗道に転がるたび、どこかからラジオ体操の音が漏れてくる。
庁舎玄関をくぐる職員の姿も、どことなく淡々としている。
戸隠弘明は、いつもどおり8時25分に出勤した。
タイムカードを押す音も、もう癖のようなものだ。
ラジオ監視課の執務室に入ると、すでに新津課長が新聞片手にコーヒーをすすっていた。
「おはようございます」
「おう、戸隠。昨日は夜遅くまで動いてたそうじゃないか」
「いえ、ちょっと大家さんの家に寄っただけです」
淡々と答える戸隠に、新津はちらりと視線を送る。
その表情に、どこか探るような色が混じっていた。
「……なんだか、顔がスッキリしてるな。良いことでもあったのか?」
「寝る前に風呂を沸かしすぎまして。頭まで煮えたのかもしれません」
「はは、そりゃ結構」
戸隠は席につき、端末を立ち上げた。
DEURASセンサのモニターには、須坂、上田、佐久南――各地の電波観測データがゆっくりと更新されていく。
画面上の方位線がゆらりと動き、ひとつの周波数帯を示した。
「……またこの波だな」
つぶやきながら、戸隠はメモ帳を開く。
同じ時刻帯、同じ方向、同じ信号強度――この一週間、妙に一致していた。
「戸隠、なにか引っかかったのか?」
「いえ、ただの生活ノイズかもしれません。……でも、もし意図的なら、なかなか上手い隠し方です」
その声音に、新津が一瞬まばたきをした。
「生活ノイズ、ねぇ……お前がそう言うと、妙に気になるな」
戸隠は肩をすくめ、ディスプレイを閉じた。
「仕事ですから」
いつもの口癖のようにそう言って、立ち上がる。
廊下に出ると、向こうから奈良井が駆けてくるのが見えた。
若手の彼は、まだスーツが板につかない。
それでも、戸隠を見つけると小さく息を整えた。
「戸隠主任、おはようございます。ちょっと、局長室から呼び出しです」
「また、ですか?」
「いえ……“正式ではないほうの”呼び出しです」
戸隠は足を止めた。
奈良井の声の調子に、ただならぬ気配を感じ取る。
彼の口から出る「非公式」の言葉は、単なる伝達ではない。
「……どこで?」
「屋上の無線アンテナの点検という名目で」
廊下の空気が、わずかに冷えた。
戸隠はゆっくりと息を吐き、ポケットから工具入れを取り出した。
「なるほど、点検か。……じゃあ、スパナでも持っていこう」
奈良井が苦笑しながら頷く。
庁舎の上階へと上がる二人の足音が、階段に静かに響いた。
その背後では、いつもどおりの午前の業務が続いている。
コピー機の音、電話のベル、遠くで鳴る無線の信号音。
――そのすべての中に、戸隠は耳を澄ませていた。




