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おしゃべり

 それから。


「でも、リリ様はすごいですね。まさか、あんなに動けるなんて思いませんでした」

「私も、アリシャがあんな動き方をするなんて思いませんでした……」


 いくら瞬発力を底上げしても、体力差は如何ともし難く。

 フェイントを駆使しつつ、八交差まで善戦するものの息が上がってしまい、あっさりと捕まってしまった。

 追いかけっこを始めた最初は、あまり無理をしてはダメですよ、と言っていたアリシャだったけれど、条件を付けた後半は、明らかに獲物を狙う猟犬の如き視線と動きだった。


「でも、そろそろ離していただけると……」

 アリシャは私を捕まえた後、ずっと後ろから抱えたまま離してくれない。

 ちょっと動き過ぎたから休憩しましょう、と木陰に座り込む時も膝の上に載せられてしまった。


「だって、まだリリ様に“姉さま”って呼んでもらってないですもーん」

 もーん、て。


「いえ、呼ぶとは言いましたけれど、いつとは言ってませんし」


 我ながら卑怯とは思うけれど、二人きりの時にそんなことをしたら、ひどいことになるのが目に見えている。

 そんな私の物言いにも、気分を損ねた様子のないアリシャ。最初から、冗談だと思っていたのかもしれない。

 単純に、私を抱えているからかもしれないけれど。


「そういえば、先ほどリリ様が仰っていたお願いって、何だったんですか?」

 あ、離してくれるつもりはないですか。


「大した話ではないのです。私が外に出掛けられるようになったら、一度一緒に行って欲しいなと思いまして」

「そのくらいのことでしたら、一度と言わずいくらでもお付き合いさせていただきますよ?」

 そうは言ってもお父さんやイングベルト様の許可がないとダメですけどね、と笑う。


 それはそうだ。庭に出るのも、一応ライエル先生の許可を貰ったぐらいだし。

 でも、アリシャと二人だけで出掛けられるぐらい治安が保たれているのだろうか。


「この街は治安が良いのですか?」

「んー……良いと思います。貴族の方が住んでいる上層区はもちろんですけど、市場がある一般層も、衛兵さんが定期的に巡回していますし。あ、でも夜遅くとかは別ですよ?」

「市場もあるんですか……私、一人で歩くときは、迷子にならないように気をつけなくてはならないですね」

「……? どうしてリリ様が一人で歩くんですか?」

「いや、出掛ける度にアリシャに付き合っていただくのも悪いですから」


「え?」

「え?」


 何だか話が噛み合ってないようで、思わず顔を見合わせる。

 抱っこされてるせいで思いの外顔が近い。照れる。


「えーと……リリ様は私と二人だけ、ないしお一人で出掛けるつもりなんですか?」

「それは、まあ、毎日ではないですけど、頻繁に出掛けると思いますし」


「い、やぁ、さすがにお一人だけでというのは、イングベルト様もお許しにならないかと……」

「え、そういうものなのですか?」

 だってほら、よくあるじゃない。領主の息子や娘が、ふらふら街に繰り出して大冒険、みたいな。

 あ、でもああいうのは大抵、周りの目を盗んでこっそりやってるのか。


「そういうものです。私も貴族の方の暮らしを細かに知ってるわけではありませんけど、大きな貴族家だと、買物だって、贔屓の商人を家に呼ぶぐらいですよ?」

「むー……ならやっぱり、こっそり抜け出すしか……」

「何を怖いこと言ってるんですか! ダメですよ、ダメですからね!?」


 ヒートアップしたアリシャを表すように、私を抱えている腕にきりきりと力が込められていく。


「あ、アリシャ、冗談、冗談ですっ!」

「もう……そんなに、お外に行きたいんですか?」

「だって、お出掛けくらいできないと、退屈で……。そういう貴族の方って、普段お部屋で何をなさっているのでしょう?」

「貴族のリリ様が、平民の私にそれを聞くのは少し違うと思うのですが……」


 全くもってそのとおりです。


 思い浮かぶのは、読書とか刺繍とか、似たような立場の人とのおしゃべりとか。

 でも、この国って識字率はどうなのだろう。お役目で必要なかったりすると、貴族でも読み書きできないこともあると聞いたことがある。

 本が娯楽になるぐらい身近であれば別だろうか。


「アリシャ、私は本が欲しいです。どうすればいいですか?」

「本ですか? 貴族の方も利用されるお店には売っていると思います。それに、数は少ないですが、市場にあるお店にも置いてありますね。どちらもそれなりの値段がしてしまいますけど」


