ヒカルゲンジ
ヒカルゲンジ
一
宇宙は限りなく広いですから天の川銀河に似た銀河が何処かにあっても不思議ではありません。それで言えば、その銀河に地球に似た星が何処かにあっても、その星に日本に似た国が何処かにあっても不思議ではありません。実際、ありまして或る村にケンキチという村長が住んでいました。彼は26歳の時に隣町の町長の娘を嫁にもらいました。歳は18で名をサナエと言いまして深窓の令嬢で気立てがよく国中虱潰しに探し回っても彼女以上の美人は見つからないだろうと思われる程の美人でした。
二人の結婚式には実に目出度いことだと村人全員が喜んで参加しました。結婚式が終わった後も村人たちは各家庭で二人のために祝杯を挙げました。それ程、サナエは比類のない美貌で村人たちを魅了し、ケンキチは村人たちから尊敬すべき村長として慕われているのです。
何しろケンキチは普通の良い人のように村人たちと一緒に和気藹々と働くばかりでなく自分たちの収穫を苛斂誅求を事とする貴族に搾取され、時には貴族従属の武士に横領される村人たちに援助も惜しみませんでしたから当然です。
ケンキチとサナエが結婚後、ケンキチの村の領主であるヒカルゲンジが初めて税の取り立てを行う為、護衛兼運搬係の武士たちを乗せた、運転手付きトレーラーでケンキチの御殿にやって来ました。
村人たちのケンキチに対する忠誠心は非常に強いものがありますから総収穫高は全村の平均値を遥かに超え、それは毎度のことですからヒカルゲンジは荘園制度で私腹を肥やす貴族の中でも華奢な暮らしをしていまして今回も頗る機嫌よく収穫報告を受けるのでした。
トレーラーに侍者たちが収穫を詰め込んでいる間、ヒカルゲンジは決まってケンキチの御殿の和式の客間で内心気の進まないケンキチと寛ぐのですが、何しろ、このヒカルゲンジ、名代の色男にして色事師、当然、好色で多情ときていて正室2人側室5人持っていまして、いい女に目がありませんから話は自然、縁先に見える庭の事からサナエの事に焦点が当てられました。
「この度は結婚おめでとうと祝辞を述べておきますよ。」
「ヒカル様直々の御祝辞、誠に恐れ入ります。」
「何でもないですよ、こんなことは、ところでケンちゃんの結婚相手の方ですけどねえ、とても美人らしいじゃないですか。」
「いえ、とんでもございません。ヒカル様の姫君方に比べれば、月と鼈でございます。」
「何をおっしゃるうさぎさんってなものじゃないですか、ええ、ほんとにケンちゃん、村長として貫禄が付いてきたばかりでなく、すっかり言葉遣いが洗練されましたね、どこで覚えたんです?さしづめ奥さんとの蜜月の甘い語らいの中で覚えたんでがしょ、憎いよ、この!」
「い、いや、ヒカル様は相変わらずお口が達者でいらっしゃいます。」
「いえいえ、どういたしまして、いや、そんなことよりです、うちの侍者の間でも評判でしてねえ、寄ると触るとケンちゃんの奥さんの話題で持ち切りになるんですよ。私なぞもね、加わって聞いてみますと、肌は雪をも欺く白さなんて申しましてね、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とこうくるじゃあござんせんか、そこで、どうです、お隠しにならないで、ここへ是非とも呼び寄せてくれませんか、ええ!」
「いや、それはちょっと・・・」
「何で?」
「いや、まあ、その・・・」
「何です、水くさいじゃありませんか、ええ。」
「いや・・・」
「ああ!そうやって渋るところを見ますと、まさか、こんな村にまで私の噂が及んでいるんじゃないでしょうねえっなんて思っちゃったんですけど、いかがでしょう?」
「・・・」
「どうやら図星のようですねえ、悪事千里を走るじゃないですが、浮名は流れやすいもので、いやはや、困ったものです。狭い狭い、世間は狭い!はあ、そうでしたか、でもね、大丈夫、心配ないですから、ね、ほんと、安心して、だって考えてもみなさいよ、幾ら、私だって村民を恋人の対象にする訳ないでがしょ。ねえ、だから、お願いですからお見せなさいよ、ね、ね。」
「はあ・・・」
「何よ、冷たいじゃないですか!こんなにお願いしてますのに、私とケンちゃんの仲じゃないですか!」
「あの、それでは条件を呑んでくだされば、お目にかけますが・・・」
「条件!また、お堅い。まあ、いいですよ、聞いてあげます。」
「はい、あの、ヒカル様についておられるお侍様方がわたくしどもから時に収穫を横領することがございますから、それを止めさせてもらえませんか!」
「なんと!私の侍者どもがですか?」
「はい!」
「それは知りませんでした。まさか、ほんとにほんとうですか?」
「はい。」
