晩秋の花火と昼行灯電波監視官 後編 犀川の夜空に
十一月二十三日、午後5時45分。
気温は六度。吐く息が白い。
犀川の河川敷に設営された打ち上げ台の向こう、黒い山影の上には、星がまばらに瞬いている。
若里多目的広場の片隅には、白いワンボックス——長野総合通信局のDEURAS-M6が停まっていた。
外気を遮断するため、ドアはぴたりと閉ざされているが、中では三人がモニターの光に照らされている。
「……うーん、寒い」
助手席の名立が小さく唸る。
「当たり前だ。長野の夜をなめんな」
「いや、そうじゃなくて。東京ドームは暖房効いてるんですよ、今ごろ推しが“みんなー!”って叫んでる時間で……」
「名立、実況すんな。現場だ」
「現場がぬるいんですよ」
運転席には戸隠弘明。
後部座席には島見杏果。
モニターには150MHz帯と400MHz帯のスペクトラムが、青い線で滑らかに描かれている。
ノイズも少なく、異常信号もない。
「平和ですね」
島見がぽつりと言う。
「平和が一番だ」
「でも、こんなに何もないと……眠くなりますね」
「寝るな。いざって時に反応できん」
「……はい」
そんなやりとりをしていると、花火の一発目が空を割った。
ドォン!という重低音が、車体を震わせる。
車内のモニターに、一瞬だけノイズが走った。
「おっと、きたか?!」
名立が身を乗り出す。
「花火だ」
「ちぇっ」
「お前、なんで残念そうなんだ」
「いや、せっかくなら仕事したって記録残したいじゃないですか」
戸隠は苦笑して、缶コーヒーを開けた。
プシュという音が、外の打ち上げ音にかき消される。
「そういう仕事じゃねえんだよ。何も起きないって報告書に書くのが、俺たちの仕事だ」
「“発生なし”が最良の結果、ですね」
島見が笑う。
「そういうこった」
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外では次々と花火が打ち上がる。
夜空に咲く大輪の光が犀川を照らし、対岸の家々の窓ガラスに反射する。
遠くの観覧客の歓声が、風に乗って届いた。
「いいですねぇ……」
「おい、島見、仕事しながらうっとりすんな」
「だって、こんなに近くで花火見られるの、初めてですもん」
「夢の国よりいいか?」
「うーん……混んでない分だけマシです」
「お、意外に現実的だな」
名立はモニターを眺めながらため息をついた。
「俺も推しが見えたらがんばれるんですけどね」
「……そういえば、推しって誰だ?」
「“ドッペル坂16”の中条みなみちゃんです!」
「おお、知ってるぞ。うちの局の電気通信振興課主催の地域ICTで司会してた子だ」
「でしょ!? あの子、神なんですよ」
「島見、お前の推しは?」
「うーん……強いて言えば、湯上がりの牛乳です」
「地味すぎるだろ」
車内に笑いが起きた。
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午後七時半。
花火のピークに合わせ、DEURASのモニターにもスパイクが幾度か立った。
「どうせ花火の電磁ノイズです」と島見が淡々と記録する。
「そっちのほうが信頼できるな」
「だって妨害波の形じゃないですもん」
「おお、頼もしいねぇ。新人も板についてきたな」
「ありがとうございます。戸隠さんほどじゃないですけど」
「いや、俺はこういう静かな現場が好きなんだ。騒ぎが起きたら飯がまずくなる」
その瞬間、車内のスピーカーが小さくノイズを吐いた。
「……ビーッ……ビーッ……」
「……あ?」
名立が眉をひそめた。
「150.050MHz、今一瞬スパイク立ちました」
「観測ログ出せ」
島見がすぐに端末を操作する。波形ログが表示され、微弱なピークが数秒間だけ出ている。
「妨害波……か?」
「いや、出力が弱すぎますし、長野北と須坂の方位線はイヲンモール付近ですから、その辺りで非合法に使われているハンディ機かも」
「駐車場の整理で使ってるんだろ…後日こいつは炙り出そう」
「そうですね……」
戸隠は少し間をおいて、空を見上げた。
「こういう時、無線って面白いよな。見えないのに、全部どこかで繋がってる」
「それが通信の醍醐味、ですね」
「そうだ。誰かの声がどこかに届いて、意味が生まれる。それがちゃんと守られてる限り、俺たちの仕事は成功なんだ」
「……なんか今日、哲学モード多くないです?」
「名立、お前さっきから煩い」
「だって、推しが恋しくて……」
再び笑いが起こる。
外ではクライマックスの花火が始まっていた。
轟音の連続、夜空を埋め尽くす光の群れ。
まるで犀川の上に、昼が戻ってきたようだった。
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午後8時35分。
花火は終了。観覧客の拍手が波のように広がり、やがて静けさが戻る。
DEURASの画面には、平穏な水平線。
名立がログを保存し、島見が装備を片づける。
「……結局、何もなし、ですね」
「それでいい。報告書のタイトルは“異常電波発生なし”だ」
「シンプルすぎる」
「役所の文書ってのはな、無事が一番長生きするんだよ」
戸隠が笑う。
名立は窓の外を見ながらぽつりと言った。
「“やんごとなきお方”って、ほんとに来てたんですかね?」
「さあな。俺たちに関係あるのは電波だけだ」
「でも、なんか守った気がしますね」
「うむ」
「……あの、戸隠さん」
「ん?」
「今度の年末調整、手伝ってもらえません?」
「お前、それは別の意味で面倒くさい」
車内に再び笑いが満ちた。
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帰庁は午後十時を回っていた。
庁舎の明かりはほとんど落ち、廊下の蛍光灯がひと筋だけ灯っている。
名立が伸びをしながら言った。
「いやー、花火の現場で残業。なかなかレアですよね」
「静かな現場ほど危ないって言うけど、今日は例外だな」
「島見、初めての“夜間任務”どうだった?」
「寒かったです。でも、ちょっと好きになりました。こういう仕事」
「それは何より」
新津課長が階段の上から顔を出した。
「おう、戻ったか。お疲れ」
「課長、何も起きませんでした」
「そうか、それが一番だ」
「……で、次の休日は?」と名立が恐る恐る聞く。
「来週末。あ、戸隠、お前、来週の庁舎防災訓練にも出ろよ」
「……課長、それ、聞いてません」
「今言った」
再びため息。
名立が笑いながら言った。
「戸隠さん、ほんとに昼行灯ですね」
「おう、昼行灯は夜でも灯るんだよ」
「それ、矛盾してません?」
「そういうもんだ」
三人の笑い声が、夜の庁舎にこだました。
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そして翌朝、長野市の地方紙の片隅に、小さな記事が載った。
> 『ながのえびす講大煙火大会 盛況のうちに終了 トラブルなし』
それを読んだ戸隠は、缶コーヒーを片手に言った。
「“なし”って、いい言葉だな」
名立が頷く。
「“なし”のために働くのが、俺たちですから」
島見が笑った。
「はい、“異常なし”が一番平和です」
窓の外には、冬の入り口のような冷たい青空。
その下で、長野の街はいつも通り、静かに電波を飛ばしていた。




