第3章 第5節:「新蕎麦」
車はカラマツ林を抜けて深い針葉樹の道となり、私は窓を開けて深呼吸した。
「ここまで来ると、森の香りがしてほっとします。この先に、おいしい蕎麦を食べさせてくれる所があります。ちょうど今は新蕎麦の時期ですから行ってみませんか」
「それで、“お弁当はいりません”とおっしゃったのですね。てっきり、この前のお弁当がおいしくなかったのかなと、私、心配していたんです。でも、これで安心しました。おいしいお蕎麦食べられるのなら、どこへでも行きます」
わだかまりが消えたせいか、環は本当にうれしそうに笑った。
「その店は、蕎麦粉はもちろん薬味にいたるまで地の物しか使わずに、地域ぐるみでおいしい蕎麦を振る舞ってくれるそうです」
「美味しそう!早く行きましょう!」
環の思いがけない言葉づかいに、私は動揺した。
環は今、私を心の底から信頼できたため、心地よい緊張感を持った二人の距離を息遣いが聴こえるまでに近づけてしまったのだ。
相変わらず、環はやさしく手を握っていてくれた。
その心地よい暖かさに、私は、環の安らぎに溺れてしまいたい気持ちを、まだ完全には消し去っていなかったことに気づかされていた。