第1章 第17節:「生贄」
立ち上がったまま硬直した私を見て、女はなおも追い打ちをかけてきた。
「好ましくないってどういうことですか。精神的に支え合うだけの関係ならば、世間から非難されることなどないはずです」
「身体で結ばれるより心で結ばれた方が、より罪深いのではないでしょうか。身体を許すだけなら、単なる肉体の接触に過ぎませんが、心を許すことは、全人格を捧げることなのです」
私は、はるか年下の女を諭しているつもりだった。
「あなたは、さっき“世間から見れば”って言いませんでしたか。世間から許されればいいのでしょう。心の中はどうあれ、行動さえ伴わなければ、世間は寛容なのです。殺したいと思っただけでは罪にはならないのと同じように、心で支え合うだけなら世間は不倫とは言いません。世の中は肉体的なことしか関心がなく、精神的なことには寛容なのです。
どうして、わざわざ哲学者の許しまで乞う必要があるのでしょう」
女の毅然とした口調に、私はたじろぎ、その強さに押し流されそうになった。
いや、私自身心の底では流されようとしていたのかも知れなかった。
「私は、あなたを不幸にしたくないのです。精神的な結びつきだけなどと、この世間が信じるでしょうか。この世で正しいのは、真理ではなく世間なのです。世間は異端者から自らを守るために、常に生贄を求めているのです。あなたを生贄にすることなど、私にはできません」
「生きる屍より、生贄の方がましです。このままでは、あなたと出会って生き返った意味がありません」
女は、強く言い放った。
もう、私に抗う気力はどこにも残されていなかった。