第3章 第6節:「追原」
蕎麦屋は、阿武隈源流に架かる橋のすぐ袂にあった。
靴を脱いで座敷に上がると、すぐに中年の女性が蕎麦茶を持って注文を取りに来てくれた。
地域起しのため、近所の人たちが協同でこの店を切り盛りしているとのことだった。
お品書きには「もりそば」「ざるそば」「とろろそば」だけしかなかった。
蕎麦の味が判るものしか無いのだ。
しかも、挽きたて、打ちたて、茹でたての「三立て」で提供するとある。
いかに、蕎麦に自信があるのかが判った。
「私は盛そばにしますが、環さんはどうします」
「同じにしてください。盛そばはお蕎麦の香りしかしないので、蕎麦掻と同じくらい好きです」
「それじゃ、盛そばと大盛そばをお願いします」
「はい、今から打ち始めますので、少し時間をいただきます」
女の人は、そう言って厨房に戻って行った。
「地物の蕎麦をおいしく食べてもらうために、注文を受けてから打ち始めるのですね。
母が、時々蕎麦粉を買ってきて、熱湯を入れて素早く掻き混ぜ“蕎麦掻”を作ってくれました。お餅のようにふっくらして美味しかったのを覚えています」
うれしそうに環は話してくれた。
母子家庭なので、全てのことが母親に結びつくのだろう。
私には、環が切ないほど愛おしく思えた。
蕎麦は、思いの外早く、二十分程で運ばれてきた。
「私、こんなにおいしいお蕎麦を食べるのは久しぶりです。打ち立てのお蕎麦って、本当においしい!」
環は、香りも味も際立った新蕎麦に心から満足しているようだった。