診察と理術のこと
さて、これからは歳相応の言動に気を付けなくてはならないのだろうか。
考えてみて却下する。八歳の女の子相応の言動なんて、さっぱり分からない。精々、子どもっぽい喋り方をするぐらいだ。
まあ、多少怪しまれたところで、まさか中身が別人に入れ替わっているなんて想像する人はいないだろう。
それに、これからのことを考えれば、それなり程度の優秀さを見せておくことは悪いことばかりでもないはずだ。
「リリ様、医師のライエル殿がお見えです」
エグバートさんに連れられて、壮年の男性が鞄を片手に部屋へと入ってくる。
医者の先生ということで、勝手にお爺さんを想像していたけれど、意外に若い。
「はじめまして、リリ様。ライエルと申します」
予想とは違ったあいさつをされる。普通、三年も臥せっていたのであれば、主治医がいるのではないだろうか。
「――はじめまして、リリ・L・クレイルシルトです」
私の対応に、何かを納得するように頷くライエル先生。
「ああ、やはり、この三年間のことは覚えていらっしゃらないのですね」
「……。では、“はじめまして”ではないのですね?」
「ええ、エグバートさんから来る途中、お話を聞いておりまして。少し確認をさせていただきました。申し訳ありません」
頭を下げてくれるが、あまり悪いと思っているようには見えない。
人の良さそうな見た目をしているけれど、意外に喰えない人物なのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆
それから暫く診察の時間が続く。
脈を測り、顔色や目の動きを見、手や足の動きを確認する。
どんなことをされるのかと気を張っていたけれど、大したことはされなかった。
医療技術はあまり発達していないのだろうか。
しかし、続いて鞄から取り出された円い形の器具に目が留まる。
何やら細かい模様が刻まれた平たい木盤で、中央部に拳大の透明な鉱石が埋め込まれている。とても医療用の器具には見えない。
「それは何ですか?」
「これは患者さんの理力の流れを診るための道具です」
「……りりょく?」
「はい、生物の身体には“世界の理に干渉する力”が流れていて、その力を一般的に理力と呼んでいます」
「“世界の理に干渉する力”?」
それはまた……何とも十代前半の少年が好みそうな単語だ。
「生物の身体は、とても複雑な仕組みで成り立っています。物を見る、音を聞く、息をする、血液が巡る、食事をする。そうした機能が身体の中で破綻することなく成り立ち、一つの身体を維持できているのは、理力が絶えず体内を循環し仲立ちをしているためなのです」
む……、この考え方は私の常識の中にはない。私にとっての生物には当然理力は存在していないし、その活動は神経やホルモンなどの働きで説明されてしまう。
同じヒトの身体だと思っていたけれど、実は違った成り立ちをしていのだろうか。
興味深くはあるが、正解は分からないし、今のところ問題もないので深く考えないでおくことにしよう。
しかし、理力の考え方が正解だとしても、世界の理に干渉する力というには、少し機能的に物足りないのではないだろうか。
そんな考えが顔に出ていたのか、ライエル先生が補足してくれる。
「確かに、自身の体に作用しているだけであれば、世界の理と称するのは不自然です。しかし生物の中には、生まれつき理力の強いものや意識的に理力の流れを操作できるものがいて、彼らは実際に、それを使って世界の理を書き換えたような現象――“理術”を行使できるのです」
そういって、ライエル先生は理術の例を挙げてくれる。
火種がないのに火を熾す、水場もないところで水を出す。そんな、私の中では馴染み深い、分かりやすい“魔法”の例。
しかしそうすると、医療技術があまり進歩していない(と思われる)のは、治癒理術が存在するからだろうか。
気にはなるけれど、この話の流れで、治癒理術に言及できる八歳児がいるかは疑問だ。
……これまでの話を理解してしまった時点で、今さらの気もするけれど。
そんなことを考えた私の沈黙をどう受け取ったのか、ライエル先生は深く頷いてみせる。
「分かりますよ、リリ様。世界の理を書き換えられるのであれば、逆に、生物の身体の理を書き換える――怪我を治したり、病を治したりすることもできるのかとお聞きになりたいのですね?」
「へ……?」
エスパーか。
「理論的に考えれば、治癒理術は存在するはずなのです。実際、文献の中には、手をかざすだけで創傷を治したという“ルーテリーアの聖女”や、盲目の子どもを祈りによって治癒したとされる“ロエリアの巫女”などの存在が確認できます。しかし、理術が体系化された近代以降、そうした事例は確認されておらず、あくまで伝説だと見る向きが多いのも事実。しかし、私としては――」
あ、何やら妙なスイッチが入ったっぽい。
