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髪を切る日  作者: ちわみろく
壊れた人魚姫
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居場所を見つけて

遠出をしようと茜から誘ったのは久しぶりの事だった。

 いや、ひょっとしたら初めてかもしれない。遠出には時間も費用も掛かるので、彼女は日帰り旅行などには自分から誘ったことは無い。

 だからとても驚いたけれど、嬉しかった。彼女の方からデートをしようと言ってくれたのは随分前の事だ。

「テーマパークのチケットを知り合いから頂いたんだ。一緒に行こうよ。」

「本当?日本にもそういうのあるんだね。是非行きたいな、いつにしようか?」

 パンフレットまでも持っていた彼女がそれをセイラの前で広げて見せる。内容を見て、世界各国に同じ系列のテーマパークがあることに気付いた。アメリカ、勿論ヨーロッパにも、そしてアジアやアフリカにも存在するそれは、親子連れでも恋人連れでも楽しめることで有名なアトラクションを売りにしている遊園地だ。

 鹿島からは少し離れているが、日帰りできない距離ではない。東京近郊の空港から近いその遊園地は、交通の便もいいためか、混雑しない日の方が稀だと言われている。

 今度の週末に行こうと約束してから、しまった、と思ったが後の祭りだった。

 週末には、鈴奈がようやく帰国する予定だと、昨夜寮長の土井から聞いたばかりだったことを思い出す。自分の予定表を見たセイラは青くなった。

 三か月ぶりに戻って来た姉を弟が迎えなかったら、彼女は怒るだろうか。

 しかし、茜とのデートも久しぶりながら、こんな遠出も京都旅行以来だ。なんとなくぎくしゃくしている二人の関係を元に戻すにはいい機会だし、姉に叱られてもいいから彼女とのデートを優先したいと思ってしまった。

 そう思ってから、ふと笑ってしまった。

 英国を出る時には、姉のもとへ行くことで頭がいっぱいだった。他の事は何も考えられないくらい、離れていた家族が恋しくて大切だった。

 なのに茜という恋人が出来てから、いつしか彼女を優先する気持ちの方が大きくなっている。

 鈴奈の事は大好きだし、今も彼女の役に立ちたい気持ちに変わりはない。

 それ以上に、茜を放っておくことは出来ない気がして。

 茜にはセイラしかいない。彼女には自分がいてあげなくてはならない、そう思ってしまえば、どうしても彼女を庇う気持ちの方が大きくなる。

 英国の侯爵家で孤立していた自分と同じように、茜には頼る人が他に誰もいないのだ。

 鈴奈には静流をはじめ、彼女を支える多くの人々がいる。そして彼女は立派な大人だった。

「へえ?今度ここに遊びに行くのか?アメリカにもあるんだよな、コレ。結局行けなかったけどさ。」

 同室になった流河が、セイラのベッドの上に置いてあるパンフレットを目敏く見つけた。 

「素敵な彼女が出来たら君も行ったらいいじゃない。僕も行くの初めてなんだよ、テーマパーク。確かこれのチケットって結構高いよね?」

「高いと思うなー。ちょっと勇気のいる金額だ。」

 印刷されている入場券や一日遊べるチケットの数字は結構な額になる。

 よくこんな高価なものをくれる知り合いがいたものだ、と逆に心配になるくらいだが、余り詮索するのも良くないだろう。第一寮には、それなりに稼いでいる人間もいるから、そういった知り合いがくれたのだろうか。茜の方がセイラよりも長くここにいるので顔が広いのは当然と言える。

 しかし、この時チケットの出所がどこなのかを茜に確かめなかったのは、大きな後悔につながったのだ。

「まあ、好きじゃない奴もたまにいるけどな。・・・正直、俺も一人では行く気がしねぇ。」

 それはセイラも同じだ。一人で行く度胸は無い。

 

 