「いや、全くそれはけしからんことです!私が厳重に注意しておきます。いやね、何しろ私は周知のとおり主に宮中で暮らしてまして、村のことには疎いんですよ。あっ、言い訳ご無用ですね。顔に書いてあります。怖い!怖い!時より見せるそのケンちゃんの目、怖い!怖い!はい、はい、分かりました、兎に角、止めさせますから安心してお見せなさい!」
「それと、もう一つ条件がございまして・・・」
「えっ、まだあるの?」
「はい、あの、村人たちは非常に重い税に苦しんでおります。ですから減税をお願いしたいのでございます。」
「それは幾らケンちゃんの頼みでも駄目です。だって、それは一存では決められませんから・・・ね、分かるでがしょ。」
「・・・」
「また、そんな不満そうな目つきをして・・・」
「金は天下の回り物なんです。一部の富裕層だけが金を持っていては村人たちの景気は一向に良くなりません。」
「確かにね、私たちがもらい過ぎな気はしますよ。だけど生まれ持っての身分ってものがあるでがしょ。しょうがないことですよ。高貴な者は高貴に、そうでない者はそれなりにってことじゃあごわんせんか、ええ、そうでがしょ。私たち貴族はね、政以外にも色々やることがございましてね、報酬に見合った仕事をしてる訳ですよ。ケンちゃん方は無駄に金を浪費してるとか思われるかもしれませんがね、冠婚葬祭とかね、盛大にやることもちゃんと意味が有るんですよ。その証拠に王朝文化が花開いてるじゃないですか!ええ!」
あんた方だけだろ、それも全人口の0・001パーセントにも満たない・・・とケンキチは思うのでした。
「それに私はねえ、政治家としても非常に情の深い配慮をなさると良い評判を得ていますから、そう目で責めないでくださいよ。」
あんたが情の深い配慮をするのは妻や妾や貴族仲間に対してだけで村人たちにはこれっぽっちも配慮してないじゃないかとケンキチは思うのでした。
「兎に角ね、侍者どもの横領は絶対やめさせますからお見せなさい!」
「はあ・・・」
「何です!私がこんなにお願いしているのに!もう、よろしい!私が直接、会いに行きます!」
ヒカルゲンジが強硬な態度で腰を上げましたのでケンキチはこれは不味い、機嫌を直さないと横領禁止の件も呑んでくれないと心配になって倉皇として言いました。
「ああ!お待ちください!分かりました!妻をお呼びします!」
「そうですか、よろしい、じゃあ、座りましょう。」
ヒカルゲンジが座に落ち着きますと、ケンキチは呼び鈴を鳴らしました。
暫くして待ってましたとばかりに慌ただしい足音と共に縁側に物見高い女中が現れまして敷居に額ずいて顔を上げるや興奮の余り声を上ずらせて言いました。
「ご、御用件は、な、何でございましょう!」
この女中は一ヶ月に一回やって来る美しいヒカルゲンジを咫尺の間に意識して半端でなく興奮しているのです。
「ヒカル様がお呼びだとサナエに伝えなさい!」
「ひ、ヒカル様がですか!」
「そうだ!」
「は、はい、畏まりました!」
果たしてドタバタと慌ただしく立ち去ると、ヒカルゲンジが言いました。
「あの女中はこの風流な場を乱す者ですね。」
「はあ、風流とは申し兼ねますが、不束者には違いございません。」
御殿と言ってもケンキチの御殿は質素に出来ておりましてケンキチは贅沢を好みませんから置き物にしましても飾り物にしましてもそうで数も少なく至ってシンプルで床の間に定番の掛け軸の他は椿や桔梗や小菊で飾られた立華が、床脇の違い棚に花瓶が一つずつあるだけで、この和室には家具は一切なくて縁先の庭にしましても定番の筧や雪見灯籠の他はオブジェらしきものはなく建仁寺垣の手前に玉散らしの松が一本寂しげに立ち、植え込みの花も目立たぬように咲いております。
只、雲と天女が施された欄間から差す光を浴びたヒカルゲンジの美しさだけが際立つばかりでありまして桜襲の唐織物の直衣に葡萄染の下襲を着る姿は艶でこの世の者とは思われません。
「これは織部焼ですか?美濃焼ですか?」
不意に尋ねるヒカルゲンジの湯吞を持つしなやかさも誠に優雅であります。
「あの、私は無粋ですから存じ上げません。」
「そうですか、私も計り兼ねます。ホホホ!」
笑う姿も絵になります。
「ほほお、敷き砂の上をセキレイが小走りに、おっと竜の髭から蛇が、おおこわ!」
驚く姿も絵になります。
「あの花は何ですか?」
ケンキチはまた不意に聞かれて、どぎまぎしまして、「えーと、私は花にも疎くて、あれは妻が植えたものでして・・・」
「紫苑じゃないですか、可愛らしい花ですねえ。この庭によく映えます。奥さんは庭を飾るセンスもよくていらっしゃる。」
感心する姿も絵になります。
「ところで遅いですねえ、奥さんは・・・」
「はあ・・・」