どうもライエル先生は、医者というより学者肌の人のようだ。聞いている私が目に入っているのかいないのか、まさに立て板に水のごとく喋り続ける。
興味深い内容ではあるが、ここまで一気に喋られるとさすがにしんどい。
「――ライエル殿、その辺りで……」
そんな私の様子を見兼ねて、それまで影のように控えていたエグバートさんが口を挟んで止めてくれる。
「っと、これは大変失礼をいたしました。何分、理力に関する研究がライフワークなもので、つい力が」
「い、いえ、とても楽しいお話でした」
これは本音だ。また時間を改めて聞いてみるのも良いかもしれない。
「とまあ、そういうわけで、身体に異常がある場合、理力の流れが歪になっていることが多いため、こうした器具を使って診断をするのです」
「理力が強いかどうかも分かるのですか?」
「いえいえ、これはあくまでも理力の流れを可視化するだけです。理力の多寡を確認するには、もっと別の道具が必要になります」
「そうですか……」
少し残念。転生もので魔力(ここでは理力だけれど)と来れば、大抵、類を見ない才能が発揮されたりするのに。
……いや、却って良かったのかもしれない。
自分の立ち位置もはっきりしていない状態で妙な結果が出たりすれば、間違いなく面倒になる。“少し物分かりの良い子ども”どころの話ではなくなってしまう。
しかし、当たり前のように理力という言葉が使われ、それを用いた“理術”が存在する世界か。
国教のことを聞いた時から薄々感じてはいたけれど、やはりここは異世界なのだ。
「では、この両端を握っていただけますか」
「あ、はい。握るだけでいいんですか?」
言われて、木盤の両端を握る。変化はすぐに訪れた。
「おぉー……」
透明だった中央の鉱石の中に、靄のようなものが生まれ、くるくると渦を巻き始める。
さまざまに変化する鉱石をしばらく眺めていると、ある変化に気付く。
鉱石の中だけと思っていた靄が、自分の身体の周囲にも漂っている。
これが理力を可視化するということか。
確かに、身体を覆う理力には一定の流れがある。そしてその流れに合わせて、鉱石の中の渦は左回りになったり右回りになったりしている。
歪みがどのように現れるかは聞いていないけれど、きっと調子が悪いところは理力の動きが悪いとか、そもそも流れないとか、そういった変化が起こるのだろう。
そう思って体を覆う靄を見ても、特に澱んだりもしていないし、薄いところもない。
ここまで分かりやすければ、なるほど、診察がどことなく通り一遍だったのも頷ける。
「……スムーズに動いていますね」
「おや、分かるのですか?」
「えぇ、その、何となくですけれど……」
「この診察法は、正直、感覚頼りのところがあるので、そういった直感はとても大切なんです。リリ様には才能があるかもしれませんね」
私の手の中にある鉱石を指しながら、見方を解説してくれる。
「基本的には、靄の濃度や回る速さ、澱み具合などで判断します。ただ、濃度は人それぞれ違いますし、回る速さや澱み方も、正常な流れの結果かそうでないかの違いは微妙なんです」
鉱石を眺めていると、理力の流れが変わったせいで、一時的に靄の流れが停滞する。
「今の動き方も、見方によっては澱んだように見えるでしょう?」
確かに、この中だけであれば見分けが付かないかもしれないけれど、全体を見れば一目瞭然のように思える。
そこが気になって顔を上げると、
「――あれ?」
不思議な光景が広がっていた。
私の手元を覗き込んでいるライエル先生や、少し離れたところに控えているエグバートさん。どちらの身体にも、私と同じように理力の靄が見える。それどころか、窓際に飾られた花にさえ見えている。
かなり希薄に見えるのは、切り花にされて生命力が落ちているためだろうか。
「……ライエル先生。道具を使わず、体中に流れる理力を、直接見ることができる人というのはいないのですか?」
「そうですね……まれに、そういった特殊な目を持った人はいます。ただ、そういった人材は、国や教会が保護するため、普通に生活していて接する機会はあまりありません」
どうしてそんなことを? と首を傾げられる。
「え? いえ、直接見られたら病気を見つけやすいのだろうなぁって思ったのです」
あ、今の誤魔化し方はちょっと年相応っぽかったのでは。
そのせいか、ライエル先生も、心なしか微笑ましいものを見るような目付きになった。
「そうですね。実際、この国でも、原因の分からない病などの相談を受けている方が大聖堂におられます。リリ様も一度看ていただいたそうですよ」
まあ、小なりとはいえ領地持ちの貴族の娘が、三年間も原因不明で臥せっていればそうだろう。
しかし、それでも原因が分からなかったのであれば、理力も万能ではないのか、そもそも病ではなかったということだろうか。
人の精神が入れ替わる病なんて聞いたこともないから、当然かもしれないけれど。