第二章 その3 来訪者
イアンとケインの兄弟は毒づきながら夜道を歩いていた。
「あ~っ、たくようっ! なあんでアルシュは、俺らを使わねえのかなぁ」
「ったくだっ、クソ女めえっ」
古びたバラックの立ち並ぶ一角である。生臭い匂いが、鼻をつく。
海が近いためこのあたりの住人はみんな、魚を捕って喰らっている。残飯は放りっぱなしだからその匂いだろう。死体のいくつかも転がっているのはご愛敬だ。
「俺たちゃ本当の家族だぜ。ファミリーバトルにゃ、ぴったりじゃねえか」
イアンの愚痴にケインが頷く。
二人ともに、屈強な体格をしていた。
太い腕、厚い胸、はち切れんばかりの太股は、鍛え抜かれた人間のそれだ。
二人は元軍人であった。過酷な訓練や上官のしごきに耐えに耐え、ようやく派遣された戦場は、兄弟にとってパラダイスだった。
大口径の機銃で、人を撃ち殺すのが爽快だ。
手足を捕まえてナイフで切り刻む、その悲鳴の調べといったら官能的ですらある。
夫を撃ち殺して、死体のそばでその妻を犯すのもたまらなく気持ちいい。成長しきれない少女の、青い味わいもまた格別で、何人もの処女を引き裂いたものである。
戦場ではその全てが許された。いや、許されると思っていた。
だが現実はというと、裁判を経てこんな汚濁へ一直線だ。
腐れきったクズどもの集う街。ここは違う。俺たちのいるべき所ではない。
そんな二人が希望を見出したのが、ファミリー・バトルである。勝ち進み、アージ社に利益をあげればあげるほど、生活も良くなるし、恩赦を与えられることすらあるらしい。
戦闘行為には自信があった。敵兵どころか市民まで、容赦なく殺戮する二人を部隊の仲間達は、死神のように恐れていたものだ。
「どうしたら出場できると思う? イアン」
「俺たちが出場するに値すると証明できればいいと思うぜ、ケイン」
「それには?」
「それには──今、出場してるやつらの誰かを、ぶっ殺せばいいんじゃねえか?」
「おお、なるほど」
イアンの意見にケインが手を打つ。
「だったら誰がいいかな?」と、ケイン。
「そうだな……あいつだ、あの、赤い髪の。なんつったか、ええと……」
「ユグド、よ」
「そうそう。ユグドだ。アルシュのお気に入りの、あいつをぶっころせば――」
と。イアンは、その名を教えてくれたのが、ケインの声でなかったことに気がついた。
「……あん? なんだ、お前」
奇妙なものが、二人の前に立っていた。
頭からすっぽりとシーツのようなものを被った人影だ。
背が低い。頭頂が、イアンらの腰ほどしかない。
そいつは二人の前に立ちはだかって、
「……知っている? ユグドが、どこにいるのか」
そんなことを、訊いてきた。
あの男に何の用があるのか。そもそもこんな夜中に、イアンとケインのような見るからにまともでない人間にモノを尋ねる事ができるというのは、どんな神経をしているのか。
そんな疑問よりも、イアンの興味を引いたのは、その奇妙なシーツの発した声色だ。
小さく、鈴の転がるような、可愛らしい声だった。
「人にものを尋ねるんなら、顔ぐらいみせやがれ」
近づいて、シーツを掴み剥ぎとる。そいつは、特に抵抗することもなく正体を現した。
やはり子供。それも、年齢が二桁へやっと届いたかという少女であった。
イアンたちから見ても、彼女は奇妙な格好をしていた。それは黒と白の布地をたっぷり使ったワンピースだ。スカート部分にはフリルが大量に縫いつけられて、まるで人形が飾り立てられているかのよう。
ゴスロリ、とかいう服装だったか。
バラックから漏れる電球の明かりで、周囲は、手の届く範囲が伺えるくらいの暗闇だ。
薄い闇の溶け込んだ少女の幼貌は、刃物が如く冴え冴えとしていた。
「……あらためて訊くわ。ユグドの居場所を知っているの?」
まるで人形のような、可愛らしい目鼻立ちなのに──
巨漢二人を前に、まるで物怖じすることのないその瞳が、兄弟のプライドを逆撫でした。
「教えて欲しいのなら、それなりの態度ってもんがあるんじゃねえか、ああ?」
殊に短気なケインが少女を威圧する。だがそれに少女は揺るぎもしなかった。
「知らないのなら、それでいい。じゃあ」
と、背を向けるのだ。
少女は背中に大きなバックパックを背負っていた。
赤い色をした、革製の、四角い奇妙なバックである。
「てめえっ!」
少女の態度に憤然としてケインが掴みかかる。
(あーあ。ケインを怒らせちまったら、あのガキ、もう無事にゃ済まねぇな)
イアンがかぶりを振る。
かっとなったらもう止めようがないのは、弟であるケインの悪い癖だ。女子供を相手だろうと手加減もなにもなく、必ず壊してしまう。せっかくの少女、お楽しみの肉穴がガバガバになる前にこっちに回ってくればいいが──と、そんな危惧を抱いていたイアンに、その時、骨の折れる鈍い音が聞こえてきた。