二人が無言で向き合って茶請けを摘まみながらサナエの消息を想像している折、松籟がそよそよと吹いて来て覚えず庭の方を見ますと、微かな衣擦れの音と共にサナエが縁側に現れ、直様敷居に額ずき、顔を上げ、「お待たせいたしました。ヒカル様、ケンキチの妻のサナエにございます。」と挨拶してまた一礼しました。
大層めかし込んでおりまして藍白の長襦袢に雪の結晶のような模様が入った絞り染めの紺青の一張羅の着物を身に着け、紅粉青蛾した肌は一点の曇りもなく真っ白です。勿論、サナエはヒカルゲンジの気を惹こうとしたのではなく、やんごとなき者に対する女の見栄で粉飾したのです。
その近代的な着物姿に新し物好きのヒカルゲンジは宮中の姫たちにはない魅力を感じて一方ならず惹かれてしまい、これはもうどうしても情人の一人に加えなければ気が済まなくなりました。
「う~ん、噂にたがわぬ美しさではないですか!いや、噂以上ですね、ケンちゃん!」
ケンキチはやはり不味いことになったと思いつつ言いました。
「ヒカル様は相変わらず口がお上手でいらっしゃいます。」
「いやいや、ケンちゃん、しらばくれちゃいけません。私が本心から言ってるのは見え見えでがしょ!いや、ほんとに、だってね、宮中では初対面じゃなくてもはっきり見えないように几帳や御簾でぼかしたり屏風や衝立を間に置いて隠したりする上に扇で顔を隠すもんですが、こうはっきり見せられてはねえ・・・」
サナエは自分の失態に気づくなり右に顔を背け、左手で横顔を隠しました。
「今更、隠したって無駄ですよ、それにそんな真似は冷たく受け取られるだけで何の得にもなりませんよ、ねえ、お顔をお見せなさいよ、私を誰だと思ってるんですか、失礼じゃないですか、ねえ、ケンちゃん!」
ケンキチはもう何も言えませんでした。
「いいです。一目見れば結構、さあ、では、とっくに済んでるでしょうから今日はこれにて引き揚げましょう。」
ヒカルゲンジはそう言って立ち上がりますと、正座した状態で蹲るサナエを横切って、すたすたと玄関の方へ廊下を渡ってゆきました。
ケンキチは一旦はヒカルゲンジを見送るため追っかけようと思いましたが、サナエへの愛おしさ故に蹲るサナエを抱き起こして、ひしと抱き締めました。
二
ヒカルゲンジは帰路の間も六条院に帰ってからも、どうしたらサナエを情人にできるかとそればかりを考えていましたが、そんなことを考える日が続いて、その合間に正妻や情人と会うたびに何だか古臭い女に思えてしまい、遂にはおかめ顔が嫌になり、サナエが恋しくて恋しくて堪らなくなりました。
そうしてサナエに出会ってから5日目の朝ぼらけ、釣り殿の高欄にもたれながら空に浮かんでいる美しい鴇色をした木綿かずらをぼんやり眺めている内、「玉響にぽかりと浮かぶ木綿かずら見ゆることすら許さざりけり」と一首詠んだ後、閃いてそれを覆すべく一つの案が浮かびました。
そこで早速、ヒカルゲンジはその日の空いた時間を利用してマイラグジュアリーカーでケンキチの御殿に向かいました。
昼時だったのでケンキチは昼食を取った後、自分の座敷で横になりながら休んでいるところでした。そこへ例の物見高い女中がやって来て興奮しながらヒカルゲンジが訪ねて来たと告げたので慌てて身なりを正し、断る訳にもゆかず客間へ通すことにしました。
「やあ、どうも、休憩中に急に伺ってすまなかったですねえ。」
「いえいえ、どうぞ、お座りください。」
自分が差し出した座布団にヒカルゲンジが座りますと、ケンキチは嬉しそうに装った儘、「いや、お珍しい、取り立て以外に来られたのは初めてですねえ。」
「なんですがね、実は今日はこの村にとって朗報を持って参ったのですよ。」
「朗報とおっしゃいますと・・・」
そう言いしなケンキチは湯呑に手を付けました。
「いや、この前ね、ケンちゃんに頼まれた減税についてなんですがね。」
「えっ!減税!ゴホッゴホッ」
ケンキチは茶を飲んだ後、叫んだので噎せたのです。
「それは無理なんですがね、私が自腹を切ろうと思いましてね。」
「えっ!とおっしゃいますと・・・」
「ですからね、この村に寄付しようと思って伺ったんですよ。」
「寄付でございますか?」
「ええ。」
「それはありがたいことですが、いかほどでしょうか?」
「一千万です。」
「い、一千万!」
「ええ。」
「それは本当でございますか?」
「本当です。但し、条件が有ります。」
「じょ、条件、一体なんでございましょうか?」
ヒカルゲンジは勿体ぶるため湯呑を取り、一口飲みましたが、例の物見高い女中の入れた茶であることに気づきますと、にがっ!おお、まずと呟き、湯呑を如何にも汚らわしいそうに茶托に置いてから言いました。
「実はですねえ、今度の日曜日に奥さんとドライブがしたいんですが、良いでしょうか?」
「えっ!それが条件でございますか?」
「ええ。」
ケンキチはヒカルゲンジが訪ねて来た時から胸騒ぎがしていたのですが、恐れていたことが到頭やって来たと思いました。
