白い町の一時間 第5話
雪は弱まる気配を見せなかった。
白い粒はむしろ細かく、密度を増し、空と地面の境界を曖昧にしている。
電波監視車は除雪されたばかりの国道を離れ、市街地へと入った。
道路は狭く、雪壁は三メートル近い。交差点では信号機が雪に埋もれ、横に設置された補助灯だけがかろうじて機能している。
やがて、灰色のコンクリートの建物が雪の中から浮かび上がった。
十日町市役所。
正面玄関の庇の下には、長靴を履いた職員や自衛隊員、業者の作業服姿が入り混じり、ひっきりなしに出入りしていた。
雪を払いながら無線で怒鳴る声、電話を抱えて走る職員、濡れた床に敷かれたブルーシート。
そこはもはや行政庁舎というより、小さな前線基地だった。
「……市役所っていうより、作戦司令部だな」
名立が呟く。
「災害対策本部って、だいたいこんなもんだ」
戸隠は短く答え、ドアを押した。
通されたのは3階の会議室だった。
暖房は入っているはずなのに、空気は冷えきっている。
机の上には地図、積雪データ、道路閉塞一覧、避難所名簿が乱雑に重なっていた。
すでに数人が席についていた。
中央に座るのは、四十代半ばほどの男。
顔色は悪いが、目だけが異様に覚醒している。
「十日町市災害救護本部、土市です」
土市と名乗った。
その隣には、恰幅のいい五十代の男。
分厚い防寒着を脱ぎきらず、腕を組んで座っている。
「雪国土木の大黒沢です」
大黒沢。
市内最大の土木会社の社長だという。
戸隠、名立、島見の三人が着席する。
ほんの数秒、誰も口を開かなかった。
窓の外で除雪機の遠い唸りだけが聞こえる。
最初に頭を下げたのは大黒沢だった。
椅子に座ったままではない。
立ち上がり、深々と腰を折る。
「このたびは――社員が勝手に不法無線を使用し、多大なご迷惑をお掛けしました」
重い声だった。
弁解は一切ない。
「現場は通信手段がなくなると作業効率が極端に落ちる。……とはいえ、違法は違法です。処分は甘んじて受けます」
室内の空気がさらに沈む。
島見が思わず視線を落とした。
怒鳴り散らす人物を想像していたのだろう。
だが目の前の男は、責任だけを背負う人間の顔をしていた。
戸隠は静かに口を開いた。
「事情については、落ち着いた段階で正式に聴取し、必要な行政処分を行うことになります」
大黒沢は無言で頷く。
だが戸隠は続けた。
「――しかし」
その一言で、全員が顔を上げた。
「当長野総合通信局としては、現状、豪雪により災害救助法が適用されている状況において、除雪作業に支障が出ることの方が重大であると判断しました」
土市の肩がわずかに動いた。
緊張が解けかけている。
戸隠は資料を机に置いた。
「不法に使用されていた周波数から、80kHz下に特定実験試験用として用意されている周波数があります。ここへ使用する無線機の周波数を変更します」
名立が補足する。
「既存システムとの干渉はありません。こちらで設定変更に立ち会います」
島見も頷いた。
「技術的にはすぐ運用可能です」
戸隠は改めて言った。
「本措置は、臨機の措置として、十日町市を主体とする無線局の臨時運用を許可するものです」
土市が思わず前のめりになる。
「……期間は?」
「今年度末までとはなりますが…」
室内に静かな衝撃が走る。
「その間に、使用実績、通信内容、運用体制を整理し、実験報告書として――」
戸隠はゆっくり言葉を区切った。
「長野総合通信局長あてに提出してください。」
沈黙。
次の瞬間。
大黒沢が、今度は勢いよく頭を下げた。
「助かります」
声が震えていた。
「通信がないと、効率的な処分ができず、溶けるまで雪はただの壁になります。……本当に助かります」
土市も深く頭を下げる。
「市として責任を持って監督・運用します」
戸隠は小さく頷いた。
「では、すぐに設定作業に入ります。実機はどこに?」
「庁舎裏の資材車両に」
大黒沢が答える。
名立が立ち上がる。
「じゃあ、雪の中での作業ですね」
島見が苦笑する。
「今日は一日、雪まみれ確定です」
戸隠は椅子から立ち上がり、コートを手に取った。
「通信は机の上では動かない」
窓の外を見る。
白。
ただひたすら白。
「現場で動かすものだ」
会議室の扉が開く。
冷たい廊下の空気が流れ込む。
三人は再び雪の中へ向かった。
人が生きるための“見えない線”を引き直すために。




