第3章 第16節:「智恵子記念館」
智恵子記念館の中には、ベートーベンの「田園」が仄かに流れていた。
光太郎の好きだったこの曲を、智恵子は繰り返し聴いていたと説明があった。
遠く離れた光太郎を、智恵子はいつも身近に感じていたかったのだろう。
一度でも愛するものの安らぎに浸ってしまうと、永遠に全てを委ねた羊水の中の胎児のままでいたくなってしまう。
環の安らぎに溺れ切っていた私に、「田園」を通して智恵子の気持ちがひたひたと流れ込んで来た。
環はと見ると、じっと智恵子の年譜に見入っているところだった。
そして、光太郎を上高地まで追って行った智恵子の行動力を知った時、環に称賛の表情が浮かんだのを私は見逃さなかった。
しかし、智恵子の父が他界した年譜の先からは、環に二度と明るい表情が戻ることはなかった。
環は、しばらくの間、年譜の前で立ち止まっていたが、大きく溜め息をつくと、分裂症を発症後、病室で創り始めた紙絵の展示室に移動した。
展示室に入ると、環は食い入るように作品の一つ一つを見つめ始めた。
それは、作品の中から、あるべきはずの何かを見出そうとしているようだった。
その姿には鬼気迫るものがあり、声をかけることなどとてもできそうになかったので、私は一足先に出口で待つことにした。
しばらくして環が出て来たが、なおも押し黙ったままだった。
「智恵子も、何度となく死んでいるのですね」
駐車場への戻り道で、環はポツリと呟いた。
智恵子の中に、自分と同じガラスのように繊細な心を見いだしたのだろう。
振り向くと、環の眼が心なしか潤んでいるように見えた。