「そ、それは・・・」
ヒカルゲンジはケンキチの言葉が切れてから間髪容れず言いました。
「大丈夫ですよ、ケンちゃんが心配しているようなことは絶対しません。只、一緒にドライブをして、お話をしてみたいだけなんです。」
「し、しかし・・・」
「何を疑ってるんですか!失敬な!私はこの村の領主のみならず天下の太政大臣ですよ!この私の命令をきけないと言うんですか!」
如何に権威に抗う気持ちの強いケンキチと雖も権威を笠に着るヒカルゲンジの妖しく煌めく目に射すくめられてしまいました。
「ねえ、ケンちゃん、村民思いのケンちゃん、村民たちを助けたくないんですか?私は村民を救うために参ったんですよ。それをふいにする気ですか!」
ヒカルゲンジは条件を呑ませるために急所を突いて来たのです。果たしてケンキチの心は激しく揺れ動きました。ケンキチの村には親を病気で失いかけている子が何人もいました。その親たちを直してやるには高価な薬草が必要でした。一千万あれば、彼ら全員を救ってあげられる上に貧困に苦しむ他の村人たちも潤うのです。
「ほ、本当にサナエに変なことをしませんか?」
「い、いや、変なこととは何ですか?ちょっと失礼ですよ。」
「はっきり申します!本当にサナエにエッチなことはしませんか!」
「し、しませんよ、失敬な・・・」
「では、今からサナエに聞いて参ります。」
ケンキチは眦を決して納屋で村人数人と脱穀作業をしているサナエを自分の座敷に連れて来て訳を話しました。
サナエは正直なところ心中の奥底でときめきを感じました。何しろヒカルゲンジを一目見てしまったなら女性の誰もが憧れてしまう、それ程までにヒカルゲンジは光り輝く存在なのですから。しかし、サナエはもしものことがあったらと当然、悩みました。決してケンキチさんを裏切ることは出来ない、しかし、自分が条件を呑んでもヒカルゲンジが約束を守ってくれれば、裏切ることにはならないし、困っている村人たちを救えるのです。
「私、ヒカル様にお会いして真意を確かめてみます。」
ケンキチは首肯するしかありませんでした。
二人が客間に行ってみますと、ヒカルゲンジは座布団に胡坐をかいて割とゆとりのある表情で庭を眺めていました。が、サナエの姿を見るや否や、はっとした拍子に顔が引き締まって凛々しくなって一段と美しさが増しました。
「やあ、これはこれはお揃いで、ありがたいことです。」
サナエは割烹着姿でしたが、小さな頭にバンダナをセンス良く巻いていて寧ろ可愛らしくて決まっていましてケンキチの横の畳の上に直に正座しました。
すると、ヒカルゲンジは直接、サナエに言いました。
「で、条件は呑んでくれますか?」
「はい、ヒカル様がお約束を守ってくださるなら。」
「それは勿論、請け合いますよ。信用してください。」
サナエはヒカルゲンジの心中を探ろうとヒカルゲンジの目と自分の目とをしっかり合わせてヒカルゲンジを凝視していましたが、改めて見て誘惑されそうな自分を認識して絶対ケンキチさんを裏切らない!と自ら叱咤しました。
ヒカルゲンジがその熱のこもった燃えるような美しい目に益々惹かれていますと、サナエは決意しました。
「承知いたしました。では今度の日曜日、よろしくお願いいたします。」
「ほほお!そうですか!分かりました!ではねえ、早速、お金を用意します。現金輸送車で明日、使いの者を寄こしますから期待して待っていてください。」
翌日、約束通りヒカルゲンジからケンキチに一千万エンが送られましたのでケンキチは親を病気で失いそうになっている子の家庭を始め困っている家庭へお金を分け与えました。
三
遂に日曜日がやって来ました。ヒカルゲンジは約束の時間となっていた朝8時にマイラグジュアリーカーでケンキチの御殿にやって来ました。
サナエは先日の失態を繰り返すまいと、垂らしたロングヘアーを故意にぼさぼさにして顔をなるべく見えないようにし、化粧もせず服装も無骨なものにしようと上は着物の上にどてらを羽織り下はもんぺを履きました。
その姿をヒカルゲンジは甚だ失敬に感じましたが、しかし、サナエには違いありません、そう思うと、ほくそえむ他はありません。
冠木門に横付けされたラグジュアリーカーの助手席に乗り込むサナエをケンキチは色気違いへ生贄に捧げるような苦渋を感じながら然も心配げに見守り、それとは裏腹に最高級のカシミアを使用したスーツに身を固めて洋装したヒカルゲンジの虜となった例の物見高い女中と共に二人を見送りました。
「いやあ、ハハハ!いよいよスタートしましたねえ。」
「はい・・・」
敢えて沈んだ声で答えたサナエは、顔を振り向かせもせず俯いている上に垂れているロングヘアーの所為で顔が全く見えません。
