第1章 第8節:「幾度もの死」
私は無言で助手席のドアを開け女を座らせた。
そして、運転のため、泥まみれで重い登山靴を、なおも押し黙ったまま履き替えた。
登山靴から開放されたせいか、重苦しかった気分が嘘のように軽くなり、ようやく気を取り直してエンジンをかけることができた。
死んだような静寂を破り、エンジン音が荒々しく響いた。
「あなたって、いったい幾つなんですか。どうして、さっきのように人生を知り尽くしたようなことを言うのですか」
これまで自分に偽ることなく生きてきた私の人生が、こんな若い女に見透かされてしまったことに、どうしても納得できなかったのだ。
それが、この女に対してできる精一杯の抵抗だった。
「私、もう幾度も死んでいるのです」
女が独り言のように呟いた時、私に戦慄が走った。
「幾度も死ぬ」とはどういう意味なのか、全く私の理解を超えていた。
ただ、言い知れない寒気だけが、私にひたひたと押し寄せてきたのだ。
暗闇をライトが切り裂き、カーブのたびに切り立った断崖の上空を空しく照すのみだった。
女はしばらくして、意を決したように口を開いた。
「26になります。黒塚 環です」
以外にも女は、私の当て擦すった質問に生真面目に答えてきた。
この予期せぬ答に不意を付かれ、私は狼狽してしまった。
「あなたはお幾つですか」
女は当然のように訊き返してきた。
私はこれ以上この女に関わり合いになりたくない気持ちから、
「42 石城 聡」
と、ぶっきらぼうに女の答えに合わせて言った。
「そのようには見えません。きっと、まだ純粋さが残っているのでしょう。でも、純粋さはガラス細工のように脆く、ほとんどの人が、その取り扱いに疲れ果てて自ら放棄してしまうものなのです」
そう言うと、女は窓の外の暗闇に眼を転じ、何事か思い巡らしているようだった。