指導者の日
少し短めです。
催眠剤で深く眠っている草野蔵相親子を寝室に寝かせると、マドンナを守る貴緒達は機材を持ったままゆっくりと階下へ降りる。ほんの数メートルの高さを降りるのにも気を配る慎重さに、由良はテロリスト達の用心深さを感じた。
切れそうに端正な横顔がこちらを凝視して、手招きした。その黒服の長身が周囲を警戒しながら彼らを誘導する。
「…坂巻さん、その武器とか機材は荷物以外の何物でもないと思うんだけど、ここにおいていく訳に行かないのですか?」
「それは出来ない。」
小作りな坂巻の顔が怪訝そうに由良を見る。
「我々がここにいた証拠を残してはならないのだから、髪の毛一筋も置いていく訳に行かないんだ。」
「…わからなくはないですけど、そんなものを持ち運んでたらすぐ見つかっちゃうと思うんです。」
第一どうやって建物の外に出るのだ。由良が入った穴を広げても大人が一人ようやく潜れるくらいのもので、青年5人がかりの重装備を抱えて脱出など無茶もいいところである。
「どこかで始末しなくちゃならないのはわかってるが、ここではまずいんだよね。」
反論する由良に、畳み掛けるように返答する坂巻。それを低い声が制した。
「止せ、坂巻。そいつはさっき仲間入りしたばかりの新参者だ、相手にするな。」
ひどく馬鹿にされたような気がするが、逆らうのが面倒なので由良はそれ以上何も言わず黙って秀を見た。
由良は仲間になった覚えはない。彼らがどんな活動をしているのかも全く知らないし知るつもりも無かった。ただ余計なことを言ってこの怖い男の神経を逆なでしたくは無いだけなのだ。
黒いサングラスに隠れて見えない切れ長の目が、素早く鈴奈を見て指示を仰ぐ。
流河の言葉通り、いつも影のように付き添っている貴緒を背後に従えた、まだあどけない少女の顔を持つ鈴奈は、歯切れの悪い口調でのんびり言葉を吐いた。
「秀はあたしからもう離れないわね。連絡は秀にやってもらえばいいから…確かにそれは荷物だわぁ。ここなら爆発させても彼らは死にはしないでしょ。」
どうやらマドンナはこの場所で荷物を始末してしまうつもりらしい。「彼ら」というのは人質だった蔵相家族のことだろうか。
機材を床に置いて、指示に従おうと青年達が一瞬視線をマドンナから外した瞬間だった。
由良はどこかで四つ足獣の足音を聞いた気がした。
「危ないっ」
叫びながら壁の穴を飛び出す。
何も考えなかった。ほとんど条件反射の動きだった。
由良の背丈程の黒い何かが秀に飛びかかる。その一瞬に、由良は力いっぱい青年を突き飛ばした。次の瞬間にはすぐに立ち上がり、建物の前へと走る。
由良よりもわずかに反応が遅れた秀も直ぐに立ち上がり姿勢を低くして拳銃を抜く。
「痛っ!!」
黒いそれが今度は由良を襲った。中にいる鈴奈達に飛び掛かる危険を考えると、身をかわして避けることが出来なかったのだ。両腕を交差して得体の知れない敵への楯としたが、酷く左腕を傷つけられたようである。
「サイボーグ犬だわ。」
気力が失せるほどゆっくりした声で、鈴奈が暗闇に溶け込んだ敵の正体を口にした。
秀が発砲しているが相手を捉え切れていない。消音機を付けているので発砲するのはかまわないが、同士討ちにでもなったらどうするのだろう。
暗闇の中で、人間より遥かに動きの機敏な敵に照準を合わせるのが至難なのかもしれない。
「美夜子が言ってた番犬ってコイツの事だったのか…」
左腕を庇いながら後ずさる由良が呟くと、その背後へぶつかるように誰かが立った。
「怪我をしたな?初陣で無茶をしてはいけない。中へ入って貴緒に手当してもらうんだ。このサイボーグ犬は邸内には侵入しない様にプログラムされているはずだから早く行きなさい。」
「坂巻さん…」
優しく指示すると、坂巻は由良を押し込むように壁へ押し付けた。
建物内の証明で急に明るい光を浴びた由良が、目をしばたかせながらよじ登ると他の4人は機材をまとめて爆破の用意をしているのが見えた。その中の一人が左腕から血を滴らす彼女を見て慌てて近寄ってくる。日本人としても驚くほどに真っ黒な髪と瞳を持つ浅黒い肌の青年であった。茶色い、小さなリュックを背負っている。
「大丈夫か?」
背負ったバッグから、手早く包帯を取り出して由良の腕に巻き始めた。手慣れている。
「はい、ありがとうございます。」
それを目に留めた貴緒が声をかけた。
「あ、匠、私がやるわ」
鈴奈の傍らで外の様子を見ていた貴緒が、そばへ寄って来て匠と呼ばれた青年と交代する。
「おう、頼む」
手早く応急手当を済ませると、貴緒はにっこりと笑った。
「さっきの動き素早かったね。私では間に合わなかったよ。」
「……どうするんですか?この後…」
「鈴奈様が指示した通りにやるだけよ。機材と一緒にあのサイボーグ犬も始末するように、坂巻と秀にはちょっとがんばってもらわないと。」
番犬を撃たないのは、ひきつけるためだったらしい。
「マドンナ!できたぞ!」
浅黒い肌の青年の隣りで、黙々と作業をしていたスポーツ刈りの男が叫ぶ。こちらは匠と違って青年と呼ぶには少々無理のある年齢に見えた。30代の後半、あるいは40代に見える。
「坂巻、秀、こちらへ戻りなさい。」
茫洋とした表情と声のまま命じると、指導者の女性は貴緒の手当を受けていた由良の傍へ寄って来る。ごく自然な動作で彼女の後ろへ貴緒が戻る。その後ろへ、さらに先程の5人の青年が付く。そして建物の中へ初めて入る秀が続いた。
まるで、訓練されてるようだった。戦闘訓練を受けている、と言っていたのは、誰だったか。
彼らの動きに見とれる由良を正気に戻したのは、マドンナの言葉であった。
「貴方もこちらへいらっしゃい。一緒に爆発したいの?」
慌てて彼女の方へ歩み寄ると、由良の聴覚が、犬の咆哮を捉えた。一頭ではない。それがどんどん近づいて来ており、大穴の空いた壁の前に集まり始めた。
「たくさん呼んでくれちゃって…機動隊まで来ちゃったらどうする気よぉ?秀」
爆破のセッティングを確認しながら、鈴奈が始めて感情らしいものをこめて言った。
「ついでに始末出来る。」
例え指導者が相手であっても、秀の素っ気無い答えに変わりはなかった。
「他の出口は?」
「出入り口なんてモノはない。警備隊に囲まれていてもいいってのなら話は別だが。」
「役に立たないわねぇ…よく覚えておくわ。…今から他を探すの?」
「こんな事態になったのはあんたのせいだってことも忘れるなよ。美夜子に警備の手薄そうな場所を調べてもらっている。」
この秀に対して、他の誰にも真似できない手加減なしの酷評を述べる鈴奈。この男以外許されないだろう辛辣な口調で指導者に対して言い返す刃物のようなテロリスト。彼の兄は、マドンナには逆らってはならないと言ってなかっただろうか。
当事者意外の誰もが思わず鼻白むような厳しい意見を交わす二人を、部下達は恐々と見つめる。
自分がその手下になったという自覚が希薄な由良は、他人事のように客観視してしまっていた。随分とこの二人は浮いているんだな、などとのんびり考えながら。
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