 週末の朝、長距離バスを利用してテーマパークのゲートに辿り着いた時には、茜の顔は緊張に強張っていた。

 バスに乗った時から少し様子がおかしいような気がして、何度も茜に体調が悪いのかと尋ねたが、彼女は違うと言って無理矢理に笑う。

 彼女にしてはがんばっておしゃれをしてきてくれたのだろう。きっと新調したばかりのワンピースと、編み上げのブーツが細身の体に似合っていた。薄っすら化粧をしたあどけない顔も綺麗だった。

 薄い上着を羽織ったセイラの左腕に腕を絡ませて、入城門に向かって歩き出そうとした茜の表情が変わった。あの、何とも言えない、奥歯に痛いものを挟んだような顔だった。

 その表情は、セイラに言いたくないことが有る時の、隠し事がある時の顔だ。

 混雑する日が稀だというほどの人気のある遊園地の割には、ゲート前付近の人影がない。おかしいな、と思って辺りを見回した時だった。

二人の前に大きくて長い地上車が急停車する。大きなブレーキ音に、彼女に問いかけようとした言葉を飲み込んでしまった。

 その黒塗りの車から、三人の男が降りて来た。

 無意識に身構えたセイラが茜を庇うように彼女の前に出る。

 一目で外国人だとわかるスーツ姿の二人の男は、セイラを挟むように両側へ移動してきた。どちらの男にも見覚えのないセイラは、厳しい表情で睨み据える。

 そして、最後に顔を見せた小柄な中年男の顔を見て、青い眼を見開いた。

「ピーター・・・!!」

「お久しぶりですセイラ様。アーサー様が貴方の帰りを泣いてお待ちです。侯爵家へ戻りましょう。」

 淡々と語る口調は落ち着いた英語だった。

 幼い頃からセイラに護身術や武器の扱いを教えてきた侯爵家指南役ピーター・ジョンソン。彼の顔を忘れることなど出来ない。英国を出る時も、この男の目を盗むのが最大の難関だったのだ。

「僕は二度と侯爵家へ戻る気はない。」

 たとえ腹違いの弟が泣いていようとも、帰るつもりはなかった。

 あの広い屋敷で、孤独にさいなまれながら生きていくのは御免だ。屋敷の外へ出ることも滅多に許されない、外部の者との接触も出来ない。・・・セイラの味方などどこにもいなかった家になど到底戻れやしない。

 何故彼らが日本へ入国してきたのに知らせが来ていなかったのだろう。セイラが来日した時、鈴奈が各空港に監視の目を張り巡らせて、外国人が入国した時には知らせが来るようになっていたはずだ。そのくらい、彼女は侯爵家を警戒していた。

 その彼女は、今現在日本にいない。

 彼らが、鈴奈の不在に監視が緩くなったこの時を狙って入国してきたのだと悟る。

 しかし、それでも彼らがセイラの居場所を特定できたことが信じられなかった。

 日本は決して大きくはないが、外国人はとても目立つし、そうなれば必ず何らかの情報が入ってくる。そのくらい鈴奈が敷いた情報網は厳しいはずだ。仮にそれを抜けたとしても、何故、今日、単身で外出している自分を見つけることが出来たのかがわからなかった。