ヒカルゲンジは出鼻を挫かれ、意気消沈しましたが、しかし、サナエには違いありません、気分はカーステレオのスピーカーから柔らかく鳴り響くボサノヴァと共に直ぐに浮き立ちました。
それを余所にサナエは出かける前、ケンキチに出来る限りヒカルゲンジを見ないように、ヒカルゲンジと顔を合わさないようにと言付けされていましたし、自分も言われなくてもその積もりでいましたから同じ姿勢のままでいました。
これでは自分の誇るべき容姿と魅惑的な目で以て気持ちを惹き込むことは出来ません。こうなったらとヒカルゲンジは自分の美声を使って口説き落としにかかりました。
「私はあなたを最初見た時、この人こそ花も恥じらい月も隠れる美しさだと思いましたねえ、だから、まず羞花閉月という漢語を思い浮かべましたよ、それから沈魚落雁とか明眸皓歯とか氷肌玉骨とか粉白黛墨とか解語之花とかね、全くその美しさには驚くばかりなんですが、また、あなたが素晴らしいのはその美しさが新しいんですよ、正にエポックメイキングですねえ、私の美意識が根底から覆されてしまいました。今もまるでファンタジーの世界に迷い込んでるようで夢うつつな気分ですよ。何しろ世の人口に膾炙した詩人達のありとあらゆる現実離れした幻想的な美の形容が悉く現実化している上に新しいんですからねえ、だから七歩の才を持つ詩聖でない限り、あなたの美しさを讃えることは出来ないでしょう。」
サナエはヒカルゲンジの立て板に水の如く流れる妙なる美声に因る言葉の数々にメロディアスで甘美な調べを聴くように聞き惚れてしまい、身が蕩ける思いがしました。
「ところで私はあなたも知っての通り、名うての好色一代男で妻を2人持ち、情人を5人持っていますが、私は彼女たちに分け隔てなく誠実なる愛を以て接しているのであって決して徒し心から彼女たちを選んだのではありません。そして今、私はあなたに誠実なる愛を以て接しているのです。あなたにも姫君たちと同等、いや、それ以上の愛を捧げる積もりです。どうです、私の気持ちを御理解いただけましたでしょうか?」
サナエはすっかり恐縮してしまい、もっといい格好をして来ればよかったとさえ思いましたが、相変わらず俯いたまま言いました。
「あの、わたくしは今や、村民でございます。お付き合いに必要な和歌はおろか何の作法も知りません。あなた様のお相手など務まる訳がございません。それどころか、あなた様の不名誉になるだけに決まっております。」
そのしっとりとしめやかに話すサナエの甘い美声にヒカルゲンジは姫君たちに負けず劣らずの気韻を感じ、うっとりと聞き入っていましたが、そんな陶酔した自分を打ち払うように強い語調で言いました。
「不名誉!そんなものはどうでもいいんです。私は仮令、どんな醜聞を立てらえようが、あなたと付き合えるなら一向に構いません。どうです、これからも時たまで良いですから会ってくれませんか?」
「あの、わたくしはケンキチの妻でございます。そんなお付き合いをする道理はございません。」
「私はケンちゃんとは長い付き合いでしてね、あの人は理解のある方だからケンちゃんに言い聞かせて私とあなたの付き合いを合法なものとして認めさせてみせますよ。」
ケンキチさんがそんなこと認めるわけがないとサナエは思い、改めて強い反発心を抱き、この方の言うことは何も信用してはならない!絶対ケンキチさんを裏切ってはならない!と不退転の決意を固めました。
そんなこととは露知らずヒカルゲンジはこの後も口説き続けましたが、サナエの頑なな態度が一向に変わらず少しも顔を向けませんので面と向かって話をしようと思いまして、「はあ、私はそろそろ疲れました。これから喫茶店に寄って、お茶でもしましょうか?」
「えっ、わたくしはこんな格好で、お恥ずかしゅうございます。」
「それなら服を買ってあげましょう。」
「そ、そのようなことをしていただいては、わたくし、困ります。」
「困ることはないですよ、遠慮はいりません。」
ヒカルゲンジはサナエの拒むのを冒して高級ブティックへ向かいました。
四
高級ブティックがあるところですから可成りモダンな街中です。で、一層恥ずかしくなったサナエを尻目にマイラグジュアリーカーを路肩に停めたヒカルゲンジは溌溂として呼び掛けました。
「さあ、着きました!着きました!降りましょうか!」
「いえ、私は恥ずかしくて降りられません。」
「そうですか、では恥ずかしくないようにして差し上げましょう。私が今から色々買いそろえて来ますから、えーと、その前にサイズを確認しておかないといけませんですねえ・・・スリーサイズを教えてください!」
「えっ!」これは絶対、秘密にしておかなければいけないことだとサナエは強く思いました。「あの、私はMです。」
「いや、Mって、マゾじゃないんですから・・・それだけ聞いたところで、ちゃんと服は選べませんからねえ・・・」
