第2章「転生」 第1節:「弱い女」
「来てくださると思ってました」
私が玄関の前に立つと、チャイムを鳴らす前に女がドアを開けて迎え入れてくれた。
もう、私は女に言われるがままに従うことしかなかった。
なおも黙りこくる私を静かに床に寝かせ、出会った時のように女は膝枕で私の頭を撫で始めた。
「何も考えなくて良いのです。あなたは、やっと見え始めた真実と世間との落差に混乱し疲れ切っているのです。私は、あなたが世間に惑わされずに、真実だけを見て欲しいだけなのです」
私は、再び剥き出しの自分が温かな羊水で包まれるのを感じ、意識が急速に薄れていった。
全てを超越した安らぎが再び私を包み込んだ。
「落ち着きましたか」
深い眠りから覚めた時、女が私の顔を覗き込みながら囁いた。
まるで、女が乳飲み子をあやす母親のように私には思えた。
「あなたは、本当に私を必要としているのでしょうか。あなたのように聡明ならば、私なんか必要ないと思えるのです」
私は、全てのことに思い巡らしているこの女が、自分のような人間を必要としているとはどうしても信じられなかった。
「私はあなたを失なうことが怖くて、あなたの心に巣食う世間の亡霊と闘っているのです。私は、あなたの支えがあって初めて生きていくことができるのです。ですから、あなた以外の人には、私はただの臆病で弱い女でしかないのです」
この時、突然私の心から世間への諂いが消えた。
そして同時に、私の意識の中でこの女が、“得体の知れない女”から“黒塚 環”へと変化したのだった。
「来て下さってありがとうございます。あなたしかいない私を、これからも支えてください」
背中越しに環が声をかけてきたが、私は何も言わず後ろ手で静かにドアを閉めた。