テロルの子守歌
昔どこかの創作企画で書き上げたものをちょっと編集して再投稿です(’ ’
母さんがわたしを殺して
お父さんがわたしを食べたの
兄弟たちはテーブルの下にいて
わたしの骨を拾って床下に埋めたの
『マザー・グース』My mother has killed me
驚くほどボロボロで、今にも壊れそうな一台の大きな赤い車が、がたがたと音を立てながらとある街の道路をゆったりと進んでいた。
車は頑丈さがウリのピックアップトラックで、内装は簡素なものだった。
これを売りつけた商人は「ハイラックス」とは言っていたが、恐らく外見ばかりの偽物なのだろう。
先程から今にも止まってしまいそうなエンジン音に、車体が揺れる度にギスギスとフレームが軋む音がすることから、質は悪いのだと分かる。
運転しているのは、ぎょろぎょろとした目を光らせている可愛らしい十四歳くらいの少年だった。
肌の色は褐色で、黒い癖毛に細い体つきをしている。
着ているのは使い古した感のある白のタンクトップに半ズボンで、足には便所サンダルを履き、しきりにぼりぼりと二の腕を引っ掻くせいで、爪には抉れた皮と血がくっついていた。
車内のルームミラーにはお守りらしきものが三つほどぶらさがっていた。
宗教的な統一感はなく、とりあえずぶら下げていれば御利益があるだろうと考えているらしかった。
街の道路は舗装されてはいたものの、凹凸が酷く、しきりに少年は尻を座席にぶつけていたが、痛いと感じている様子は微塵もない。
十四歳の少年が車を運転しているのを見て街人は「どうも辺境辺りから来た子らしい」と思って、少し哀れに、少し愉快そうに赤いハイラックスモドキを見送った。
しばらくすると、少年はかつて政府軍で使用されていた軍用トランシーバーの受話器をダッシュボードから引っ張り出して、ダッシュボードの中に手を突っ込み、フロントガラスに張られているメモの通りにチャンネルを合わせた。
ダッシュボードの中身を丸ごとくり抜いて、トランシーバーを組み込んだ後、再びカバーを被せたのだろう。
アンテナは車の天井に伸びており、その天井を貫通して斜めに車外へ露出していた。民間車にしては黒くて太いアンテナだなとは、誰も思わなかった。
『準備は整ったな』
受話器から聞こえてきたのは、抑揚のない低い声だ。
感情が読み取れないその声の語尾は、少し上がっているような気がする。クエスチョンマークが語尾についているのだろうか。
少年はハイラックスモドキを路上に泊めていつの間にか荒くなっていた呼吸を整えてから、
「はい」
と短く返した。
再び受話器から声が聞こえてくるまで、数秒の間があったが、少年はその数秒の間で助手席においてあった瓶から粒状の薬を口の中に放り込み、それをガリリと奥歯で噛み砕く。
その薬がどういう薬なのかは少年は知らなかったけれども、少なくともこの薬を使っている時だけは意識が明瞭になって、感覚に靄がかかったようなわずらわしさから解放されると言うことだけは知っていた。
『お前の使命は単純だ』
少年の耳朶を打つのは、やはり淡々とした声だ。
その声にどこか世捨て人のような印象を受けるのは、声にはただ感情が読み取れないからだ。
だから声は感情などなく、何者にも執着しないのではないかと言う妄想が浮かぶ。
何者にも執着しないが故に、何事にも取り組めてしまう。
そんな悪魔と会話しているのではないかと、少年はぼんやりした思考の中で揺られ続ける。
完全にトリップ状態に陥った少年の鼓膜を、声が震わせる。
傍から見ればそれは、洗脳だった。
『俺が起こすトラブルに乗じて、自爆攻撃をするだけだ。お前がすることは、アクセルを踏んで突っ込むだけ。爆破はこちらでやる』
