第1章 第15節:「伝心」
便箋を封筒に戻し、そっとテーブルに戻してから言った。
「何があったのか私には知る由もありませんが、あなたも生きることが不器用な人間なのですね」
ただ生きていくだけなら、私にも人並みに生きて行ける自信はあった。
しかし、それは自分の良心を切り売りすることで得られる、屈辱的な代償だったのだ。
様々な軋轢の中で、結局自分の良心に背けない愚直な性格が、世間に阿ることを拒絶してしまい、その結果としての世間から報復を甘受していたのだ。
「やはり、あなたは白紙の意味を理解してくれたのですね。だからこそ、私はあなたに同じ匂いを感じたのです」
女は相変わらずうつむいたまま呟いた。
だが、女の小さな肩が小刻みに震えているのに私は気づいていた。
薬缶の蓋がカタカタと沸騰したことを知らせたが、それでも、女はうつむいたまま動こうとしなかった。
私は、薬缶が情け容赦なく叫び続ける「笛吹き」でなかったことに感謝をした。
「今まで私の話にまともに取り合ってもらえたことなどありませんでした。最後まで話す前に、無意味なことと即断されてありきたりの言葉であしらわれていたのです。私、本当に自分が社会不適合だと思っていたのです」
ひとしきり泣いて気が治まったのか、女はうつむいたままポツリと呟いた。
「でも、とうとう、私と共鳴し合える人に出会えました。一人でも私を理解してくれている人がいると思えば、これからどんな困難があっても、もう心が壊れることはありません」
窓ガラスが湯気で白くなり出した頃、女は立ち上がってガスの火を消し、急須にお湯を注いだ。
私は、もう言葉など探す必要はなかった。
何も言わずとも、この女に私の気持ちが伝わっているように思えたのだった。
「これからは、強くてやさしい人間になれると思います」
女は私の眼の中に何かを感じ取ったのか、うれしそうに微笑んだ。