「いえ、Mの中からお探しくだされば、選べます。」
「そうですか~・・・」とヒカルゲンジは然も残念そうに言いましたが、こうなりゃボディコン着せちゃいましょ!と思いついて、にやつきました。だけど逆に恥ずかしがって着ないかも・・・とも思い、「ま、兎に角、楽しみに待っていてください。」と言って車を降りますと、裏がガラス張りで店内のディスプレイも外から見えるショーウィンドウが入口の左右に照明で明るく配された高級ブティックに颯爽と入って行きました。
サナエは待つ間、こんなことなら、もうちょっとましな格好をして来ればよかったと後悔しましたが、女心としてヒカルゲンジがどんな物を買って来るのか期待せずにはいられせんでした。
彼是、30分も経った頃に買い物袋を両脇に抱えたヒカルゲンジがやって来てリアドアを開け、買い物袋を車内へ入れてから運転席に乗り込みました。
「いやあ、お待たせしました。お洋服も靴も櫛もシュシュも買ってきましたし、ブティックのファッションアドバイザーさんに色々聞いたり注文したりしましてね、ばっちりコーディネートしてもらいましたし、ポニーテールを作るのに必要な物ももらって来ましたから後ろの座席で着替えて髪を束ねてください。私は買い物袋を被って目隠ししますし、後ろのドアにはカーテンが付いていますから安心して着替えてください。」
「私、そんなにしていただいて本当に困ります。」
「いやいや、私にとっては端金を使ったまでです。遠慮なさらず、さあ、どうぞ、後ろの席へ移ってください。」
サナエは楽しみにしている気持ちを隠そうと俯いた儘、ドアを開け、後部座席に移りました。
二つの買い物袋の中を見ますと、大小の箱詰めの物もあります。大きい方を開けますと、シンデレラハイヒールが、小さい方を開けますと、ダイヤの指輪にサファイアのネックレスにエメラルドのイヤリングが入っていました。
サナエは漲る喜びを押し殺し、洋服を取り出しますと、首元や胸元がローブデコルテのように露になり、ボディラインにフィットするベアトップワンピースあることが分かり、口車に乗らされたような気がしましたが、生地、デザインの高級感にときめきを抑えることが出来ません。それに肌寒さを防ぐためのショールまで入っていましたのでラメの煌めきに心が躍り、シュシュはと見ますと、光沢のあるサテンのフリルシュシュでしたので更に心が躍り、あと、櫛も鼈甲性の高級なもので真珠が付いたヘアピンまで入っていました。それにポニーテールを作るのに必要なブラシや輪ゴムなども入っていました。ボディスタイルを確かめ、顔を隠させない為の戦略でしょう、全く用意周到なヒカルゲンジです。
「全部出したら買い物袋を渡してください。」
「はい。」とサナエは返事をして席の間から手を出すヒカルゲンジに渡しました。
「さあ、被りましたよ。では、どうぞ着替えてください。」
サナエは早速、どてら、草履、もんぺと次々に脱ぎ、下に着ていた着物も脱ぎ、ワンピースを着ますと、思った以上に体にフィットする上に谷間が見えるくらい胸元が露になりましたので、とても恥ずかしくなりましたが、矢張り嬉しくなり、次にハイヒールを履き、ショールを羽織りました。そして髪を櫛やブラシで梳いて行き、輪ゴムなど使いながらシュシュで後ろに束ね、ヘアピンも使ってポニーテールを仕上げました。
「終わりました。」
サナエは素っ気なくそれだけ言いますと、恥ずかしそうに顔を俯かせ、横に逸らしました。
「おお、終わりましたか、では見させてもらいますよ。」
ヒカルゲンジは一際色めきますと、買い物袋を脱いで座席の間から覗き込みました。
「ほう!素晴らしい!セクシー&ビュー~ティフル!ブラボー!ブラボー!フ~!さあ、さあ、遠慮なさらず指輪もネックレスもイヤリングも付けて助手席にお戻りください!」
サナエはヒカルゲンジの思いのままに丸裸にされたような気がして赤らめた顔を手で隠しながらドアを開け助手席に戻りました。
ヒカルゲンジは胸元のふくらみや腰のくびれやすらりとした足や足首の細さを嘗めるように見てサナエのスタイルが姫君らとは比べものにならない位、否、姫君らと比べては失礼な位、ずば抜けてナイスバディであることを知り、もうこのまま震い付いてやろうかと思いましたが、色欲を押し殺して言いました。
「また、そんな姿勢を取って、おまけに両手でお顔をお隠しになる。いけませんよ、そんなことでは、冷たいじゃありませんか、さあ、まずは両手をお下ろしになってください。」
サナエはヒカルゲンジの美声に抗う気持ちが薄れ、両手を恐る恐る下ろしました。
「そうです、そうです、それでいいんですよ。さあ、今度はお顔をお上げになってください。」
どんどん促して来るヒカルゲンジの美声にサナエは猶も抵抗力がなくなって行き、顔をゆるゆると上げて行きました。