「そうかい」
『そうだ。比率で言えば、燃料よりも積んだ高性能爆薬の方が多いだろう。その爆発力があれば、大きな花火になる』
「そうかい」
『見せしめにはちょうど良い。状況が回復するまで、俺たちが殺す人数も合わせれば、相当数になるだろう』
「そうかい」
『では、行け』
「ああ」
ブツリと音を立ててトランシーバーが沈黙する。
少年はクラッチを踏み、ギアを入れ、なにかが起きるのを待った。
街は久し振りの快晴に恵まれて人通りが多く、家族連れの夫婦が買い物袋を抱えているのがちらほら見える。
平和的な日常をそのまま切り取った現実の中、少年はその平和が崩れるのを待っていた。
ガリリ、ガリリと、少年は薬を噛み砕く。
次第に意識が晴れ渡って、現実の中に真実を見出せそうな気分になって来た時、信号待ちをしていた中年男性の頭が破裂した。
これがトラブルだなと、少年はクラッチを操作し、ゆっくりとハイラックスモドキを車線に戻しながら思った。
目標は、前方にある政府軍の検問所だから、あとは加速しまくればいいだけだった。
三速、四速とギアチェンジをしながら、赤いハイラックスモドキは今にも自壊しそうなほど震えながら、道路を疾走していった。
シートで覆われた荷台に積まれているのは、プラスティック容器に高性能爆薬と信管を取り付けた自家製の爆弾で、それが隙間なく荷台に積み込まれている。
起爆スイッチが押されれば、それらの爆弾は皆すべて同時に爆発し、周囲にとてつもない爆発エネルギーと衝撃波を放ち、固定されていない物すべてを震わせるだろう。
グラウンド・ゼロから飛散した破片が一切の分別なく人々に襲い掛かり、衝撃波と爆圧は鼓膜を破裂させ、眼球を歪め、一瞬だけ世界の流れを止めるだろう。
そうして再び動きだした世界に広がるのは、たった一人の少年が作り出した地獄絵図だ。
一人の少年と、爆弾と、ハイラックスモドキがあるだけで、日常はいともたやすく壊れる。
そう宣言するには凄惨すぎるほどの、惨劇だ。
「ああ、そうかい」
少年はそう呟きながらアクセルを踏み抜く。喘息持ちのエンジンが悲鳴をあげるかのように異音を吐き出し始め、ボンネットからうっすらと煙が出始める。
検問で煙草を吸っていた兵士が異変に気づき、戦車とジープの子供みたいな図体をしたハンヴィーの銃架に搭載されたM2重機関銃のコッキングハンドルを二度引き、12,7㎜×99弾を装填。
大口径主義者も白目を剥く戦慄の五〇口径の銃口がハイラックスモドキを捕らえ、時速七五キロで突っ込む物体を粉微塵にしようと、サングラスとヘルメットをつけ、煙草を吐き捨てた兵士が親指でトリガーを押し込む。
検問所前の障壁を躱して肉薄するハイラックスモドキは、次の瞬間には重々しい発射音と共に飛来する毎分五〇〇発の銃弾の雨に撃たれて文字通り蜂の巣になった。
御老体の心臓であるエンジンはズタズタに引き裂かれ、それまで車を車たらしめていたシャーシは見るも無残に滅茶苦茶に掻き回されまくって、少年の身体は馬鹿でかい穴をあけた肉人形になっていた。
そして、それらすべてを吹き飛ばすために、小さな信号が空気中を伝って信管に伝わり、電気信号が爆薬に流し込まれた。
―――
軍用の起爆装置をカチカチと手の中で鳴らした少女は、素早く起爆装置を手放して耳を塞ぎ手で目を閉じ、ぽかんと口を開けた。
爆圧と爆音に対する防御のためだった。
まず初めに極短い地響きがおき、次に地震がやってきた。
地面が下から突き上げてくるような大きな振動が一度あり、空気が撓む感触と、音と言うよりは一種の自然災害と思えるほどの爆音が地平線まで駆け抜けていく。
ぐらぐらとする自分の感覚に戸惑いながら、少女は半自動式狙撃銃をとった。
