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 第3章 第3節:「解脱」

「人間はクローンを造ったり遺伝子操作をするなど、神の領域を土足で踏みにじってしまいました。頭のないカエルをしばらくの間生き延びさせたことが、さも自慢気な学者がいました。その学者は、人間の延命に役立つのだとうそぶいていましたが、他の生き物を犠牲にしてまで人間だけが生き延びる権利などあるのでしょうか」

私は、知恵の暴走により神をも恐れぬ行為をエスカレートさせる人類に、言いようがない恐ろしさを抱いていた。


「そればかりか、猿の頭をすげ替えて、一週間ほど生き延びさせた科学者がいたのです。将来、老衰した身体を若い身体に変えられると自慢していたのですが、自然死を拒否できる人間っているのでしょうか。

全ての生物は、祖先が死ぬことで、子孫が生きられる余地を生み出しているのです。

ですから、生に執着して自然死を拒否することは、子孫を殺していることと同じことなのです」

環は、私の言葉を引き取り、本当に悲しそうにこう付け加えた。


私は、もう迷ってはいなかった。

「クローンや遺伝子操作は、科学者が名誉欲と好奇心を満たすだけの行為なのです。

人間の命だけが特別なものとして、自然の摂理に反することが許されることでは決してありません。

人は自己保存の本能があり想像する知恵もあります。

ですから、死んだ後消滅してしまことを思い浮かべ、死ぬのが怖くて仕方ないのです。

でも、“自然死を受け入れることで、未来永劫、自分のDNAを子孫に受け渡して行くのだ”と理解できれば、自然死は怖いものでなく受け入れられるものなのです。

また、医療技術が進歩したことで、『できることは権利だ!』とばかりに騒ぎ立てています。

『臓器移植』や『代理出産』などは、一昔前なら“運命だから仕方ない"と諦めていたことなのです。


“倫理”とは『できること』を『しないこと』なのです。


世の中が正常ならば、摂理の破壊につながるものとして、こうした生命操作に非難が集中するはずなのに、非難するどころか、“不老不死に近づいた”と称賛しているのです。

この事実に気づいた時、私は煩悩に満ちたこの世から、安らぎに満ちた“鬼”の世界へ生まれ変わることができたのです」


何かを確かめるように私の話を聴いていた環は、じっと私の眼を見つめて言った。

「とうとう、解き放たれたのですね」


環は、シフトレバーに乗せている私の手に自分の手をやさしく重ねてきた。

環の手は、小さく華奢だったが、温かいものが私の心に流れ込んできた。



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