王子の愛が深過ぎて、黒魔法がかけられない。
「ねぇ、キアラ。本当に実行するつもり?」
呆れ気味に投げ掛けられる声へ、凛とした声が答えた。
「当たり前でしょう。一度決めたらやり遂げてみせますわ。私を誰だと思ってますの?」
「キアラ・フィレッツィ様。……あーごめんごめん、冗談。そんなに睨まないでよ。キアラ・アルベルティ様」
「よろしい。さぁ、ロチェは離れていてちょうだい」
「はーい。ほんと頑固なんだから、キアラは」
奏でるような詠唱が聞こえると、魔力で描いた円陣から、宵闇のような深黒の光が放たれた──。
◇
キアラ・アルベルティといえば、フィレッツィ王国で知らない者などいない有名人。
魔法大国であるフィレッツィ王国でも史上類をみない程の魔力量を誇る、アルベルティ伯爵家のご令嬢。
絹糸のような白銀の髪に神秘的な極光色の瞳を持つ彼女は、魔法の実力もさる事ながら見目も大層麗しい。そんな彼女は、先日18を迎えたばかり。この国では成人と認められる歳だ。
キアラを語る上で欠かせないのは、魔獣の存在だろう。
真っ白なふわふわの毛並みに長い耳、赤い目をしたやや大柄なうさぎのような外見をした魔獣、愛称はロチェ。流暢に人の言葉を話しいつもキアラと行動をともにしている。
この世界において魔獣とは、人間の魔力によって創造された生き物と定義される。存在している間はその国に平和と繁栄をもたらすとされ、神聖な生き物として崇められている。
魔獣を誕生させられる程の魔力を持つ者など、太古から現在に至るまで、片手で数えられる程の記録しか残っていない。
その中のひとりが、齢7にしてロチェを創り出したキアラだ。
魔獣を創造するためには莫大な魔力が必要である。その上、定期的に魔力を提供し続けないと消滅してしまう存在であることから、ロチェを十数年間“友達”として近くに置いているキアラは、まさしく異端の存在であった。
さて、そんなキアラには同じ年の婚約者がいる。
この国の王太子であるフェルディナンド・フィレッツィだ。
キアラとは対称的な漆黒の髪に黒耀石のような深い黒の瞳を持つ彼は、口数が少なく常に淡々としていることからどこか近寄り難い印象を受ける。しかし、その端正な顔立ちに加え、正統な後継者として着々と内政や外交の一部をこなす実務能力の高さから、国中の婦女子の憧れの的でもあった。
そんな絵に描いたような王子様の婚約者の座。上位貴族とはいえ、他に同年代の公爵家や侯爵家のご令嬢もいる中、伯爵家のキアラが選ばれた理由は至って明白。
千万無量な魔力を持つ彼女を、王家の血筋に取り込みたいからに他ならない。
庶民もごく一般的に魔法を駆使するフィレッツィ王国であるが、王族はより高い魔力を保有すると云われている。
今世の王太子も例に漏れず、申し分ない程の魔力保持者だ。7歳までに魔力が発動するのが常のフィレッツィにおいて少し遅れて開花した遅咲きのフェルディナンドであるが、その力は歴代王族の中でも最高峰と誉れ高い。半年後に控えたフェルディナンドとキアラの婚姻は、国を挙げての盛大な祝典になる予定であった。
◇
「フェルディナンド様、そろそろ休憩されてはいかが?」
「あぁ」
剣帯へと長い剣を収めたフェルディナンドが、額に伝う汗を手で拭おうとした。すかさず、少し離れたところで見守っていたキアラが駆け足で彼に近付き、背伸びをして汗ばむ肌をハンカチで拭う。
王城内の南東に位置した薔薇の咲き誇る庭の片隅で見る、毎日の光景だ。
朝の鍛錬に励むフェルディナンドと、それを見守るキアラ。ロチェはちょこまかと辺りを散歩している。
王妃教育は数年前から始まっていたが、理由を付けてはサボりがちなキアラへ本腰を入れて教育させるため、半月程前から王城に居住させられていた。
キアラの毎日は、早朝、フェルディナンドの鍛錬付き添いから始まる。