 やっぱり貴重品のようだ。

 印刷機なんてないだろうし、一冊一冊写本しているのでは流通も限られてしまうのだろう。


 とすると子どもで本が読めるというのは珍しいことなのでは、と思い当たったところで、

「でも、凄いですねリリ様は。もう、文字が読めるんですか?」

 感心の吐息とともに、アリシャが頭を撫でてくれた。


 ですよね、そうなりますよね。文字が読めないのに本を読みたいとは言いませんよね。


「も、もちろんですよ。専門的なものだって、ばっちりです」

 多分。

 会話には不自由してないし、きっと大丈夫だろう。


「それじゃあ、お出掛けしたときには本を探してみましょうか」

 冗談めかした言い方が功を奏したのか、深く追求はせずに笑ってくれたアリシャだったけれど、すぐに何かに気づいたような声を上げて、私の髪を掬い上げる。


「……お出掛けするなら、リリ様の髪をどうするか考えた方が良いかもしれません」

「髪、ですか……? あ、長過ぎるとか? 短くしてしまっても――」

「ダメですっ!」

 構いません、と言う間もなくダメ出されてしまう。


「や、でも、さすがに邪魔で――」

「ダ、メ、で、すっ! 折角こんな、真っ直ぐ長くて綺麗な髪なのに、切ってしまうなんてもったいないです!」

「あ、はい。ごめんなさい……」

 ちなみに、アリシャの髪は肩口に届く程度の長さで、ゆるくウェーブが掛かっている。


「えと……、でも長さではないなら、ほかに問題があるのですか?」


 私の問いに、少し迷うような間ができる。


「この国では、リリ様のような黒髪黒瞳は滅多にないんです」

「そうなんですか? でも、珍しい程度なら、そんなに気にしなくても」

「いえ、その……そこまで気にする必要はない、と思うのですが……」


 ひどく言いにくそうにしている様子を見てピンと来た。

 自分の毛先を摘んで、改めて眺めてみる。

 いわゆる烏の濡れ羽色と呼ばれる、漆黒の髪色。

 私にとっては違和感のない色合いだけれど、確かにここまで真っ黒なのは不吉に見えるかもしれない。


「この色ですか……。あまり縁起の良い色ではありませんよね」

「お年寄りとか、古い考えを持った人の中には、“黒には魔が宿る”なんて考えている人もいて……」

 あ、もちろん迷信ですよ? とわたわたと両手を振って見せる。


 まあ、迷信を信じるものというのは何処にでもいるし、髪や肌の色に特別な感情を持つものも同じようにいるということか。

 気にし過ぎても仕方ない。

 それに、本気で禁忌的な色なのであれば、アリシャも髪を切るな、などとは言わないだろう。

 心の片隅にでも留めておこう。

 黒髪は縁起が良くない。リリ、おぼえた。


「用心することに越したことはないですよね。街に出るときは極力、目立たないようにしておきます」

「ごめんなさい、リリ様……」

「アリシャが謝ることではないですよ。むしろこちらこそ、教えてくれてありがとう、です」

「リリ様……」


 私の言葉に感極まったように、アリシャがまた頬ずりしてくる。


 考えてみると、自分を平民と言っていたアリシャの、私への対応はかなり気安い。

 やたら畏まられるよりは余程良いけれど、この世界は身分差に寛容なのだろうか。


 私の髪に顔を埋めて、むふーっと言っているアリシャが特別かもしれないけれど。というか、むしろどうしてこんなに懐かれているかが謎だ。


「アリシャ、そろそろ休憩は終わりにしましょう」

「え、あ、そうですね。じゃあ、もう少し続けて……次にリリ様が勝ったら、何でもお願い聞いてあげちゃいますよ~」


 ん? 今、何でもって言ったね?


 恐らく負けることはないと踏んでの発言だと思うけれど、こちらだって理力の使い方にも慣れてきた。

 笑っていられるのは今の内さ。

 十分後には、自分のした不用意な発言を後悔させてくれる……っ!

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