白い町の一時間 第4話
9時を回ったころ、雪はさらに粒を増し、十日町市の空は、朝だというのに夕暮れのような鈍色に沈んでいた。道路脇に積み上がった雪壁はすでに人の背丈を超え、家々は一階部分が半ば埋まり、二階の窓から出入りしている家さえある。
その雪の迷宮の中を、屋根にフラットな方位測定アンテナを埋め込んだ電波監視車が、ゆっくりと進んでいた。
車内では、戸隠弘明がIP無線のマイクを握り、ため息をひとつついた。
「――こちら監視一号。現場状況を報告します」
隣で名立が地図を押さえ、後部座席では島見杏果がノートを抱えて耳をそばだてている。
「午前5時に発射源を確認。当該不法電波は、除雪作業用の車両間通信に使用されていた外国製トランシーバーによるものと判明。現在、作業は中断中。運用主体は地元の土建業者です」
窓の外では、エンジンを止めた巨大なロータリー除雪車が、まるで雪の怪物の死骸のように静まり返っている。
「なお――」
戸隠は一瞬言葉を選んだ。
「本通信の停止により、集落デジタル通信システムの回復を確認。ただし、除雪作業の遅延が発生。生活道路の確保に支障が出る恐れあり」
名立が小声でぼそっと言った。
「恐れ、じゃなくて、もう出てますよね」
島見も窓の外を見て顔を曇らせる。
歩道は消え、車道も一本しかない。救急車が入れない場所など、いくらでもありそうだった。
戸隠はマイクを持ったまま、少し遠い目をした。
「……以上です」
通信を切ると、車内に静かなエンジン音だけが残った。
「怒られますかね」
島見が不安そうに言う。
「さあな」
戸隠は肩をすくめた。
「電波監視官は“見つけて止める”のが仕事だ。止めた結果どうなるかまでは、本来は管轄外だ」
名立が苦笑する。
「本来は、ね」
一方そのころ、長野市。
長野総合通信局電波監視課。
課長の新津は、受信した報告をプリントアウトしながら眉間に深い皺を刻んでいた。
「……よりによって豪雪災害の真っ最中に」
机の上には、気象庁の速報と、新潟県からの支援要請資料が並んでいる。
内線が鳴った。
「新津です」
『無線通信部長の柏崎です。例の件、聞きました』
受話器の向こうの声は落ち着いているが、どこか早口だった。
「はい。うちのシステムを止めた不法無線は停止させましたが、除雪作業が止まっています」
『災害救助法の適用が決まりました。十日町市も対象です』
新津は目を閉じた。
「……そうですか」
『だからこそ、放置はできない』
少し間があった。
『現状報告を、電波利用企画課長と無線免許課長にも共有します。4者で対応を検討しましょう』
30分後。
無線通信部長室には3人の課長と部長が集まっていた。
柏崎無線通信部長は腕を組み、窓の外の灰色の空を見ている。
飯田電波利用企画課長は分厚い周波数割当表を広げ、宮木無線免許課長は腕を組んだまま露骨に不機嫌だった。
新津が説明する。
「現地の土建業者は、除雪車同士の連絡用として海外製のDMR無線機を使用していました。日本国内では免許を受けられない周波数帯です」
「典型的な“安かったから買った”パターンだな」
宮木が吐き捨てる。
「しかも出力が高い。実験システムを完全に潰している」
飯田が資料をめくる。
「停止させたことで通信は回復しています。ただし除雪が止まり、生活道路が寸断される恐れが…」
柏崎が振り返った。
「恐れ、ではない。もう寸断されている」
全員が黙った。
やがて柏崎が言った。
「ならば――逆に考えよう」
新津が顔を上げる。
「はい?」
「完全に未割当の周波数を、臨機の措置として除雪作業用に使わせればいい」
宮木が即座に机を叩いた。
「論外です!」
会議室の空気が震えた。
「電波法違反をやらかしていた土建業者に周波数を与えるなど前例がない! 免許主体は誰になるんですか!」
「十日町市だ」
柏崎は淡々と言った。
「災害対応の公共目的として、市を主体にすれば問題ない」
宮木はさらに顔を赤くする。
「しかし運用は民間業者が――」
「だからこそ臨時措置だ」
柏崎の声が低くなる。
「今は法律論で道路が開くのを待つ余裕はない」
飯田が静かに手を挙げた。
「周波数の空き状況ですが……」
全員の視線が集まる。
「現在地域コミュニティデジタル通信システムが使用する周波数から80kHz下に特定実験用無線局用として、当局が告示している周波数があります。既存システムへの干渉も技術的には問題ありません」
新津が息を呑む。
「使えるんですか」
「はい。ただし永続的な免許ではなく、今年度末までの臨時割当になります」
宮木がなおも食い下がる。
「だから前例が――」
「前例なら作ればいい」
柏崎が遮った。
「災害対応とそれにかかる実験だ」
その一言で、室内の空気が決定的に変わった。
しばらくして、内線が鳴った。
新津が取る。
「……はい」
受話器を置き、三人を見た。
「荒川局長が判断を下しました」
一瞬の静寂。
「臨機の措置による臨時割当――承認です」
誰もすぐには言葉を発しなかった。
やがて飯田が小さく息を吐いた。
「これで除雪は再開できますね」
宮木は不満そうな顔のままだが、反論はしなかった。
柏崎は窓の外を見たまま、ぽつりと言った。
「現場は、今も雪の中で動いている。机の上で止めるわけにはいかない」
同じころ、十日町。
監視車のIP無線が鳴った。
戸隠が受話器を取る。
「監視一号、戸隠」
『こちら本局。臨時割当が決定した』
戸隠は思わず聞き返した。
「……臨時?」
『システムの80KHz下に特定実験試験局用として告示している周波数がある。これを除雪作業用に使用臨時で許可する。市を主体として運用することで局長判断で決まり、十日町市長との調整も出来ている。現地で周波数設定を支援せよ』
島見が身を乗り出す。
「再開できるんですか?」
戸隠はゆっくり頷いた。
「どうやらな」
名立が小さく口笛を吹く。
「役所もやるときはやる」
戸隠は苦笑した。
「やらなきゃ、人が埋まるからな」
車の外では、止まっていたロータリー除雪車の運転席に人影が戻り始めていた。
灰色の空の下、巨大なエンジンが目を覚ますように唸りを上げる。
雪を噛み砕く鋼鉄の回転音が、静まり返っていた集落に再び響き始めた。
戸隠はその音を聞きながら、ぽつりと言った。
「――これで、やっと“通信の仕事”をした気がする」
島見は首をかしげた。
「電波止めたのに、ですか?」
「止めるのも仕事、通すのも仕事だ」
戸隠は前を見据えたまま微笑む。
「本当に守るべきものが何か、忘れなければな」
外では、雪の壁を削りながら、除雪車がゆっくりと前へ進み始めていた。