 この場所へセイラが来たのは初めてである。彼らがセイラの済み暮らしている鹿島へ来たと言うのならまだわかるのに。

「では、少々手荒くなりますが、ご容赦を。」

 ピーターが軽く手を上げる。二人のスーツの男が両側からにじり寄ってくる。

「どうして、僕の居場所を・・・!」

 その時一瞬だけピーターの金の瞳がセイラの向こうの影を映した。

 それだけで、わかった。わかってしまった。

 振り返ると、泣きそうに笑っている茜が立ち尽くしていた。眉根を寄せて、くしゃりと目を細めて、今に涙を溢しそうなのに笑っている。

「・・・あ、かね・・・?」

 セイラの声は掠れていて、ほとんど聞き取れない。

「ごめんねセイラ。でも、こうすればきっとみんなうまく行くって思ったの。」

 背に庇ったはずの、大事な茜。

 小柄で痩せていて、可愛らしくて優しい大切な恋人。セイラの、健気なたった一人の人魚姫。

「アタシもセイラと一緒に英国へ行けばいいって、そう言ってくれたの。そうしたら、お母さんの治療もしてくれるって。アタシ貴方と一緒ならどこへでも行くから。」

 愚かな事を。

 そんなことを侯爵家が認めるはずがない。セイラが侯爵家を嫌がって遠い日本まで逃げてきたのはそれだけの理由がある。

 駆け落ちして日本まで逃げて来たセイラと鈴奈の両親を引き裂き、父親とセイラを浚うように連れ去って侯爵家の屋敷に軟禁したのだ。そんな侯爵家が、どこの馬の骨とも知らぬ外国人の娘の面倒を見るなんて有り得る話ではない。

 騙されているのだ、彼女は。

「僕を、また、裏切ったの。」

「違うよ。英国に行けば、ずっと一緒にいられるでしょう?ティル侯爵家は大きな財閥なんだもん、アタシや母親の面倒くらいどうってことないって。そうしたら、もう二度と体を売ったりしないでセイラの傍にいられるよ。たとえアタシが捨てられる時が来ても、治療費と、最低限の生活の面倒は見てくれるって、そう約束してくれたから。」

 ああ、茜は、目が眩んでしまったのだ。

 英国有数の貴族財閥のティル家という名前に、完全に魅入られてしまっている。

 小娘を利用するためだけの方便だと言う事に気付くことさえなく、騙されているのだ。

「僕に一言でいいから、相談してほしかった。隠し事はしないって約束したのに。」

「だって、貴方は戻るの嫌がってるって言うから。」

「嫌がってるのを知っていて、僕をここへ連れ出したんだね?」

 掠れた呟きが、茜の耳に届く。

 セイラは両側から捕まえようとした二人の男の手を振り払ったが、逃げる間もなく正面からピーターに押さえつけられてしまう。

 指南役に体術で勝ったことは一度も無かった。彼の元を離れてから一度も鍛錬もしたことがない。ピーターに敵うわけがない事はわかっていたけれど、抵抗せずに捕まるのは業腹だ。

 小柄なのに異様に力の強い指南役は、セイラの抵抗をものともせず黒塗りの車へ引きずり込もうとする。

 ぶわっと風が噴きあげて金髪が舞い上がる。一瞬、その風の強さの余りに片手で顔を庇い、瞼を閉じてしまった。

 大きなエンジンの音と衝撃波のような大気の揺らぎを感じて、全身が強張る。この推進力の強い駆動音は、昔侯爵家で聞いたことが有った気がする。しかも、音は二種類あった。

「きゃーっ!」

 茜の悲鳴が聞こえた。

 顔を上げれば、黒いエアバイクが地上車の真ん前に垂直に降りたのが見える。それに乗っていたのは、黒いヘルメットを被った見た事のない細身の少年だった。

 少年は真っ黒なツナギ姿で単車を跳び下りてピーターに飛び蹴りを食らわせる。それを受けるために両手を交差した中年男は、僅かに後ずさった。

 両手を解放されたセイラが、慌てて逃げるように車から離れると、小さな爆発音が響き、セイラを追おうとした大柄な二人の男が足元を押さえて倒れる。消音機の効いた銃声だと知ったのは、後からの話だ。

「嬢ちゃん、セイラ!こっちだ!」

「流河!」

 地上に着陸したシルバーのエア・カーからドアが開いて、流河が顔を出していた。

 半ば無理矢理に茜の手を引き、友人の乗るエア・カーへと身を躍らせる。

 そして、さらに驚く。車内には、呆れたような顔をしている鈴奈の姿があったからだ。

「流河、ドアロックして外へ!捕らえなさい!」

「了解!」

 セイラと茜が車内に入った事を確認すると、彼は運転席から飛び出していった。

「・・・馬鹿な事をしたわね、吉行茜。」

「鈴奈様・・・!」

 泣き出してしまった彼女を、セイラはしっかりと抱きしめる。

 流河が単車の少年と共に侯爵家からの使いの三人を捕らえたと連絡がしてきたのは、ほんの数分後だった。



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