第二章 その1 報酬
グアナという島がある。
千から二千km2ほどの島々が五つほど、円を描いて鎮座する諸島である。
その島々は全て凶悪な犯罪者を収監する囚人島だ。
もともとは炭坑や漁業で栄えた島だった。だが、鉱物は枯渇し、環境の変化によって漁獲量も激減して、島の人々の生活は困窮する。
そこに目をつけたのが、民間刑務所会社のひとつ、アージ社であった。
彼らはその島々をまるごと刑務所として運営を始めたのだ。反対していた島の人間たちは金を貰い余所へと移されて、そうしてグアナ諸島は囚人島となった。
そこには檻もなにもない。
罪人が自由に出歩いている。盗人が、詐欺師が、殺人者が、強姦魔が、自由に自由を行使している。ただ、その島からは出ることができないというだけだ。
アージ社はその島に規律などほとんど敷かなかった。故に、無秩序が島を支配するかと思えば──そこにはやはり、その島なりの社会が形成されていく。
強者が弱者を虐げる社会といえど。
囚人の島でありながら、そこは一つの国と化していく。
そして──グアナには様々な犯罪組織も集い始めたのだ。イタリア系、シチリア系、アメリカンマフィア、ヤクザ、華僑。人種ごとにいくつかの組織ができて、縄張りの線引きや、緩衝地帯なんかも作られた。
食い詰め者、借金に追われ、元の場所に居られなくなった者──そんな者達もやがて、この島に流れ着く。集積していく塵芥。
ゴミ溜めのように、塵と屑とが集まって、うずたかく地層を成していく。
無秩序と秩序とか危ういバランスで成り立つ──混沌の島が焼き上がる。
アージ社は、この島々を使い何か利益を得ることができないかと考えた。
世界中で持て余されている極悪人を受け入れることによる助成金。それ以外にも、もっと派手で、もっと金の集まる何かが無いかと考えて──
誰かが、囚人同士を殺し合わせてそれを配信しようと気の狂ったことを言った。
人権活動家、宗教法人、無論ただの一般市民にいたるまでが参加した、根強い反対運動を駆逐して、殺し合いの配信という商売が受け入れられたのは、誰しもがその狂気を本心では見たかったからなのかもしれない。
島にいる以上は囚人だ。労役の名の下に出場を強制され、駆り出されることになる罪人達。彼ら、外の世界で法を犯した凶悪犯罪者の命を賭けた殺し合いは、たちまち世界中で大人気となった。
スリリングで、ショッキングで。
吹き出す血、溢れる臓物、悲鳴と憎悪、すべてが無修正、ノーカット。
何の罪もない一般市民を恐れさせた犯罪者が、泣いて喚いて助けを乞い、それでも殺されていく様が、痛快だ。殴られ切られ抉られるその様、溢れる血の色。作り物にではないそれがリアルだという事実こそが背徳的な興奮を呼び、人々を虜にしたのである。
囚人同士にチームを組ませ、それを「家族」と規定した。
因縁を造り、因果を絡ませ、お涙頂戴を描いてドラマを紡ぐ。
さらに、バトルに金銭まで賭けることができるようになって、視聴者数は鰻登り。
胴元となったアージ社は、巨額の利益を得るにいたる。
そしてここに、囚人を命を使い捨てるビジネスモデルが完成した。
無論、それに出場させられる囚人にしても、無益というわけではない。
ユグドの目の前、机の上には分厚い二つの札束が置かれている。
グアナ諸島で流通する、食料、衣料、医療、その他諸々の引換券である。
レベッカたちと戦って一週間後のことだ。
「今回の報酬よ。視聴率は上々。よくやってくれたわ」
ユグドを前にして札束を乗せた机の向こう、上機嫌な様子でそう嘯くのは金色の髪を腰まで伸ばした四十がらみの女だ。その顔にはいまだ目立つ皺の一つもない、若々しく、生気に満ちた美貌に蠱惑的な笑みを浮かべていた。
アルシュ・ボスターニ。
アージ社から派遣され、囚人島の運営を任された、島における最高責任者である。