「もう、フェルディナンド様ったら。またこんなに血豆を作って……。痛そうですわ」
「これくらい何ともない」
「こんなに手がぼろぼろの王子様がいる国だなんて、世界広しといえどフィレッツィくらいですわよ」
「……キアラ、何度も言っているだろう。これくらいで治癒魔法は不要だ。君の魔力が膨大なのは確かだが、無尽蔵というわけではないんだ。このようなことで無駄遣いはするな」
頭ひとつぶん以上高い位置から切れ長の目でキアラへ視線を下ろし冷たく答えているようにみえるが、治癒魔法をかけようとした彼女に両手を触れられているフェルディナンドの口元はほんの少しだけ綻んでいるようにも見える。
キアラが婚約者に選ばれた理由は、実はもうひとつある。
フェルディナンドはキアラへ恋い慕っているから。
これもまた、キアラが膨大な魔力を有しているご令嬢であることと同じくらい、国民に広く知れ渡っている事実だ。両親である国王夫妻にとって、これ以上都合の良いことはない。恋愛結婚など選べるはずもない王族が、愛する者を正当に妻へと娶ることができ、かつその相手がキアラ・アルベルティなのだから。
『フェルディナンド殿下はキアラ伯爵令嬢のことが好き』
国民の誰もが知っていること。
ただし、当の本人、キアラを除いては。
((また今日もフェルディナンド様に睨まれましたわ!! いつも血豆が潰れるくらい無茶をするから毎朝私が付き添って注意しておりますのに。治癒魔法は最低限しかかけさせてくれないし……そんなに私のことがお嫌なら、婚約破棄でも解消でもお好きにしてほしいものですわ! 私は妃などより魔法の腕を磨きたいのに))
((はいはい。キアラはもうじゅうぶん世界一の魔法使いでしょ))
((当たり前でしょう! けれどこの世には私が知らない未知の魔法がきっと山程あるの。全てを使いこなすことができる日がくるまでは、世界一を名乗れないのですわ))
((もういっそお城を壊して国家転覆させちゃえば? キアラが女王様になっちゃえば魔法を使い放題、何でも好き勝手に出来るよ))
((そんな野蛮な行為は断じて許されませんわ! ……でもそうね。物は考えようかしら))
魔獣とその創造主は念力で会話をすることが出来るため、キアラは事あるごとにロチェと念力でこっそり会話をしていた。
「キアラ? どうかしたか?」
「何でもございませんわ。……あ、あちらの薔薇も咲きましたわね。とても綺麗ですわ」
「確か昨日までは蕾だったな。キアラは本当に薔薇が好きなのだな」
「ええ、大好きですわ。入浴後はよく薔薇の香油を身体に塗ってますのよ。美しくて素敵な香りもするだなんて、そこに在るだけで幸せな気持ちにさせてくれる存在ですわね」
「……そうだな」
フェルディナンドは自身の感情をはっきりと表すことはしない。けれど、キアラの前でだけは表情の僅かな違いがみられるし穏やかな空気を纏っている。キアラには一切伝わっていないのだが。
──夜も更けた頃、キアラの自室として王城内にあてがわれた綺羅びやかな部屋の中、秘密の作戦会議が繰り広げられていた。
「それ本気? 王族に精神干渉の禁術をかけるだなんて、それこそ国家転覆レベルの大罪じゃないの?」
「あら、全く異なりますわよ! 魔力だけが取り柄のいけ好かない伯爵令嬢と婚約解消できるだなんて、フェルディナンド様は喜ぶに決まってますわ。国王夫妻の手前、拒否だなんてフェルディナンド様から申し出ることは出来ないのでしょうし。これは人助けですわ」
「うん、その言葉、王子が聞いたら泣いちゃうね」
「嬉し泣きするかもしれませんわね!」
キアラは婚約解消を成立させるため、他者への精神干渉を意味する黒魔法の行使という強硬手段を取ることにした。
その中でも取り分け高度な術──“相手の意思を一定の時間乗っ取り言動を操る禁術”に目を付けた。
