第1章 第14節:「紙背」
「私には、あなたの悲しみを理解できるとは到底思えません」
異常とも言える出来事の連続で精神的に限界に達していた私には、これ以上の負荷に耐えることなど出来そうになかった。
「あなたでなければ、他の誰にも解ってもらえません。この世にたった一人でも、私を理解してくれる人がいてくれさえすれば、これから生きて行くことができるのです。今の私にはその証が必要なのです」
女の訴えるような眼差しに、私はまた拒絶することができなかった。
私は、ためらいながら封筒を手に取った。
封筒の表には「母上様」と書かれており、裏には「環」と名前だけが書かれていた。
封はしっかり糊付けされていて、私は、なおも開けるのを躊躇っていた。
「読んだら燃してしまいます。気にせずに開けてください」
と、封筒を持て余している私を急き立てるように女が言った。
私は、気乗りしないまま封を切り、白い便箋を取り出した。
それは二枚の和紙だった。
大きく息を吸ってから、便箋を恐る恐る開いた。
しかし、その瞬間、私は息を飲んでしまった。
そこには、何も書かれていなかったのだ。
私は思わず女の方を見たが、女はうつむいていたので目を合わすことができなかった。
女は、一切の問いかけを拒絶していたのだ。
遺書を書こうとして、考えあぐねた挙句、結局、この女は言葉では何も伝えられないことに行き着いたのだろう。
何も書いていないことが、書いてある以上に悲痛な叫びだったのだ。
この白紙が、この女の思いの全てを語っていた。
私は気圧されて言うべき言葉が見つからず、再び視線が空中ををさまよった。
今の私には非力過ぎて、この女のために出来ることなど何も見つからなかったのだ。
空しい静寂だけが、部屋に充満していた。