晩秋の花火と昼行灯電波監視官 前編 花火よりアツいモニタリングルーム
11月20日、14時。
長野市朝日町。長野総合通信局の4階、電波監視課の一角。
窓の外では、北信らしい鉛色の雲がゆっくりと流れていた。
湯呑み片手に、戸隠弘明は、ため息をひとつつく。
手元のカレンダーには「11/23 ながのえびす講大煙火大会」と書かれ、赤丸で囲まれている。
——露天風呂から、花火。
それが三日前からの楽しみだった。
大豆島の温浴施設「あったか苑」。露天の湯船に浸かりながら、犀川河川敷に打ち上がる晩秋の花火大会を遠く眺める——完璧な秋の夜の計画である。
だが、電話のベルが鳴るのを見た瞬間、彼は嫌な予感がした。
「戸隠係長、課長が局長室に呼ばれましたね…。なんか、キナくさい話でなければ良いのですが」
声の主は隣席の名立達也。電波監視課の技官。そろそろ係長になるかもしれないと言われながらも、休日はアイドル追っかけに全力投球する男だ。
「……また変な依頼か?」
「たぶん。今、局長室から戻ってくるかと…」
数分後、扉が開いた。
現れたのは、電波監視課長の新津。
疲れ気味の表情ながらも、手には何枚かの資料を持っている。
「全員、ちょっと聞いてくれ」
課長の声に、室内の空気が一瞬ピンと張り詰めた。
「今朝、長野県警から非公式に情報が入った。二十三日のながのえびす講大煙火大会がよく見える場所に、天皇皇后内親王がプライベートでお見えになるそうだ」
ざわつく室内。
「え……マジっすか?」と名立。
「プライベートって……じゃあ、うちは関係ないんじゃ?」と島見杏果が言う。
島見は20歳。短大を出たばかりの新人事務官だ。
若いのに落ち着いた口調で、書類を持つ姿が妙に真面目くさい。
その彼女がきっぱりと尋ねた。
「私たちが動く理由、ありますか?」
新津課長は苦笑いした。
「本来なら、ない。だが、電波妨害から月潟財閥令嬢が狙われる事件があっただろう? それ以来、総理から“念には念を入れろ”と大臣にお達しが来ている。警護側の通信トラブルが起きないよう、事前に無線妨害がないか監視しておくよう要請された。それに今回はドローン800台使ったショーもあるらしいしな。」
名立がぼそっとつぶやく。
「いや~……その日、オレ東京ドームでライブなんすけど」
「ダメだ、名立」
新津課長の声が被さる。
「家族持ちはいろいろ言い訳が立つが、独身者はな……。うちの独身組は戸隠、名立、島見、それと臼田だが、臼田は昨日イヌの散歩中にクマに遭遇して逃げる際に転倒して足を骨折。入院中で戦力外だ」
「……じゃ、残り三人」
「その三人で頼む。責任者は戸隠」
沈黙が落ちた。
「……え、ちょ、課長、俺ですか?」
戸隠が湯呑みを置いた。
「せっかく風呂に入りながら花火を見ようと……」
「風呂は来年も入れる。だが“やんごとなき人”は今年だけかもしれん」
「その理屈おかしくないですか」
「それにもし、“やんごとなき人”の身に何かあれば、月潟財閥令嬢事件どころではない、国家存立にもかかわる…。で、戸隠、お前独身だろ?」
「……そういう問題か」
新津は淡々と資料を配った。
「会場は犀川河川敷。お前らの待機場所は長野赤十字病院隣の若里多目的広場。DEURAS-M6を出す。警察と消防が無線を多用するから、150MHz帯、400MHz帯とドローンの制御周波数である5.7GHzを重点的に監視だ」
名立が机に突っ伏す。
「せっかく取ったチケットが……」
「夢の国の予定、どうしよう……」と島見が小声でつぶやいた。
「夢の国?」
「はい、千葉にある……」
「なるほど。お前もキャンセルだ」
「……はい」
課長が退室したあと、残された3人は顔を見合わせた。
沈黙を破ったのは戸隠だ。
「……まあ、やるしかないか。誰も怪我しなきゃそれでいい」
「花火の監視なんて聞いたことないですよ」
「我々、何でも屋だからな。電波が出りゃ現場、出なきゃ退屈」
名立が腕を組んで唸った。
「はぁ……ドームの推し、泣くな……」
「仕事だ、名立」
「分かってますよ、戸隠さん。俺だって公務員ですからね……ただ、よりによって、花火と推しが同日とは」
戸隠は笑いながら立ち上がった。
「いいじゃないか。花火だって推しのステージみたいなもんだ。光って消えて、誰かの記憶に残る。人生も電波も同じ、一瞬の輝きだ」
「また始まったよ哲学モード……」と名立が呆れた声を出し、島見はくすっと笑った。
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午後五時半。監視課の車庫。
DEURAS-M6が静かにエンジンをかけられ、機材のチェックが始まる。
アンテナ、スペクトラムアナライザ、受信機、ログ端末。
島見が点検表を読み上げ、名立がデータを確認する。
「周波数スキャン、正常。GPS同期OK」
「150MHz帯、ノイズフロア安定。400MHz帯も異常なし」
「いいぞ。今夜、花火でスパークしても機械は壊すなよ」
「戸隠さん、それ前も言ってました」
「だって実際、夏に名立が花火の連絡用の電波拾って“妨害波だ!”って叫んだだろ」
「いや、あれは本当に波形が似てたんですって!」
そんな調子で、現場前からすでに賑やかだった。
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22日の予行演習でも彼らは若里多目的広場に入った。
河川敷の奥ではステージ設営が進み、屋台の鉄板が鳴り始めていた。
「いい場所ですねぇ……」
「そうだろう。あったか苑の露天風呂からも、ここの花火が見えるんだ」
「未練たらたらですね」
「当然だ。お前だってそうだろ…」
「係長…ようやく吹っ切れたのに…!
夕方、太陽が沈む頃。
テスト打ち上げの音が響いた。
ドーン、と空気が震える。
戸隠は腕を組んで空を見上げる。
「こうして現場に出ると、結局は悪くないもんだな」
「え?」
「風呂で見るより近いし、空気もうまい。なにより——」
彼はモニタに映る電波の波形を見つめた。
「——仕事してるって感じがする」
名立がにやりと笑う。
「戸隠さん、珍しく真面目なこと言いましたね」
「お前もたまには感心しろ」
「いや、褒めてますって!」
杏果が吹き出し、三人の笑い声が夕闇に溶けた。
静かな犀川の風に、機材のLEDランプがまたたく。
それはまるで、花火の前哨戦のようだった。