フェルディナンドに禁術をかけ一時的に意識及び意志を乗っ取り、国王夫妻にキアラとの婚約解消をお願いするという作戦だ。
膨大な魔力や魔法の才を王家に取り入れるために婚約者へと選ばれたことなど、キアラは重々承知している。フェルディナンドの意志で一方的な婚約破棄は出来ないことも理解している。
しかし、当人の口からキアラのことを心底嫌悪していること、そのような相手と子を儲けることなど出来ないときっぱり断れば、フェルディナンドを可愛がっている国王陛下と王妃であれば婚約解消を熟慮してくれるのではないかと考えての計画だ。
実際には無駄も良いところの考えであるが。
そんなこんなでキアラは強行突破を決めた。
行使するために必要なものはふたつ。
ひとつは莫大な魔力、もうひとつは黒魔法をかけたい相手の髪の毛を1本。
キアラはフェルディナンドの髪の毛を手に入れるため、単刀直入に本人へ申し入れるつもりだとロチェへ話した。
「王子の身に付けてるものならキアラにいくらでもくれそうだけどさー。髪の毛くださいだなんて言って素直に貰えるわけ? さすがにそれは怪しまれるでしょ」
「抜かりありませんわ。理由を尋ねられたら、治癒魔法をかけたい相手の髪の毛を所持していると少ない魔力でも効果向上が見込まれると、それらしい事を伝えるわ。私が治癒魔法を使う度にケチケチしたことを言うフェルディナンド様に朗報でしてよ。いえ、嘘ではないのですよ? 実際に試した事がないから分からないだけで、本当にそのような効果があるのかもしれませんわ。今度試してみましょ。ロチェの毛、頂戴ね」
「えー!? 僕にまで怪しい流れ弾当てないでよ!」
◇
明朝。
「フェルディナンド様。お願いがありますの」
「何だ?」
「フェルディナンド様の御髪をどうか一本、私に恵んでほしいんですの」
「分かった」
即答されたためさすがのキアラも一瞬怯むが、日頃の妃教育の賜物である優雅な笑みは崩さない。
当のフェルディナンドといえば一切の躊躇いを見せず、髪の毛を抜いてキアラに渡してくれた。
「貴重な御髪を3本も。ありがとうございます」
「もう少し必要か?」
「いえ、こちらで充分ですわ」
髪をハンカチへ丁寧に包んだキアラは、すかさず念能力でロチェへ話し掛けた。
((髪の毛3本も頂戴しましたわ))
((ちょろい王子様ー))
((本当ですわ。自分で言っておいて何ですけれど、いくら婚約者の頼みだからって髪の毛を欲しいだなんて言われたら、黒魔法に使われるんじゃないかと懸念するものですわ。王族でしたらそのことくらいご存知でしょうに。こんなうっかりさんな王子様が次代の王だなんて、フィレッツィは大丈夫かしら))
((キアラも大概だけどねー))
((何が言いたいんですの? ……あ、もうこんな時間。早くしないと午前のレッスンに遅れてしまいますわ))
かくして、キアラは王子の髪を無事手に入れることができた。
「……さて、それでは始めましょうか」
宵が明けるまではもう少し、まだ外は暗闇──。カーテンを閉め切った薄暗い一室で怪しい儀式が始まろうとしている。
日中は王妃教育で黒魔法どころではないため、深夜に遂行することにしたのだ。実際にフェルディナンドの意識と意志を一時的に奪い行動に移すのは数時間後の予定である。
睡眠中から黒魔法をかけ、その状態を維持させておくにはかなりの魔力を要する。
いくらキアラといえど、初めての黒魔法、それも最上級レベルと云われる相手の意志を乗っ取る禁術を長時間行使するのは賭けであったが、元来負けん気の強い性格であるため、不安や躊躇などあるわけもない。
「ねぇ、キアラ。本当に実行するつもり?」
「当たり前でしょう。一度決めたら必ずやり遂げてみせますわ。私を誰だと思ってますの?」
凛とした声色で返すキアラの目は真剣そのものだ。