ヒカルゲンジはその整った横顔、盛り上がった胸、ほっそりとした首や腕や足、白い肌の何もかもが蠱惑的で生々しく艶めかしく思われ、ここが街中でなければ、間違いなく抱き着いていたことでしょうが、必死に自制心を働かせながら言いました。
「ではお顔を私の方へ向けてください。」
サナエは自分の美しさに反応して興奮のあまり荒々しくなっているヒカルゲンジの息遣いを感じ取り、恐ろしくなりましたが、自分も我知らず興奮して来て流し目になりながらヒカルゲンジの方を見ました。
ヒカルゲンジはその長い睫毛を持つきりりとした美しい目に完全に参ってしまいました。
「そ、そうです。OH!何という素敵な方なんでしょう。まるで3106カラットのカリナンダイヤそのものだ。私はあなたにぞっこんになってしまいました・・・私の手で磨いて差し上げましょう!」
そう言ったかと思うと、ヒカルゲンジはサナエの方へ手を伸ばしてゆきました。その途端、我に返ったサナエは咄嗟に、「駄目です!」と叫ぶや、その手を繊手ではたき落としました。
「おう、いた!お顔に似合わず、お気の強いことをなさるんですねえ・・・」
「だって、そういうことは一切なさらないというお約束だったじゃありませんか!」
「そ、そうでした。ですが、私は天下御免の太政大臣ですからね、そういう酷い仕打ちをなさってはいけないのではないでしょうか。」
「そうはおっしゃいましても私は人妻です!幾らお公卿様でもいけないことはいけません!」
「ほお、このヒカルゲンジに向かって、そこまで主張なさるとは驚きました。全くあなたはエポックメイキングな方です。いやあ、ほんと~に惚れ惚れしますねえ~参りました。では喫茶店に参りましょう!」
その言葉を皮切りに誰もが振り向くラグジュアリーカーが目抜き通りをゴージャスに走り出しました。
「ケンちゃんが言ってたんですがねえ、ヒカル様に愛されるなんてサナエは世界一の幸せ者だって・・・」
「そんなことケンキチさんがゆう筈はございません!」
「ああ、そうですか、何だか、すっかり反感買っちゃいましたねえ・・・」
ヒカルゲンジは頑なになる一方のサナエを何とか砕けさせようと話し出しました。
「サナエさんは蹴鞠をご存じですか?」
「存じません。」
「そうでがしょ、そうでがしょ、蹴鞠は貴族だけの特権みたいなもんですからねえ。しかしです。サナエさんが私の愛を受け入れてくだされば、サナエさんは宮中の姫君たちと御一緒に私たち貴族のお遊びを御観賞できるんですよ。」
「わたくし、別に見たくございません。」
「なんとまあ、つれないことをおっしゃるんです・・・でもね、そんなことに怯む私じゃないですよ。ですからですねえ、サナエさん、またお尋ねしますが、舟遊びをご存じですか?」
「存じません。」
「そうでがしょ、そうでがしょ、舟遊びも貴族だけの特権みたいなもんですからねえ。しかしです。サナエさん、いや、もっと砕けさせてください、サナエちゃん、サナエちゃんがね、私の愛を受け入れさえすればね、サナエちゃんは私と舟遊びだって出来るようになるんだよ。」
サナエはサナエちゃんと呼ぶようになり、妙に軽々しくなったヒカルゲンジに身分も忘れて甚だしい馴れ馴れしさを感じ、強い嫌悪感を抱いて叫びました。
「わたくし、したくございません!」
「ひ、酷い、酷い、あんまりだわ!でも、堪らんねえ、堪らんねえ、その気の強さ!何だか、私、サナエちゃんに苛められたくなっちゃいまいた!これってMの心理?なんちゃって!」
ヒカルゲンジは到頭、色気違いになったのでしょうか、自分の品位を落とすようなことまで言うようになりまして喫茶店でも、「私は実はですねえ、姫君たちのおかめ顔とぶよぶよした体に飽き飽きしていましてね、どうしてもサナエちゃんのそのナイスバディを触ってみ」と言いしなサナエにコップの水を顔にぶちまけられ、昼食中の高級レストランでも、「これはニッポン国流に言えば、突き出しとかお通しとかいう前菜なんですが、オフランス流に言えば、オードブルですね、このサワークリームをべったりと塗ったトーストなんかは殊に酸味が効いておいしいですよ。」と言っても、「私の口には合いません。」と言われ、「私は牛肉が大好きでカルビ、ハラミ、ロース、タン、サーロイン、ランプ、ホルモンと部位が色々ございましてね、焼き方にもベリーレアからベリーウェルまで色々ございましてね、今日は通ぶらずに王道のカルビの中落ちなんかをウェルダンで頂きたいのですが、サナエちゃんはどうされます?」と聞いても、「私はお肉は基本的に頂きません。」