欲望のはての 第4話 沈黙の送信機
夜の国道113号。海から吹きつける風が、秋の夜気を一段と冷たくしていた。
DEURAS-M6の車内には、モニターの淡い光が揺れている。
長野総合通信局から派遣された戸隠弘明と部下の名立と島見。それに免許課の若手職員の佐和田が乗り合わせていた。
「……ピークは東北東方向。出力は40W前後。移動局じゃない、固定だな」
名立がモニターの数値を指でなぞりながら言う。
DEURASの方位線が、工業団地の倉庫群の一点を指し示していた。
戸隠は缶コーヒーを一口すすり、ぼそりと呟く。
「澄佳嬢を狙った妨害波、元を断つなら今夜しかねえな」
「おっかないこと言いますね、戸隠さん。こっちはただの技術畑の役人で、刑事じゃないんですよ」
「わかってるさ。こういう夜は、技術屋が一番頼りになる」
名立は苦笑した。
車内の空気は、緊張と冗談の入り交じる独特の静けさに包まれていた。
---
DEURASが示した地点は、東港の工業団地の一角。
夜間でも作業灯が灯る物流施設が並ぶ中、ひときわ暗い建物があった。
看板には「村松交易」とある。
既に倒産したはずの中小商社。そのシャッターが半分開いていた。
「……潰れたはずの会社が、夜に電気をつけ、そこから電波出してる。出来すぎてるな」
戸隠は懐中電灯を手に取り、慎重に進む。
白根と若手職員が後に続く。
建物の奥から、低いハムノイズが聞こえてきた。
名立が息を呑む。「送信機の発振音……間違いないですねぇ」
薄暗い事務室の片隅。古いスチール棚の裏に、銀色の無線機と自動車用バッテリーが接続されていた。アンテナケーブルは窓の外へ。
それは素人工作に見せかけた、明確な妨害用送信機だった。
「150MHz帯にある月潟シークレットサービスの周波数にホワイトノイズで埋めてる……かなり意図的ですね」
佐和田が記録用カメラを回しながら言った。
戸隠は眉を寄せ、送信機に近づく。
「電源ライン……外部から遠隔操作できるようになってるな。誰かがモバイルルータ経由で制御してる」
「黒部……ですかね」
白根の声が低く響いた。
その名を聞いた瞬間、戸隠の中に、昨日見た黒いコートの男の姿が蘇る。
---
その頃、黒部は市内のホテルの一室でパソコンの画面を睨んでいた。
通信ログの一行が赤く点滅する。
『干渉信号 異常停止』
「……ふん。監視官が来たか」
口元に冷たい笑みを浮かべ、ワインを傾けた。
背後のテーブルには、分厚い封筒が無造作に積まれている。
そこには「トリアクト株取引」「口座:海外法人名義」と記されていた。
「月潟財閥を揺さぶれば、トリアクトの信用は揺らぐ。澤井の会社も終わりだ。俺の狙いは金じゃない。澤井そのものだ」
黒部の目は狂気ではなく、確信に満ちていた。
元・ITの天才的な技術者として、そして今はサイバーテロリストとして。
---
一方、倉庫内の調査が進んでいた。
白根が配線を辿っていくと、バッテリーからさらに細い線が延びている。
辿ると、それはトラックの荷台に接続されていた。
そして、その荷台の上には、もう一台の送信装置――小型中継機が積まれていた。
「移動局を使った二段中継……本気で護衛無線を潰す気だな」
戸隠が唸る。
中継機はリレー式で、どこからでも遠隔起動できるよう細工されていた。
電波法違反どころか、ほとんどサイバー攻撃に近い。
「すげぇな……こいつ、通信インフラの裏を知ってやがる」
「そりゃそうだ。有線・無線ともに精通した天才的な技術者の黒部だ。情報通信の穴を突くのが商売みたいなもんさ」
戸隠は現場を撮影し、電波のピークを再測定した。
すると、さらに強い発射源が北方向にあることが判明する。
「……メインの送信局は別だな。こいつは囮だ」
---
その報告を受け、長野の庁舎では主任電波監視官の松本がデータ解析に追われていた。
モニターに複数の波形が並び、彼は眉間に皺を寄せる。
「妨害波の発信間隔が一定じゃない……むしろ、トリアクトの市場外取引株価と同期してる?」
側で聞いていた免許課職員が驚きの声を上げる。
「それって、株式取引と連動してるってことですか?」
「はい。黒部は月潟財閥の株取引を操作するために、護衛無線を使って事件を演出してるんです。
株価が乱れれば、財閥本体は動揺し、トリアクトの株が売られる……」
松本は指を止め、呟く。
「やはり、目的は月潟財閥じゃなく――トリアクトそのもの」
---
夜明け前、倉庫街に再び海風が吹き抜けた。
戸隠たちは撤収準備を終え、最後の測定を確認していた。
外の港では、フォークリフトのエンジン音が遠く響く。
「ここは警察に引き継ぐ。証拠は揃ったな」
「ええ。これで少なくとも、護衛無線の妨害は止まるでしょう」
名立が笑う。その顔には疲労の色が浮かんでいた。
戸隠はポケットからチュッパチャップスを取り出しかけ、思い直して仕舞う。
「赤塚の奴に連絡しとく。県警も動くはずだ」
「赤塚って……あの刑事さんですか」
「ああ。従兄弟なんだ。妙な縁でな」
戸隠の声には、どこか頼もしさがあった。
---
その頃、黒部は逃走の準備を整えていた。
ノートPCを閉じ、送信機材をバッグに詰める。
窓の外、夜明けの新潟港が青く光っていた。
「ゲームはまだ終わっちゃいない。全ては呼吸する。
通信も、社会も、人間も……情報で動く生き物だ」
黒部は独り言のように呟き、微笑む。
その瞳に映るのは、次の手――
月潟澄佳を狙った「次の段階」だった。
---
一方その頃、戸隠はDEURAS-M6の運転席で缶コーヒーを開けていた。
朝焼けが車体を照らす。
助手席の名立が苦笑する。
「朝まで仕事して、コーヒーですか。健康に悪いですよ」
「いいんだよ、昼行灯は夜に灯るもんだ」
「またうまいこと言いますねえ」
車内に笑いが戻る。
しかしその背後、DEURASのモニターには、微かに新しい波形が現れつつあった。
周波数――150.025MHz。
再び、妨害波の兆候が。
戸隠は目を細め、呟いた。
「黒部……まだ終わっちゃいねえか」




