第1章 第3節:「遭難」
この数年、思春期の息子のますますエスカレートする気難しさに、心身とも責め苛まれていた。
息子は時折、この私にさえ暴力を振るっていたのだ。
一人っ子のためか息子を溺愛することしか知らず、私を責め続ける妻との言い争いも当処のない堂々巡りを繰り返すだけだった。
私は、雪山でリングワンデリングに陥っていたのだ。
もう家庭に安らぐ処はなく、私は凍てついた家庭で絶望のうちに凍死を待つ遭難者でしかなかった。
そして、会話に取って替わったあからさまな妻の無言の非難から逃れるため、私は裏の物置から全てものを放り出し、自らを物置に隔離したのだ。
働いているうちは、早出と残業で顔を合わせずに済ませることができた。
しかし、休日はそうは行かず、家族の起きる前に抜け出し、寝静まってから戻るための居場所をどうしても必要としたのだ。
初めは近くの公園で時間を殺していたが、体育会系の陽気なジョガーの挨拶や主婦たちの示す傍若無人な好奇心に耐え切れず、私はいつしか人里離れた山へと逃げ込むようになっていった。
そこには、世間から隔絶された空間とひ弱なむき出しの自分に戻れる時間があったのだ。
しかし、時折すれ違うハイカーの挨拶にさえも耐え切れなくなり、次第に人と会うことの少ないルートを選ぶようになっていた。
今日も崩れたまま放置された林道を渓流沿いに山の麓まで行き、そこから荒れ放題の登山道を歩いていた時に、山中でこの喪服の若い女と出会ったのだった。