『闇夜の閃光よ、一夜の瞬きとともに、いざ降り注げ──』
流れるような詠唱が奏で終わると、宵闇色の光が魔法陣から放たれた。
中央に置かれた髪の毛が魔法陣の中に取り込まれ消えていくのを見届け成功を確信するキアラであったが、直後、思いもよらない光景を目にする。
魔法陣の中から燃えるような紅い光が現れ、一瞬で闇の光を覆ってしまったのだ。
「なっ!? そんな……っ、私の魔法が負けましたわ……!!」
黒魔法がフェルディナンドに届いた手応えを感じたのはほんの僅か。
瞬く間に跳ね返されてしまったのは、一目瞭然であった。
その後すぐに2度目に挑戦するも、結果は同様であった。
「たぶんだけどさ、キアラが『王子と婚約解消を図るために』王子の意思を乗っ取るってのがいけないんじゃない? 無意識かどうかは知らないけど、その気配を王子が感知して跳ね返してるんじゃないかなー」
「目的を感知だなんて可能なのかしら? フェルディナンド様の魔力は確かに強力だけれど、私に打ち勝つだなんてまさか……」
「キアラの魔力より王子の情熱の方が何万倍も強いって事だよ」
「情熱って? 黒魔法なんかにかかってなるものかという王族の矜持? 伯爵令嬢ごときに婚約解消を謀られてなるものかという自尊心? ……それにしても、この私が太刀打ち出来ないだなんて悔しいわ。絶対に黒魔法をかけて、婚約解消してやりますわ!」
「まーた変な方向に張り切っちゃって。ま、面白いから良いけどー」
キアラは悔しさでいっぱいであった。魔力で誰かに負けるなど初めての体験だからだ。
「最後の1回だねー。キアラの気合いと王子の情熱、どっちが勝つか見ものだね」
「絶対に私が勝ちますわ!!」
呼吸を整えたキアラが、両手を伸ばし魔力を掌に集中させる。
『宵闇よ、我に力を──この婚約を全て黒く塗り潰す力を与えてちょうだい!!』
思いの丈をぶつけながら唱えた3度目の詠唱後、異変は直ちに起きた。魔法陣から闇色の炎が燃え盛るとともに、先刻とは比べようのない力を纏う深紅の炎が魔法陣から溢れ出てきたのだ。
「……くっ、何ですの!? この力っ、……うっ」
「キアラッ!!」
紅い炎がキアラを包み込んだ。
◇
「きゃあっ」
どこかの空間に放られる感覚がしたため、落下しないよう浮遊魔法を発動させようとするキアラだが、一足先に何かに身体をすっぽりと包まれる感触がした。
「一体何ですの!? ここは──」
「……キアラ?」
「フェルディナンド様!? え、ではここは……」
「私の寝室だ。突然キアラが降ってきたから驚いた」
半身を起こしたフェルディナンドにベッドの上で横抱きされている事を認識したキアラは、慌てて腕の中から逃れようと身体を捻らせた。しかし、びくともしない。
「フェルディナンド様? 離してくださいませ」
「…………キアラ」
ふわりと身体が浮いたかと思ったら、ふかふかのベッドの上に仰向けに寝かされてしまった。すぐに身を起こそうとするが、キアラよりも身体の大きなフェルディナンドに真上から覆い被されて、両手に指まで絡ませてきたため身動きが取れない。
「フェルディナンド様! お戯れはおよしになって!」
「……先程からとてつもなく恐ろしい邪気に魘されて寝付けずにいたのだが、いつの間にか夢の中に入ってしまったのだろうか……。夜は君に会えないから嫌いだったけれど、こんなに魅惑的な夜ならいつまでも明けなければ良いのにな……。薔薇の香りがする……。キアラの匂い……良い匂いだ……幸せだな……」
普段より饒舌でどこかうっとりとした瞳で見つめてくるフェルディナンドへ、寝ぼけて夢と現実の区別がついていないのだろうと判断したキアラは脱出を試みることにした。
「そ、そうです! 夢です! これは夢ですわ! フェルディナンド様はおかしな夢を見ているだけですわ! 早く目を閉じてくださいませ! そしたら夢からすぐ覚めますわよ」
