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現状把握

「さて、体調に問題はないようですね」

 木盤を片付けながら、寝台脇に置かれた椅子に腰掛けるライエル先生。


 ちなみに、木盤から手を離したにもかかわらず、相変わらず理力の靄は見えたままだ。

 これ、ずっとこのままなのだろうか……。若干、見難い。


「では改めての確認になりますが、この三年間の記憶は全くないのですね?」

「その、三年、と言いますか、目覚める以前のことは何も……」

「何も? 五歳になるまでのことや、御家族のことも?」

「はい……思い出せません」


 私の言葉に難しい顔をするライエル先生。その後ろでは、エグバートさんも同じような顔をしている。

「そう、ですか……。会話に問題がないことから考えるに、恐らくは、一時的な混乱から来るものだと思いますが……」

「えと、私は三年の間、どういう状態だったのでしょうか? 先ほどエグバートさんからは、眠っていたわけではないとお聞きしましたが……記憶がなくなっていてもおかしくないような状態だったのですか?」

「眠ったまま、というわけではありませんでした。食事もしていましたし、手を引かれれば歩くこともしておられました」


 あれ? それだけ聞くと、あまり悪いようには聞こえない。

「ただ、そこにリリ様の意志はありませんでした。自ら何かをするということはなく、何よりどのような呼び掛けに対しても、一切反応なさることはありませんでしたから」

 ……なるほど。だからメイドさんは目が合っただけでは驚かず、声を掛けた時に驚いたのか。

 人形のようだった相手が、いきなり声を掛けてきたのだから無理もない。


「でも、どうしてそのようなことに? ある日突然そうなったのでしょうか?」

「――突然、といえばその通りです。その日まで、そのような兆候は全く御座いませんでした」

「そうですか……。では、またある日突然そうなるかもしれないのですね……」

 とは言ったものの、個人的にはあまり心配していない。私がリリになったことで意識を取り戻したとするなら、私が私である間は同じことにはならないだろう。

 しかし、その辺りの事情は私にしか分からないことであるので、二人の意見は違うのだろうと思ったのだけれど。


「いえ、意識を取り戻されたのであれば、もう心配はないでしょう」

 ライエル先生はあっさりと否定してくれた。


「そもそもリリ様が臥せられた原因は、病ではなく精神的な――」

「ライエル殿、それ以上は!」

 慌てたようなエグバートさんが、ライエル先生の言葉を遮ってしまう。


「エグバートさん、リリ様なら大丈夫です。とても冷静に自身のことを受け止めてらっしゃいますし、三年の時間が嘘のように成長もされています」

「しかし、リリ様はつい先ほど意識を取り戻されたばかりです。また同じようなことになっては……」

「だからといって、ずっと話さないわけにはいかないでしょう?」

「ですが少なくとも、イングベルト様のお許しを――」

「イングベルト様からは、私の判断に任せると以前から――」


 二人の間で押し問答が始まってしまう。本人のいないところでやるべきじゃないかな。


 さておき。どうやら私が臥せっていた原因については、実は当たりが付いているらしい。

 そしてそれは、私が知ってしまうとまた臥せってしまう可能性があるぐらい、重い話のようだ。 

 とはいえ、教えてもらえるならば早いところ聞いておきたいので、口を挟むことにする。


「エグバートさん、私なら大丈夫です。理由があるのなら、知っておきたいです」

「しかし……、いえ、分かりました。それが、リリ様の御意志とあらば」

 差し出口を申しました、とエグバートさんが頭を下げてくれる。


「いえ、エグバートさんが私のことを気遣ってくれているのは分かりますから。それで、先ほどライエル先生は、精神的なことが原因と仰いましたけれど、三年前、何があったのですか?」


 二人は顔を見合わせ、一つ頷いたエグバートさんが口を開く。


「あれは、リリ様が五歳になってから一週間が経った日のことでした……」


 この国には、五の倍数の年齢を一つの区切りとする習わしがある。

 例えば、五歳になると、保護者の同意は必要だけれど、労働して対価を得られるようになる。十歳であれば、一人で乗合馬車を使って都市の移動ができる。そして、十五歳になれば成人したと見做され、全ての行動に自己が責任を負うこととなる。