と言われ、「そうでがしょ、そうでがしょ、サナエちゃんみたいな気品ある美女が焼肉にがっつくなんて姿はあるまじきことですからねえ、しかしです、サナエちゃんみたいな美人が松坂牛の最高級サーロインステーキをミディアムレアなんかでオーダーしてですよ、バルサミコソースを掛けたりなんかしてフォークとナイフをセンス良くしなやかに動かしながら小さく切り取った肉片を小さなお口で可愛らしく頬張る姿なんかは上品でいいと思いますがねえ。」と言っても、「ですから私はお肉は所望しません。」と言われ、自分だけが焼肉を食べることになった揚げ句、「しかし、何ですねえ、こうしてサナエちゃんとお食事をしていますとね、ケンちゃんとサナエちゃんはどんな風にお食事をしてるのかなあなんて想像しちゃったりなんかするんですけど、時にはどうです、例えば、お酒なんか入った時にですね、お二人でチョメチョメなんてことになると思うんですが、私もサナエちゃんとやってみた」と言いしなサナエに席を立たれてしまう始末でした。
暗くなるまでには帰る約束になっていたヒカルゲンジは、道に迷ったり見栄を張って店を選んだりして遠くに行き過ぎてしまったので昼食後、即、帰途に就かなければならなくなった状況の中で食事をしていたのですが、怒って立ってしまったサナエを宥めて席に着かせるのに手間取った後、プンプンしながら食事をするサナエの向かいで無意識にナイフとフォークをステーキにぶっ刺しておいてシャンデリアの光に照らされたソルティドッグのソルトの煌めきを冷たく当たるサナエとダブらせながらこう思っていました。
「あ~あ、また時間を食っちゃいましたよ。これで完全に途中で寄り道できなくなっちゃいました。それにしても村民の分際で随分付け上がっちゃってますねえ・・・こんな気の強い女は初めてです。私の手でも手に負えません。これは決して情人にはできません。もうこうなったらさ、どうせ情人にできないのならさ、やっちゃいましょ!」
五
完全に色気違いになったヒカルゲンジは自棄のやんぱちになってしまったのです。で、帰途の途中、用を足すためにパーキングエリアに入る代わりに高速道路を降りて田舎の方へ向かい、人気のない縹渺たる大平原を横切る一本道の路肩に車を停めました。
「すいません。道に迷っちゃいましてねえ、こんなところに来てしまって、どうしましょう、私、ちょっとお小便をしてきますが、サナエちゃんもしたいでがしょ。だからね、私は遠くの方でしますから安心して、この叢あたりでしなさいな。ティッシュはグローブボックスの中にありますから。」
サナエはいよいよ頭にきましたが、実は彼女も膀胱が破裂しそうになっていましたのでヒカルゲンジが立小便をしている隙にする積もりになりましてヒカルゲンジが車を降りて100メートルくらい向こうのセイタカアワダチソウが群生するところまで歩いて行って彼の姿が見えなくなったのを潮に車をさっと降りて叢に隠れました。
すると15秒くらい経ってから草を踏みにじりながら猛然と駆けてくる足音が聞こえて来ましたので濡れたところをティッシュで拭いている最中だったサナエは、拭き取るのもそこそこに慌ててパンツを履き、逃げ出そうとしました。ところが、ハイヒールを脱ぐ際に転んでしまって、そこへヒカルゲンジがやって来て後ろから覆いかぶさったものですから、「ぎゃー!助けて!」とサナエは裂帛の悲鳴を上げてから抵抗も虚しく強姦されてしまいました。
叢の上に横になった儘、泣き崩れるサナエを傍観しながらヒカルゲンジは言いました。
「この事がケンちゃんに知れたらケンちゃんは私と会ってくれないどころかケンちゃんの事だから決起して百姓一揆を起こすことでしょう。そうなれば、私は武力で抑えつけてケンちゃんとあなたを処刑しなければなりません。分かりますよね。では、これは口止め料です。デートさせてくれた礼金として取っておいてください。」
ヒカルゲンジはケンキチに対する恐れよりこの事が噂になって広まったら自分が正室側室を始め宮中の人々から信用を失う上にこの事に付け込まれて失脚するだろうと恐れていたのです。
そんな重大なる恐れを抱くヒカルゲンジの要求を呑めという執拗な催促に到頭、サナエは渋々口止め料を受け取り、ヒカルゲンジに丁重にラグジュアリーカーに乗せられケンキチの家に送られました。
その三か月後、サナエは妊娠しました。勿論、彼女はケンキチの子であって欲しいと強く切に願いました。しかし、生まれた男の子は日が経つにつれ何処となくヒカルゲンジに似て来て、とても美しい顔立ちになりました。
何も知らないケンキチはサナエに似たものと思って無上の喜びに沸き立ちましたが、サナエは内心喜べない自分を誤魔化そうと上辺を明るく繕うことに甚だ難儀をしました。
そんな折もヒカルゲンジは政治家としてやるべきことはそっちのけで情人と秘かに戯れていました。
筆者は源氏物語を読んで光源氏の唾棄すべき所が全く書かれていないと思いましたので批判精神を逞しくして斯様な物語を脱稿するに至りました。