振動で落ちてきた埃を手で拭い、薬室に弾丸が装填されているかを確認した少女は、目についた人を淡々と殺していった。
パァンと銃声が響くと、泣き叫ぶ声が一つずつ減っていく。
少女がいるのは集合住宅の二階で、元の住民は少女の後ろで頭から血を流して死んでいた。
夫婦と子供が三人と言う構成だったが、うるさく喚きそうだったので、少女の〝マスター〟が手早くやっつけたのだ。
「最低でも十人は殺れ、お前の試験にちょうどいい」
「はい、マスター」
少年に淡々と命じた声が少女の隣で発言した。
少女は返答するや否や、引き金を絞って六〇メートル先で泣きながらお母さんと叫んでいる男の子を銃殺し、さらにその隣で呆然と立ち尽くしていた中年の男性を射殺した。
少女の隣には、男がいた。
古びた政府軍の戦闘服を着込み、使い古された装備を身に着けている、がっしりとした体格の男だ。
短く刈り込んだ黒髪に、無機質な光を持つ灰色の瞳を持ち、老け顔に無精ひげを生やしている。
男は少女の持つ狙撃銃と同じ、半自動式狙撃銃を持っていた。
7.62㎜×54R㎜弾を使用する実戦的な銃で、実戦的であるが故に何十年も使われ続けた銃だった。
ドラグノフと呼ばれるこの銃は、狙撃銃にしては精度がよくなかった。
男が引金を引くと、通りの向こうから急いで走ってきた若者の警官から帽子が吹き飛んだ。
警官は糸の切れた操り人形の様に顔面から道路に倒れ込み、それきり動かなくなった。
男がもう一度引金を引くと、今度は恐怖で座り込んでいた女性の頭が吹き飛んだ。
二発目はない。一発で必ず目標を射殺する。
「お前は何人殺った?」
引き金を引き、呼吸をするように人を屠りながら男が言った。
「六人です」
「遅い」
即座に飛んできた男の言葉に少し落ち込んだ様子を見せた少女は男と同じように引金を引いて、今度は携帯電話で道路に開いた穴と爆発痕を撮影している野次馬の右側頭部に銃弾を叩き込んだ。
一分と立たないうちに、路上で右往左往していた人は静かになった。
銃弾を頭に撃ち込まれ、即死を免れるような幸運の持ち主は一人としていない。
誰もが空の下に血で濡れたピンク色の脳を曝け出し、道路上で永遠に眠っている。
ドラグノフのスリングに腕を通して肩に掛けるようにした少女と男は、床に転がった薬莢も死体もそのままに部屋を立ち去ろうとした。
その時、どんどんとノックの音が響き、アパートの住民らしき声がドアの向こうからした。
男は何も言わずにホルスターから.357マグナム弾を撃ち出せる自動拳銃、デザートイーグルを取り出すと、ドアを開け、ドアの前でちょっとした騒音について疑問を抱いていた近所住民三名の頭部を撃ち抜き、それが当然といったふうに堂々と駐車場へと向かった。
駐車場には何台か車が止まっていたが、男はドラグノフを荷台に放り込んでからオンボロのピックアップに乗り込むとキーを回してエンジンをかけた。
男の後を追う少女もそれにならって助手席に乗ると、男は急ぐわけでもなく、ゆっくりと町の外へ車を走らせる。
男の顔には優越感も、加虐に悦ぶような表情も、なにも浮かんではいなかった。
助手席に乗る少女は、その手で爆破した少年について考え、心の中で「マスターの役に立てて良かったですね」と思った。
男にとって人殺しや虐殺は見慣れたものであったし、それをどう想うかなど考えたことも無かった。
少女にとってこの男の存在は〝マスター〟という言葉が示す通り、主従関係のそれに酷似している。
少女はマスターである男に必要とされることに喜びを感じ、男に言われるままの行動をとる。
そうして二人は虐殺を終えた。
三人目の少年は、もはや肉片すらも残っていないだろう。
テロルは果たされ、恐怖が残る。