欲望のはての 第2話 10月…妨害電波と財閥令嬢
黒部という男
新潟駅前の雑居ビルの一室に、五泉啓太と村松英二が呼び出されていた。六畳ほどの狭い部屋に、安っぽい蛍光灯がぶら下がる。だが中央に立つ男の存在感が、室内の空気を張り詰めさせていた。
「紹介する。俺が黒部だ」
四十代半ば。鋭い眼光と精悍な顔立ち。かつて大手証券会社に在籍していたとの噂もあるが、今は影の世界で生きる男。冷たい笑みが、空間に沈黙をもたらす。
五泉は不満げに唇を噛む。
「俺たちは……あの小娘に人生を潰された。だが、あんたに協力する理由はない」
黒部は机に資料を置き、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「そうかな? 見てくれ」
机上には、株価の推移と企業名が並ぶ資料が広がる。
「トリアクト。東証プライム上場の情報通信大手だ。月潟財閥は発行済株式の5%…時価総額で言えば10億円分を保有している。この株を財閥本体に売却させる。形式は資産の組み替えだが、実際には身代金の裏返しになる。澄佳嬢を人質にすれば、月潟は動かざるを得ない」
村松の目が見開かれる。
「……身代金を株の売却益に偽装するってことか」
黒部は頷き、机の上で指を擦る。
「そうだ。そして、ただの拉致ではつまらん。月潟シークレットサービスの護衛無線を潰す。150MHz帯で使われている連絡波を強烈に妨害してやる。そして、それで月形財閥の令嬢を孤立させ…」
「拉致する…という訳か…しかし、上手くいったとして取り分は?」
「俺の取り分はアイディア提供料として2%…つまり時価で言えば2000万円前後で良い」
五泉は唇を噛みしめる。復讐の炎に理性を飲まれながらも、どこかで自分たちが道具にされている感覚を抱いていた。しかし、黙るほかはなかった。
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令嬢と護衛の混乱
十月の冷たい風が新潟市内を吹き抜ける。
月潟澄佳は、放課後の学園を後にし、月潟シークレットサービスの護衛に囲まれて帰宅の途に就いていた。護衛車両の無線は通常通り稼働しているはずだったが、その日は何かが違った。
「……ざっ……配置……くぁっ……」
「もう一度言ってください! 聞こえません!」
焦る護衛たちの声。澄佳も足元がふらつくほどの不安を隠せなかった。
「無線が……使えない?」
護衛責任者は歯噛みする。150MHz帯のクリアな周波数が、まるで濁流に飲まれたかのように雑音に覆われていた。業務妨害どころか、命に関わる問題だ。
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長野総合通信局の出動
報告は即座に、長野総合通信局に上げられた。
庁舎の会議室で、戸隠弘明は島見杏果と共に状況を聞いていた。
「澄佳嬢の護衛無線に、集中的な妨害が発生しています」
説明するのは長野総合通信局の免許課担当職員。顔色は険しい。
戸隠は頭を掻きながら、ぼそりと言った。
「嬢ちゃんの身辺でだけノイズが踊る……偶然じゃないな」
島見杏果は澄佳より学年が上であり、先輩としての落ち着きと指導力を発揮する。
「はい。妨害は意図的です。150MHz帯を狙ったもので、護衛任務中のみ発生しています。澄佳ちゃん…もとい月形財閥令嬢の安全のため、迅速に対応が必要です」
「出動だな」
戸隠は立ち上がった。
「DEURASを使って追うぞ」
出発の準備が整うと、島見は資料を精査し、護衛スケジュールと妨害発生の時間を照合した。
「やはり、澄佳が護衛を伴う時に集中している。狙いは無線ではなく、本人ですね」
戸隠は頷く。
「なるほど。狙いは澄佳嬢か……」
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しろね電波工房の白根善一
現場調査に同行したのは、納入業者「しろね電波工房」の白根善一。
三十代半ば、無精髭に丸眼鏡、作業着のポケットには半田ごてとテスター。
「いやあ、まさか自分が納入した機材がこんな事件に関わるとは。責任重大ですわ」
飄々とした口ぶりだが、手元は正確だ。護衛車両に積まれた受信機を点検し、外来ノイズを測定する。
「ふむ……出力はかなり強い。固定局じゃなく、移動局からの発射でしょうな。車載送信機です」
島見が測定値を覗き込み、眉をひそめる。
「北西方向……万代シテイ方面かもしれません。新潟中央女子学園の授業が終わり生徒が出歩く時間と重なっています」
戸隠は鼻を鳴らす。
「なるほどな……狙われるとしたら、やはり放課後か」
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妨害の分析と対策
島見は妨害データを徹底的に洗い直した。護衛スケジュールと照合した結果を戸隠に差し出す。
「ご覧ください。妨害はすべて澄佳が護衛されている時に集中しています。護衛が動かない日は妨害はゼロです」
戸隠は目を細めた。
「つまり、狙いは無線じゃなく、嬢ちゃん本人……」
「護衛の連絡を潰して拉致や襲撃を仕掛けやすくする意図があります」
島見は冷静に説明する。
「私たちは最悪の事態も想定して対応を組む必要があります」
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黒部の影
その頃、黒部は新潟市内の別室で通信機材を操作していた。高出力の送信機が、護衛連絡用無線をホワイトノイズで塗り潰す。
「いい調子だ。奴らは混乱している」
五泉は眉をひそめた。
「だが、こんなことを続ければ電波監視官に目を付けられるぞ」
黒部は冷笑した。
「上等だ。俺の計画にお前たちは必要ない。ただ澄佳嬢を餌に月潟財閥を揺さぶる――それだけでいい」
村松は青ざめながらも、怒りに縋る。
「……あの娘さえいなければ」
彼らの思惑は、巨大な渦に飲み込まれていく。
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月潟シークレットサービスの会議室
夜遅くまで島見は机に突っ伏し、資料の束を乱し、モニターには妨害波形が浮かんでいる。
戸隠は缶コーヒーを置き、肩越しに言った。
「お疲れさん……これはただの不法無線事件じゃ済まないぞ」
島見は静かに頷く。
「はい。澄佳を狙った組織的犯罪です」
窓の外、長野の夜空に星が瞬く。
戸隠は呟いた。
「電波は嘘をつかない。だが、人間は――いくらでも嘘をつく」
その頃、新潟市内のホテルのバーで黒部はグラスを揺らし独り言をつぶやく。
「月潟の株……売らせてみせる。これは復讐劇じゃない。ビジネスだ」
氷がカランと音を立てる。陰謀は、さらに深く広がり始めていた。