 そのため、私の両親も、私が五歳になるのを機に領地へ連れて帰ろうとしたらしい。

 それなりの数の護衛を付けたし、その中には戦闘を行えるだけの力を持つ理術士も数人いた。


 そもそもクレイルシルト領は、規模こそ大きくないものの、鉱山都市と王都を結ぶ中継点にあり、それぞれを繋ぐ街道は他と比較しても重点的に安全が確保されている。

 盗賊が出ることも滅多にないし、野生の獣が群れを作ることも少ない。

 実際、平民の使う乗合馬車には二、三人の護衛しか付かないし、よほど規模が大きくなければ、商隊であっても護衛に理術士まで付けることはない。


 しかし、その日に限って、盗賊よりも厄介なものが存在した。


「魔獣? ……野生の獣とは、違うんですよね?」

「はい。あ、いえ、基になっているという点では同じになるのですが」


 野生の獣が晶石をその身に取り込み、負荷に耐えて適応したものが魔獣と呼ばれるらしい。

 総じて、身体能力や知能の向上、そして狂暴化という特徴があるようだ。そして、中には取り込んだ晶石に応じた種類の理術を行使する個体も存在するという。


「魔獣は、その戦闘能力も厄介なのですが、同種の獣を配下に従え、群れを形成するという特徴があります。そのため、出現の報告があれば最優先で討伐令が下されます」

「魔獣というのは、そんなに頻繁に現れるものなのですか?」

「そこまで珍しいものではありません。しかし辺境であればまだしも、王都近郊ではすぐに討伐されるため、大きな被害をもたらすほどの群れを形成することは稀なのです」


 都市間経路の安全は、国家にとってとても重要だ。

 国の中心たる王都への、物の流通や情報の伝達にすら支障を来すようでは、その国の未来は暗い。

 だからこそ、それを脅かす魔獣に対して、国家は断固たる処置を執るのだ。


「一行が魔獣に襲われた、との知らせが行商人からもたらされたのは、街を発ってから二日後のことでした」


 知らせを受けた王国軍は、当然すぐさま救助隊を結成。

 しかし、彼らが向かった先に待っていたのは。


「詳しい状況は分かりません。護衛も含め、リリ様のほかに戻ってきたものは一人もいなかったのです」


 群れに食い散らかされた“かつて人だったもの”たちと無数の狼の死骸、そして領主夫妻に抱きかかえられて意識を失うリリ一人だけだった。

 確かに重たい話だ。八歳の女の子に伝えることを躊躇うのも分かる。


「父様と母様は、もういないのですね……」

 しかし困った。


 自分の両親が自分を守って死んだと聞かされて、何も思わない娘はいないだろう。

 けれど、自分にとってはどうしても、向こう岸の出来事に感じてしまう。悲しいと思うものの、それは当事者の感情足り得ない。


 記憶にある自分の両親のことを思えば、近しい感情になるだろうか。

 考えてみれば、二度と会えそうにないことは違いない、と思ったのだけれど。


「――――――」

 ……あれ。

 名前、年齢、容姿、思い出。何一つ浮かんでこない。


 待て待て待て。それはおかしい。自分が孤児だった覚えはないし、記憶障害になった覚えもない。

 目を閉じて、記憶の引き出しを漁り直してみる。


 けれど、確かに“いた”という感覚だけがあるだけで、やはりそれ以上の記憶は見つからない。

 これはどういうことだろう。まさか、こちらに来る過程で、色々と零してきてしまったのだろうか。


 いや、でもこれは、どちらかというと――。


「――ま、リリ様? 大丈夫ですか?」

 ふと気が付くと、ライエル先生が覗き込んでいた。

 見れば、エグバートさんも気が気でないような表情をしている。


「あ……すみません。覚悟はしていたつもりでしたが、やっぱり、少し……」


 大丈夫、心の棚にはまだ余裕がある。考えるのは後にしよう。

 幸い、考え込んだ私の様子は、両親のことでショックを受けたように二人の目には映ったようだ。


 頭を軽く振り、少しだけ微笑んで大丈夫とアピールする。


「それで、私の――クレイルシルト家はどうなったのですか……?」

 いきなり当主夫妻が亡くなり、残されたのは自失状態の娘だけ。