「嫌だ。覚めたくない。私の愛しいキアラ……。どうか私から離れないでくれ……」
「え? え? やだ、フェルディナンド様っ、近い……んっ、んんっ」
薄暗闇の中、極光の瞳に映される端正な顔が徐々に近付き、唇に柔らかな感触を優しく落としてきた。
瞬間、キアラを鮮やかな極光が包み込み──すぐに暗闇と静寂が戻った。
「キアラ? ……消えてしまった。ああ、やはり夢だったか」
◇
テレポートを使い、自室へと戻ったキアラはベッドの中で泣いていた。腕の中のロチェをぎゅうぎゅうと抱き締めて。
「ううっ……もうお嫁に行けませんわ……。殿方とあんな事をしてしまうだなんて……。お子ができてしまったらどうすれば良いの?」
「その殿方が未来の夫でしょーに。チューくらいで子供ができるわけないでしょ。そういう教育は受けてないわけ? ……ぎゃっ! 痛いよキアラ!! 潰れちゃうっ」
「だからフェルディナンド様とは婚約解消すると言ってるでしょう!? ……ベッドの中で殿方と濃厚に触れ合ったらお子を授かるのでしょう? だから普段から異性と過度に接触するなと躾けられてきたもの。それくらい私も知ってますわ。……うう、お父様にもお母様にも顔向け出来ませんわぁ。いくら寝ぼけていたからって、フェルディナンド様ったらあんまりですわぁ」
しくしくと涙する純真無垢にも程がある創造主へ、ロチェはすっかり呆れ果てている。
明くる日の朝。深夜の出来事はすっかり夢だと思い込んでいるらしいフェルディナンドは至って平常通りであった。いつものように庭園での稽古が始まろうとしている。
「おはよう。キアラ、ロチェ殿」
「…………おはようございます。フェルディナンド様」
「おはよー、王子」
「……どうした、キアラ。覇気がないな。顔色も良くない。具合が悪いのか?」
「昨夜はあまり眠れなくて……」
歯切れ悪く答えるキアラに、フェルディナンドはすぐに答えた。
「そうか。今日は稽古の付き添いはいらない。部屋まで私が送ろう」
「いえ、結構ですわ。座っていればだいじょ……きゃっ」
言い終える前にフェルディナンドはキアラを横抱きにして城内へと向かった。
ゆらゆらと揺られながら困惑するキアラであったが、不調にすぐ気付いてくれたことが何だか少し嬉しくもあった。
キアラを抱えて部屋のベッドまで運んだフェルディナンドは、近くに待機していたキアラ付きの侍女へ何か声を掛けていた。
話し終えたようで侍女は一礼をして部屋から下がり、残ったフェルディナンドが口を開く。
「今日の妃教育は全て休め。……日々の妃教育で疲れているというのに、毎朝私の稽古に付き合ってくれてすまない。明日から付き添いは不要だ」
「それはだめですわ。もともと私が剣のお稽古を見てみたいと勝手に見学していただけですし。私がいないとフェルディナンド様は無茶ばかりするんだもの。……でも、お妃教育はお言葉に甘えて今日だけゆっくり休ませていただきますわね」
「……しかし」
「お気遣いいただきありがとうございます。私、少しひと眠りさせていただきますので、フェルディナンド様はどうぞお稽古にお戻りくださいませ」
気丈に振る舞うキアラの顔は少し青褪めている。
腑に落ちない表情のフェルディナンドであるが、キアラを休ませたい思いもあってかそれ以上は何も言わずにそっと部屋から出ていった。
パタリと扉が閉まった瞬間、キアラは隣でゴロゴロしているロチェを引き寄せてきつく抱き締めた。
「痛い、痛いよっ! 何? 何なの!」
「ロチェ! 私、平静でいられたかしら?」
「だから何なの!?」
「フェルディナンド様に抱えられている間に、ある事実に気付いてしまったのよ……! 気が動転してしまいそうだったけれど、上手く隠せていたかしら?」