早速か、と呆れながら投じた視線に映っていたのは、
「あ、……い、ぎゃぁあっ!?」
──伸ばした右手を半ばでへし折られた、ケインの姿だった。
「ケ……ケインッっ!?」
肘関節が裂け破れ、白い骨まで覗いている。無惨な解放骨折である。
「が、がきぃっ……て、てめっ、なにを、しやがったぁああっ!」
折れた腕を押さえ、ケインが叫ぶ。
少女は――何も持っていない。ただそこに立っているだけだ。
「テメェ……」
ケインとて戦場を渡り歩いた戦士である。腕一本が折れたところで怯みはしない。腰に左手を伸ばし、そこに装備してあるコンバットナイフを引き抜いて、少女へ突き付ける。
「……ふう。まったく、面倒くさい」
屈強な男にナイフを突き付けられて少女が漏らすのは、恐怖でもなければ小便でもなく、ただひたすら物憂げな嘆息であった。
……このガキは、俺たちをまるで脅威と見なしていない。
それが証拠にあの目だ。ユグドの名を発したときに燃えていた憎悪は掻き消えて、ただ路傍の石くれを見ているだけの、冷め切った目だ。
(このガキ──やばい)
警戒心がイアンの足を止める。だが、傷を負った獣はそうはいかない。
「ぢくしょ、ぢくしょっ! このガキがぁああっ!」
制止も間に合わず、襲いかかるケイン――刹那。
少女の背後。暗闇から来襲した何かが、ケインの顔面を薙ぎ払った。
「あぎおゃぉあああっ! ぎ、お、ごぉぉ……っ!」
一撃で顎を砕かれていた。血反吐を撒き散らしながらケインは地面に転がりのたうち回る。
「こ、の……ガキ……」
イアンもまた、ナイフを引き抜いて少女へ向ける。
(……なんだ? いま、何をしやがった?)
目前の小さな身体をよく見ても、脅威を感じるものはない。
変わらず彩のない瞳が、いまはイアンを映している。
正体がわからない。わからないのなら──即、殺す。
(喰らいやがれ)
獰猛な笑みを浮かべるイアンの腕が、刹那。
伸びた。
「────ッ」
少女の顔にもわずかな驚愕が浮かび上がる。まるでゴムかなにかのように伸びたイアンの腕の先、飛来する刃から身を捩り、かわす少女。だが、その避けた先にも奇妙に伸びたイアンの腕はあった。
イアンの両腕は内部構造をいくつかのパーツに別け、神経繊維を内蔵したワイヤーで繋げている。表面を伸縮自在の皮膚で覆い、腕そのものを自在に伸縮することができるのだ。
「おらぁああっ!」
叫びながら縦横に腕を振り回すイアンの心は、あの戦場に立ち戻ろうとしていた。
この腕で敵兵を何人も殺した。女の骨を砕いて動けなくして散々に愉しんだ。
お前も、そうしてやる――獣が如き笑みが、そう語っている。
縦横に振るわれるイアンの腕が風を捲く。それをどうにか避けていく少女はまるで強風に翻弄されるだけの黒白の蝶であった。
「あひぃいいぃいいっ!」
ケインが少女の足にしがみつく。歪み潰れたケインの面相が、少女を見上げて得意げに嗤う。
そしてイアンの左腕が少女の矮躯にぐるりと巻き付いた。両手を拘束され両脚は掴まれて、少女にはわずかな身動ぎしか許されない。
その頭蓋を狙って右手を振るう。昏倒狙いであるが、死んだら死んだで構わない。死にたてならまだ暖かいしこんな身体の小ささならアソコもきついままだろう。
内臓を掻き出すくらいに、犯しまくってやる──!
「──なっ!?」
勝利を確信したイアンの腕が、がちりと。
少女の真横で制止させられて彼の顔は驚愕に凍った。
馬鹿な。これを避ける手段はないはず。それなのに、一体どうやって──
「……てめえ、そりゃ、一体……」
その時イアンは、少女の背中に広がる翼のようなそれを見た。
「最初から素直に答えていれば、痛い目にあわずに済んだものを」
少女の調子は最初とまるで変わっていない。変わらないままイアンの右腕が「翼」に「握り」潰された。次いで「ぐぎぃ」と漏れた蛙のような悲鳴は頭蓋を叩き割られたケインの断末魔だ。変わらず両腕を拘束されたままの少女は、脳漿をぶちまけた兄弟分の身体を蹴り飛ばすと、身体に巻き付いていた左腕を、右腕と同じく「翼」にて握り潰した。
「う……あ、あ……」
背中のそれを広げて、近づいてくるその姿はまるで死を告げる悪魔じみて。
そうして少女の羽が──イアンの顎を掴んだ。
「っぎぃ! げ、げぇえええええええ……!」
顎の骨が軋み、すさまじい痛みが、脳を灼く。
下顎をくしゃりと潰すその手前の力加減で、少女はイアンに顔を近づけた。
「最後に、もう一度訊くわ」
すぐそばで見るその顔はあどけなく、いたいけな幼童そのものだ。
だがその瞳は子供らしからぬ虚無を湛え、その名を唱えた瞬間に、昏く燃えあがる。
「ユグドは」
言葉とともに籠もる力が強まってイアンの奥歯が砕かれた。くぐもった悲鳴を漏らす男を意にも介さず。
憎悪は愛らしい少女の顔を無惨に歪ませる。
「──兄さんは、どこにいるの?」