第2章 第5節:「知足」
「人類の未来を考えているのですか」
しばらくして、私は耐え切れずに沈黙を破った。
「人類に未来などありません。人類は“自然死"を拒絶し始めました。
自然死は摂理の根幹であり、摂理を守らなければ、この世は崩壊してしまうのです。
もし、“不老不死"が実現したら、誰が死に追いやられるのでしょう?
不死治療を受けられない貧乏な人たちなのですか?
それとも、知能指数で決めるのですか?
このままでは、生まれる前に遺伝子を調べて、その優劣で取捨選択されることになってしまうのです!」
環は堰を切ったように言った。
ややあって、環はまた言い聞かせるように私に話し始めた。
「死ぬことを忘れた人類は、地球の癌細胞に他ならないのです。
異常増殖を繰り返して、この世の全てを滅び尽くした後、その報いとしての自滅が待っているだけなのです。
いいですか、“できること"は決して“やっていいこと"ではないのです。
“殺すこと"はできても“殺すこと"をやってはいけません。また、核兵器を造れても造ってはいけないのです。
倫理とは“できること"を“やらないこと"なのです」
環は、言い終わると、また遠くを見た。
私は、環の話を受けて呟いた。
「滅亡を避けるには、人類は進歩を止めなければならない。しかし、人類は自らの繁栄に酔い痴れていて歯牙にも掛けない。間違いなく人類は滅亡に向かって暴走している」
「やっぱり、気づいていたのですね。だからこそ、倫理と言う制御を失い、自滅に向かって突き進む愚かな人類が疎ましくなったのですね」
環は、急に私の方を向き直り、なおも話し続けた。
「人類は、知恵を持った時から、破滅の道を歩み始めたのです。他の生き物は、満足以上を求めることをしません。ですから、シマウマは満腹のライオンを怖れないのです。何故なら、満腹の今なら襲ってこないのを知っているからなのです。だからこそ、一匹の不幸で生き残ったの仲間の刹那の幸せを生み出すことができるのです。
“足ることを知る"、これこそがこの世の摂理なのです」
シマウマの腹を貪る血にまみれたライオンが目に浮かび、私に悪寒が走った。