第3章 第10節:「溺れる愛」
「溺愛は、他に犠牲を強いるばかりか、愛するものさえも犠牲にするからなのです。
今の子供たちは、自力で解決することができません。
自力で解決しようとすると、大人たちが寄ってたかって、常識的な解決を押し付けてしまうのです。
当事者の子供たちに考える余裕などありません。
こうして誰かが解決してくれるまで待つ、依存心が強い子供になってしまいます。
また、小さいうちから、望むものは全て手に入れることができるので、我慢ということを知りません。
でも、社会に出れば、すぐに自力で解決しなければなりませんし、理不尽な我慢を強いられてしまうのです。
小さいうちから自分で解決していれば簡単に対処できることも、自我ができてしまってからでは不可能に近いことなのです。
こうして、自力で泳ぐことを教えてもらえなかった子供たちは、否応なしに社会の荒波に揉まれて溺死してしまうのです」
環はじっと聴いていた。
「このように、可愛がるだけの溺愛が、愛するものを溺死させてしまうとは、可愛がっている本人には思いも寄らないことなのでしょう。
量が違えば薬が毒になるように、溺愛は愛ではなくなってしまうのです。
本当の愛とは、社会で生きていけるように解決能力を身に付けさせて自立させることなのです。
でも、良かれと思い込んでいるだけに、このことに気づきようがないのです。
これって、言いようのないくらい哀れですよね」
環は黙って頷き、眼を閉じた。