表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/84

晩秋の花火と昼行灯電波監視官 後編 犀川の夜空に

 十一月二十三日、午後5時45分。

 気温は六度。吐く息が白い。

 犀川の河川敷に設営された打ち上げ台の向こう、黒い山影の上には、星がまばらに瞬いている。


 若里多目的広場の片隅には、白いワンボックス——長野総合通信局のDEURAS-M6が停まっていた。

 外気を遮断するため、ドアはぴたりと閉ざされているが、中では三人がモニターの光に照らされている。


 「……うーん、寒い」

 助手席の名立が小さく唸る。

 「当たり前だ。長野の夜をなめんな」

 「いや、そうじゃなくて。東京ドームは暖房効いてるんですよ、今ごろ推しが“みんなー!”って叫んでる時間で……」

 「名立、実況すんな。現場だ」

 「現場がぬるいんですよ」


 運転席には戸隠弘明。

 後部座席には島見杏果。

 モニターには150MHz帯と400MHz帯のスペクトラムが、青い線で滑らかに描かれている。

 ノイズも少なく、異常信号もない。


 「平和ですね」

 島見がぽつりと言う。

 「平和が一番だ」

 「でも、こんなに何もないと……眠くなりますね」

 「寝るな。いざって時に反応できん」

 「……はい」


 そんなやりとりをしていると、花火の一発目が空を割った。

 ドォン!という重低音が、車体を震わせる。

 車内のモニターに、一瞬だけノイズが走った。


 「おっと、きたか?!」

 名立が身を乗り出す。

 「花火だ」

 「ちぇっ」

 「お前、なんで残念そうなんだ」

 「いや、せっかくなら仕事したって記録残したいじゃないですか」


 戸隠は苦笑して、缶コーヒーを開けた。

 プシュという音が、外の打ち上げ音にかき消される。

 「そういう仕事じゃねえんだよ。何も起きないって報告書に書くのが、俺たちの仕事だ」

 「“発生なし”が最良の結果、ですね」

 島見が笑う。

 「そういうこった」



---


 外では次々と花火が打ち上がる。

 夜空に咲く大輪の光が犀川を照らし、対岸の家々の窓ガラスに反射する。

 遠くの観覧客の歓声が、風に乗って届いた。


 「いいですねぇ……」

 「おい、島見、仕事しながらうっとりすんな」

 「だって、こんなに近くで花火見られるの、初めてですもん」

 「夢の国よりいいか?」

 「うーん……混んでない分だけマシです」

 「お、意外に現実的だな」


 名立はモニターを眺めながらため息をついた。

 「俺も推しが見えたらがんばれるんですけどね」

 「……そういえば、推しって誰だ?」

 「“ドッペル坂16”の中条みなみちゃんです!」

 「おお、知ってるぞ。うちの局の電気通信振興課えいぎょう主催の地域ICTで司会してた子だ」

 「でしょ!? あの子、神なんですよ」

 「島見、お前の推しは?」

 「うーん……強いて言えば、湯上がりの牛乳です」

 「地味すぎるだろ」

 車内に笑いが起きた。



---


 午後七時半。

 花火のピークに合わせ、DEURASのモニターにもスパイクが幾度か立った。

 「どうせ花火の電磁ノイズです」と島見が淡々と記録する。

 「そっちのほうが信頼できるな」

 「だって妨害波の形じゃないですもん」

 「おお、頼もしいねぇ。新人も板についてきたな」

 「ありがとうございます。戸隠さんほどじゃないですけど」

 「いや、俺はこういう静かな現場が好きなんだ。騒ぎが起きたら飯がまずくなる」


 その瞬間、車内のスピーカーが小さくノイズを吐いた。

 「……ビーッ……ビーッ……」

 「……あ?」

 名立が眉をひそめた。

 「150.050MHz、今一瞬スパイク立ちました」

 「観測ログ出せ」

 島見がすぐに端末を操作する。波形ログが表示され、微弱なピークが数秒間だけ出ている。


 「妨害波……か?」

 「いや、出力が弱すぎますし、長野北と須坂の方位線はイヲンモール付近ですから、その辺りで非合法に使われているハンディ機かも」

 「駐車場の整理で使ってるんだろ…後日こいつは炙り出そう」

 「そうですね……」


 戸隠は少し間をおいて、空を見上げた。

 「こういう時、無線って面白いよな。見えないのに、全部どこかで繋がってる」

 「それが通信の醍醐味、ですね」

 「そうだ。誰かの声がどこかに届いて、意味が生まれる。それがちゃんと守られてる限り、俺たちの仕事は成功なんだ」

 「……なんか今日、哲学モード多くないです?」

 「名立、お前さっきから煩い」

 「だって、推しが恋しくて……」


 再び笑いが起こる。

 外ではクライマックスの花火が始まっていた。

 轟音の連続、夜空を埋め尽くす光の群れ。

 まるで犀川の上に、昼が戻ってきたようだった。



---


 午後8時35分。

 花火は終了。観覧客の拍手が波のように広がり、やがて静けさが戻る。

 DEURASの画面には、平穏な水平線。

 名立がログを保存し、島見が装備を片づける。


 「……結局、何もなし、ですね」

 「それでいい。報告書のタイトルは“異常電波発生なし”だ」

 「シンプルすぎる」

 「役所の文書ってのはな、無事が一番長生きするんだよ」


 戸隠が笑う。

 名立は窓の外を見ながらぽつりと言った。

 「“やんごとなきお方”って、ほんとに来てたんですかね?」

「さあな。俺たちに関係あるのは電波だけだ」

「でも、なんか守った気がしますね」

「うむ」

「……あの、戸隠さん」

「ん?」

「今度の年末調整、手伝ってもらえません?」

「お前、それは別の意味で面倒くさい」


 車内に再び笑いが満ちた。



---


 帰庁は午後十時を回っていた。

 庁舎の明かりはほとんど落ち、廊下の蛍光灯がひと筋だけ灯っている。

 名立が伸びをしながら言った。

 「いやー、花火の現場で残業。なかなかレアですよね」

「静かな現場ほど危ないって言うけど、今日は例外だな」

「島見、初めての“夜間任務”どうだった?」

「寒かったです。でも、ちょっと好きになりました。こういう仕事」

「それは何より」


 新津課長が階段の上から顔を出した。

「おう、戻ったか。お疲れ」

「課長、何も起きませんでした」

「そうか、それが一番だ」

「……で、次の休日は?」と名立が恐る恐る聞く。

「来週末。あ、戸隠、お前、来週の庁舎防災訓練にも出ろよ」

「……課長、それ、聞いてません」

「今言った」


 再びため息。

名立が笑いながら言った。

「戸隠さん、ほんとに昼行灯ですね」

「おう、昼行灯は夜でも灯るんだよ」

「それ、矛盾してません?」

「そういうもんだ」


 三人の笑い声が、夜の庁舎にこだました。



---


 そして翌朝、長野市の地方紙の片隅に、小さな記事が載った。

 > 『ながのえびす講大煙火大会 盛況のうちに終了 トラブルなし』


 それを読んだ戸隠は、缶コーヒーを片手に言った。

 「“なし”って、いい言葉だな」

名立が頷く。

「“なし”のために働くのが、俺たちですから」

島見が笑った。

「はい、“異常なし”が一番平和です」


 窓の外には、冬の入り口のような冷たい青空。

 その下で、長野の街はいつも通り、静かに電波を飛ばしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