第3章 第14節:「生家」
安達ヶ原から、案内標識に従って車で五分程行くと、昔風の暖簾の下がった商家が見えてきた。
案内板に『智恵子の生家』とあり、当時の様子を忠実に復元したものだった。
また、案内板の下に「安達町智恵子記念館」とも書いてあり、智恵子に関する資料や油絵・紙絵などの作品を展示した記念館が、生家と同じ敷地内に併設されているようだった。
生家の周辺は「智恵子の杜」として整備され、遊歩道を逍遥しながら在りし日の智恵子を偲ぶことができるようになっていて、遊歩道を見晴らしの利く所まで登ると大きな石に『樹下の二人』が彫ってあった。
「安達太良山も阿武隈川も良く見えますね、ここからだと私のアパートまで見えそうです。
私は『樹下の二人』も好きですが、精神病に冒されてからの『山麓の二人』の方が好きなんです。高太郎の気持ちに共感して、死にたくなるほどの切なくなってしまい、いつも涙を流していました。」
実際、環の眼は潤んでいるように思えた。
智恵子の生家は「米屋」という造り酒屋であり、入口の前に何本も紺地に白抜きで「こめや」と書かれた幟が立っていた。
また、入り口の上には「地酒 花霞」の大きな看板が掲げてあった。
そう言えば、“安達が原ふるさと村”に“花霞”と言う酒が置いてあったのを私は思い出した。
「造り酒屋なのに“こめや”って言う名前なんですね。ほんとに大らかでいいですね」
環は幟を見ながら、楽しそうに微笑んでいた。