訳の分からないロチェはキアラの腕の中からどうにか逃げ出し、どういう事だと続きを尋ねた。
恐る恐るといった口調でキアラが答える。
「私、やっぱりお子を授かったのですわ」
「へ?」
気の抜けたロチェに、キアラは畳み掛けた。
「だから、やっぱりあの時、お子を授かったのですわ!! だから今日は調子がおかしいのですわ! 何だか眠いしだるいのよ!」
「寝不足の上、最上級レベルの禁術を3連続で使ったからちょっと疲れてるだけだと思うけど。テレポートだって上級魔法だし、相当な魔力を消費したんじゃないの。ちょっと疲れるだけで済むなんて、さすがキアラ様。ほんと最強の魔法使いだよねー」
「茶化さないで! ふらふらするし、心なしか気持ち悪いの。これは懐妊の兆候ですわ!!」
「まぁそう思うなら、責任取ってもらえば良いんじゃない? 未来の夫に」
面倒くさそうに返答するロチェの言葉を聞き、キアラは何かを決心したようだ。
「……赤子に罪はないものね。母となるのだもの、潔く嫁ぐしか道はありませんわよね。この子と一緒に魔法の腕を磨いていきますわ」
突如、ガシャガシャッと大きな物音が辺りに鳴り響く。
何事かとベッドから身を起こし音源に振り向くひとりと一匹は、部屋の扉が開かれていることに気が付いた。そしてそこには、予想外の人物がいた。
「フェ、フェルディナンド様……? どうされましたの?」
顔面蒼白となったフィレッツィ王国王太子が立ち竦んでいた。グラス、盆、そして水差しと中に入っていた水を床に盛大にぶちまけて。どうやら先程はキアラに飲ませるための水を持ってくるように侍女へ命を出したようだ。
キアラの様子がどこかおかしいと感じたフェルディナンドは、心配で居ても立っても居られず、侍女が手にしてきた水を自身で運びに来たところであった。
「キアラ……君に……赤子……? 嫁ぐ、だと? そんな……君がまさか、嘘だ……」
震える声で言葉を紡ぐ彼の姿を見て、神妙な面持ちのキアラが口を開く。
「……フェルディナンド様。私、覚悟を決めましたわ。婚姻前の身の上でありながら、まさかこのような事態になるとは思いもしませんでしたけれど。私はあなたと」
「みなまで言うな。婚約解消だなんて認めない。何があろうと君は私の婚約者だ。君も、お腹の子も……私は受け入れる」
「え? ええと、そうですか……」
自らの責でこのような事態になったのに今さら何を言っているのだと疑問に思うキアラであったが、このままお腹が大きくなると婚姻の儀に影響が出るかもしれないと意識を移した。
これからのことを話し合わなくてはとベッドから足を下ろし端へと座ると、近くの椅子に腰掛けるようフェルディナンドへ勧める。
ベッドで寝転がっているロチェは「後はふたりだけの世界でよろしくやってよ」と身体を丸めてすぐに寝息を立ててしまった。
「それにしても、一晩経ってすぐにつわりがくるものなのですね。生命の神秘ですわ」
自身のお腹に手を当てながら呟くキアラの姿に瞬時に胸が張り裂けそうなくらい切なげな表情を浮かべるフェルディナンドであったが、彼はすぐに違和感を抱く。
「……一晩経って? 昨夜か?」
「ええ、フェルディナンド様が真夜中に……その……私に濃厚な接触をされたでしょう?夢じゃありませんわよ。ハプニングで寝室にお邪魔してしまったのですけれども」
「真夜中……濃厚な接触……夢……」
ぶつくさと呟き訝しげなフェルディナンドを不思議に思いながらも、キアラは気にせずにお腹を撫でながら言葉を続けた。
「寝室で殿方と濃厚な接触をしたら、お子を授かる事ができるんでしょう?」
「…………キアラ、君のいう濃厚な接触とは?」
「いやだわ、フェルディナンド様ったら! 淑女にそのような事をはっきりと言わせないでくださいませ! ……フェルディナンド様が私の唇に……ああ、もうこれ以上は私の口からは言えませ……え?」
