有閑閑話 「NyaiCoが来た日」
9月のある日の夕方、戸隠弘明は朝日町庁舎を出た。
まだ残暑は厳しいが、夏至の頃より明らかに早くなった黄昏時に、秋の気配が漂い始めている。
「今日は車じゃなくて、バスで帰るか……」
そう呟きながら、46系統『大豆島東団地・保科温泉行』が出発する昭和通りバス停へ向かう。
そのバス停の正面に、再開発ビルがあった。
ガラス張りの一階には、開店記念の赤いのぼりがはためいている。
『新井式廻轉抽籤器による福引会 豪華景品が当たる!』
戸隠は思わず足を止めた。
「まだ現役なんだな、あの抽籤器……」
かつてデパートの歳末大売出しで見た、黄金色のドラム。
子どもの頃の記憶が蘇る。
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行列の最後尾に並んだのは、気まぐれの結果だった。
やがて自分の番になる。
「はい、一回どうぞー」
愛想のいい店員が差し出した取っ手を、戸隠は無造作に回した。
カラカラと音を立て、やがて小さな玉が転がり出る。
それは――白でも赤でもなく、金色だった。
「おめでとうございます! 特賞です!」
店員がマイクを通して叫んだ。
拍手がわき、通りすがりの子どもが口笛を鳴らす。
差し出された景品は、猫の形をした白いロボット。
首輪には「PONEY NyaiCo」と書かれたタグが下がっている。
「……猫型ロボット?」
「はい! 最新式の“生活ゆるサポート”ロボです!」
「おおっ…なら、青いタヌキの様なヤツみたいなことが…」
だが取扱説明書にはこうある。
『NyaiCoは基本的に何もしません。猫ですから』
戸隠は思わず頭を抱えた。
「……何もしないなら、何のためにいるんだ?」
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帰宅した戸隠は、さっそくNyaiCoをリビングに置いた。
電源を入れると、目のLEDが青く光り、短く「ニャ」と鳴く。
それで終わりだった。
「……おい」
声をかけても、反応はない。
ただ尻尾をゆらゆらと動かすだけ。
数分後、NyaiCoは勝手に座布団の上に移動し、丸くなってスリープモードに入った。
「お前……本当に猫だな」
仕方なくそうめんを茹で、庭で採れたシソとミョウガを刻んで食べ始めた。
その間もNyaiCoは動かない。
ただ時折、「ニャ」と鳴いては寝返りを打つだけだ。
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翌朝。
目覚ましをかけ忘れていた戸隠を、NyaiCoが顔のすぐ横で「ニャー」と鳴いて起こした。
「……お前、役に立つじゃないか」
その後も、洗濯機の終了音に合わせて「ニャ」。
宅配便がチャイムを鳴らすと「ニャ」。
ただそれだけなのだが、生活のリズムが妙に整っていく。
だが問題も起きた。
夜、庭で草むしりをしていると、NyaiCoが勝手に外に出てしまったのだ。
赤外線センサーで玄関を感知し、自動でドアを開けてしまったらしい。
「おいコラ! 戻れ!」
戸隠は慌てて追いかける。
NyaiCoは庭の隅に座り、ミョウガの葉に鼻先を当てて「ニャー」と鳴いた。
「……そこが気に入ったのか」
結局その夜は、NyaiCo専用の座布団を庭先に置いてやる羽目になった。
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数日後。
戸隠が朝日町庁舎に出勤すると、同僚の島見が目を丸くした。
「戸隠さん、猫飼い始めたんですか?」
「いや……ロボットだ」
「ロボット?」
説明すればするほど胡散臭くなる。
だが帰宅すれば、NyaiCoはちゃんと「ニャー」と鳴いて出迎えてくれる。
それだけで、妙に疲れが和らぐのだった。
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ある晩、戸隠はふと呟いた。
「俺の人生、お前がいると、少しは色がつくもんだ」
NyaiCoは答えない。
ただ静かに、尻尾のLEDを淡いオレンジに灯しながら、戸隠の足元で丸くなった。
その光景に、戸隠は思わず笑った。
「……まあ、何もしないのも悪くないか」




