第1章 第12節:「懇願」
ペットボトルのお茶を一口含み、気を取り直して再び車を走らせた時、
「お金はそのまま残してあるので、この代金は必ずお返しします」
と、女が毅然として言い放った。
この女も、私と同様生真面目で不器用な人間なのだ。
「今日は、生れ変わったあなたの誕生日なのです。誕生祝として受け取ってください」
これ以上、この女に関わってはいけないという本能が、私にそう言わせたのだった。
しかし、女はそれからずっと無言で夜の闇を見ていたので、了承したのかどうかはわからなかった。
女のアパートは、中心部から数キロ程離れた郊外の閑静な場所にあり、着いた時にはすでに夜の九時を回っていた。
「寄ってらして下さい。何もありませんが、お茶くらいは淹れられます」
車から降りた女が、運転席に廻ってきて窓越しに言った。
「今日、会ったばかりで、あなたの部屋に入ることなどできません。気持ちだけで結構です」
私は、社交辞令に対する模範解答を用意したつもりだった。
「あなただから言えるのです。同じ匂いのする人だからこそ、こうしてお願いしているのです」
以外にも、女は懇願し縋る眼差しで私を見つめたのだ。
女が心の底から言っているのだとは、私には思いもよらないことだった。