もっとも本人に言わせれば、しがない管理職でしかないということだが。
「あなたたちの戦い方は本当にいいわぁ。視聴者を愉しませてくれる」
「そりゃどうも。結構なことで」
報酬に手を伸ばす。これでしばらく、食い扶持に困ることはなさそうだ。
「あなたたちには励ましのメールもたくさん届いているわ。大人気よ。サオリに至ってはファンサイトまでできている。ちょっと覗いてみたけれど、なかなかに盛況よ」
「へえ。ファンサイトねえ。あいつのどこが、そんなにいいんだか?」
「華奢な身体とブルネットの髪。その組み合わせがたまらないそうよ」
ふふ、とアルシュが笑う。
「ちょっとしたアイドルね」
「……は。あいつが夜、包丁持ってうろついてんのは、ちょっとしたホラーだぜ」
苦笑して、ユグド。まったく世の中に物好きというのはいるものだ。
「サオリをパートナーに選んだのは正解ね。どう、あの子は?」
机に肘を乗せ、覗き込むようにアルシュが訊いてくる。人を観察する目だ。
「……よくなついている。異常なくらいにな。あいつは、なんであんななんだ?」
「さあ。狂人の心象なんて私には解らないわ。商売にさえなってくれればいい」
アルシュは首を振る。
「冷めてるねぇ」
「商品に感情移入はしないだけ。あなたもそうでしょう?」
それはまあ、その通り。
ユグドにとってサオリは都合の良い人切り包丁だ。なついているのならそれを存分に利用できる。
三日前の戦いで、その身体を使い、ジャクソンを引きつける囮にしたように。
サオリにとっては相性の悪い相手だった。実際、ジャクソンの行動がもう少しだけ慎重なものであったなら、サオリなど、あっという間に蹂躙されていたことだろう。
か細い体躯を嬲られ、犯されて、その様子まで放送されていただろう。
「あれも良かった。か弱い女の子が強姦されかける。あの瞬間の、視聴率の跳ね上がり具合はまったく、腹を抱えて笑い転げるところだったわ」
そう言って笑うアルシュに屈託無く、サオリが乱暴されかけたことに嬉々としている。
「ま、いつもだと飽きられるだろうけどな」
「ふふ。ちゃんと盛り上げる事を考えてくれる。だからあなたが好きなのよ」
そう言って微笑むアルシュに肩をすくめてみせる。
「今度、どこかで飲まない?」
「……いや、遠慮しとく」
四十五までなら十分範囲内だが、この女だけはどこか油断がならなかった。
「あら残念。……これからも、頼むわユグド。あなたはこのグアナの看板になりつつあるよ」
アルシュが立ち上がる。豊満な身体から、むんと薔薇のような匂いが香ってくる。
「んじゃ、まあ。また頼まぁ」
報酬を持参したバッグに詰めて、アルシュに背を向ける。と。
「ねえ、ユグド。あなたはいつ、本当の自分を見せてくれるのかしら」
熱い腕が背後から絡みついてくる。薔薇の匂いが絡みついてくる。
はぁ……と。耳元に熱い吐息。
「あんなものじゃないでしょう?」
耳朶に滑り込む声は濡れたようであった。
「あんなレベッカみたいな小娘に手こずるような、そんなあなたじゃないわよね」
その声に籠もるのは、魂を舐るような偏執であった。
「私は罪人のあなたをみたいのだけれどねぇ──」
アルシュの両腕が愛おしげにユグドの胸板を撫でる。
「……商品に感情移入しないんじゃなかったのか?」
「あなたは別」
なんとも都合の良いことである。
「買い被るなよ。あんなもんだ、俺は」
呻くように、答える。
「そう?」
「そうさ」
意味ありげなアルシュの笑みは消えない。 彼女はぱっ、と両手を離すと、
「まあいい。いずれを期待するわ。今のところあなたは、十分に私を満足させている」
と、ユグドから一歩距離を取った。
「……んじゃな」
そんな彼女に片手をあげて、退室する。
ドアを閉じるまで背中に注がれ続ける視線が、ひどく疎ましかった。