言い終える前にキアラの視界が塞がった。
フェルディナンドが抱き着いてきたからだ。無防備なキアラはあっさりベッドへと押し倒されてしまう。
覆い被さる背中を軽く叩いて早く退くよう抗議するキアラだが、力強く抱き締められてなかなか離してくれない。こうなったら魔法で抜け出すしかないと考えているところで、少しだけ上体を起こしたフェルディナンドが、頬にかかる白銀の髪へと指を絡めてきた。
「フェルディナンド様、だからそういったお戯れは──」
「私は自惚れていた。君が私の隣にいることを、当然のように享受していた。私の元から離れてしまうだなんて考えたこともなかった。……だから、これから先は私から離れられないように君の心を繋ぎ止めることに尽力する。いつも理性が邪魔して想いを口にするのは控えていたが……私の気持ちを君に全て捧げる」
「え?それは……」
何だか大胆なことを言われているような気がしてそわそわするキアラへ、フェルディナンドが追い打ちをかける。
「覚悟してくれ。君は逃げられない」
見上げるキアラの瞳に、思わず見とれる程に優しく不敵に微笑むフェルディナンドが映る。
初めて見る表情にキアラの胸がドキドキと音を立てる。
その気持ちの正体を、キアラはまだ知らない。
◆
──10年と少し前のこと。
フィレッツィ王国待望の世継ぎとして生まれてきた男児は、純粋な王家の血筋、端麗な容姿、何不自由なく恵まれて大切に育てられてきた。
7つの誕生日を迎えても魔力の兆しが訪れないことに引け目を感じていたが、両親である国王夫妻は温かく見守っていてくれた。
しかし、周囲の期待が多大なものであることは、幼い彼にも嫌というほど感じ取れた。
もし人並みの魔力であったらどれだけ失望されてしまうのか、もし魔力が発動しないままだったら──
言いしれぬ不安と圧力を感じずにはいられなかった。
そんな彼には、気になる相手がいた。
同じ年に産まれ、若干7歳で魔獣を生み出した稀有な魔力を有するご令嬢。
羨ましい。そして少しだけ、妬ましい。
そんな感情を心の底に浮かべながら、数百年ぶりの魔獣誕生を祝う場として王城内で開かれた宴に呼ばれた彼女と顔を合わせることになった。
ちやほやと周りから引っ切り無しに話し掛けられる彼女は、お茶の一口も飲む暇などないようであった。膝の上に乗せた魔獣の頭を撫でている様は、どことなく疲れているようにも見えた。
少しだけ同情した彼は、彼女とふたりで話してみたいと両親に伝えた。自分が頼めば恐らく許可され、彼女を少しだけ他人の好奇心から解放してあげられると思ったからだ。
ふたりと一匹というかたちで、果たして願いは聞き届けられた。
厳重に警備された中庭に行き着くと、彼女はほっと胸を撫で下ろしていた。腕の中の魔獣は退屈なのかぐっすりと眠っている。
顔を上げた彼女が神秘的な瞳で彼をじっと見つめ、無垢な笑顔を見せる。
『澄ました王子様の魔力は情熱的なお色をしてるのね。先程はご配慮ありがとうございます。お礼に、おまじないをかけさせてくださいませ。情熱的な薔薇のように素敵な魔力が花開きますように。……薔薇は私が大好きなお花なの』
少しはにかみながらそっと両手を握ってきた直後、極光色のキラキラとした粒子が彼の手に降り注いだ。
彼の魔力が開花したのは翌日のことだ。
誕生日はただ与えられる物だけで充分だと思っていた彼は、生まれて初めて両親に少し遅れた誕生日プレゼントをねだった。美しい薔薇の咲き誇る庭園が欲しいと。願いはすぐに叶えられた。
5年後には、誰にも内緒で恋い慕っていたはずのご令嬢が、婚約者の座についた。
黒魔法など物ともしないひたすら一途な王子様と、歴史に名を残す程の魔力を持ちながらも恋愛ぽんこつ初心者ご令嬢の恋は、まだ始まったばかり。
おしまい
お読みいただきありがとうございます。