 取り潰しはないだろうが、領地替えぐらいはありそうに思えるけれど。


「それは……、現在はリリ様の御令叔――叔父君であるオラフ様が、当主となり家を継いでおられます」

 エグバートさんは、ひどく言い難そうに教えてくれる。


 この国における貴族家は、一代限りの爵位でもない限り長子継承が習わし。

 基本的には男子が継ぐけれど、ほかに子どもがなければ娘が継ぐこともままあるらしい。

 そのため、当主を亡くしたクレイルシルト家は、一人娘である私が継ぐこととなる。


 しかし、当の本人も両親と共に魔獣に襲われ、命は取り留めたものの会話もままならない自失状態。やむなく、後見人を付けて継承させるとなったのだけれど。

 それに異議を唱えたのが、当の後見人に指名された、叔父であるオラフ・B・クレイルシルトである。


 曰く、領主であれば当然領民と共にあるべきだが、病の幼子を領地まで連れて行くわけにいかない。曰く、もし病が快癒しなければ子を成すこともできず、家を継いでいくこともできない。

 であれば、自分が領主の任と共に養女として引き受け、病が快癒した後、改めて継承させれば良いと主張したのである。


 普通に考えれば、大きな穴の空いた論理ではあるが、意思疎通のできない幼女を領主に据えるよりはましと考えたのか、王国もこれを承認。めでたく本家と分家が統合されることとなる。


 そして、養女となった私は、療養の必要性を理由に領地には連れて帰られず、王都で騎士叙勲を受けて独立していた従兄(今では義兄だ)のイングベルト・F・クレイルシルト――この邸の主に預けられた、というわけである。


「私がこうしていられるのは、イングベルト様のお陰なのですね。まだ、御目通りできていませんが、御不在なのですか?」

「はい、つい先日、街道巡視のお役目に出立なされまして。お戻りは、早くとも三日後となります」


 エグバートさんは、私が預けられたと言ったけれど、見方を変えれば厄介者を押し付けられたとも言える。

 良い印象を持たれていないとすれば、これからの生活に暗雲が立ち込める。

 特にずっと面倒を見てもらおうとは考えていないけれど、独立するにもあと二年は必要そうだ。その二年間、ずっと針の筵のような生活は勘弁してもらいたい。


「イングベルト様は、その……どのようなお人なのでしょうか?」


「それは――」

「有能な変わり者――まあ、変人ですね」

 一瞬言葉に迷ったエグバートさんを遮って、ライエル先生が教えてくれたけれど。


 いくらなんでも直截的過ぎやしないだろうか。エグバートさんも絶句しているよ。

 貴族を相手にその物言いは大丈夫かと心配になってしまう。


「聞いておいて何ですが……えと、何と言っていいか……、有能な方なのですね?」

「それは間違いありません。身一つで騎士爵位を賜ったぐらいですから」


 この国の騎士には二種類あるらしい。一つは他の爵位と同時に授爵した騎士。つまりこの国では、爵位を持つイコール騎士というわけだ。

 もう一つは、騎士爵を単独で授爵したものである。これに関しては、何かしら武芸による功績が認められる必要がある。


 つまり私の義兄様は武辺者ということだ。

 だからこその、街道巡視のお役目か。


「不安かもしれませんが、イングベルト様については、心配いりませんよ。それは私が保証します」

 変人、と言った割りに、ライエル先生はそう請け負ってくれる。

 気安い関係なのだろうか。


「ライエル先生は、イングベルト様と親しいのですか?」

「相談役、みたいなことをさせていただいていますので」


 エグバートさんも、イングベルト様は私のことを自ら引き取ったのだと教えてくれる。

 それなら、確かに心配はいらなさそうだ。


「分かりました。お会いできるのを楽しみにしています」

「それがいいでしょう。色々な意味で、楽しいと思いますよ」


 ……どうして、そういう微妙に不安の残る纏め方をするのだろうか。

 やはりライエル先生も、いい性格をしているようだった。


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