海からやってきたあの娘。
「髪を切る日」番外編。
本編で登場するハーフの青年の初恋のお話です。
ゆっくり更新の連載予定で。どうぞお付き合いください。
黒髪のお下げが元気に跳ね返る。
そうしていつも楽しそうに笑っている彼女がとても好きだった。
よく日に焼けた肌は、いつも海へ行っているからだと笑う。いつも鹿島の海へ出かけているからだと笑う。
元々は漁師の家系だったのだと教えてくれた。素潜りも得意なのだと、薄い胸を張る。
一つ年上だけど、そうは見えなかった彼女は。
僕の正体を知ると豹変してしまったのだ。
知ってしまったが最後、もう彼女は元には戻らなかった。
以前の彼女はどこかへ行ってしまったらしい。変わってしまった彼女を、僕は許せなかった。
だから、僕は彼女を捨ててしまった。置いて行かないで、と泣く彼女を捨てて。
英国を逃亡同然に出国してきた僕を出迎えてくれた鈴奈は、会うのは数年ぶりだと言うのに嬉しそうに僕をハグしてくれた。
「セイラ、よく来てくれたわね。会いたかったわ。」
影のように付き添う後見人の叔父も、大きな瞳を細めて笑う。
「大変だったな。よくたった一人でここまで来てくれた。・・・向こうでお前の力になれなかったことを謝罪させてくれ。」
「静流のせいじゃないよ。謝ることなんて一つもない。こうして日本で再会できたのだから、僕はそれだけで充分嬉しいよ。」
空港のターミナルでの再会は三人だけ。
当時だから出来た身軽な行動に、今だったらびっくりするかもしれない。
葬儀にさえ出ることが許されなかった実の母の死後、叔父の静流は姪である鈴奈の後見人として日本に滞在し、ずっと彼女をサポートし続けていた。
彼女のカラーコンタクトレンズを入れた大きな瞳は自然過ぎて、とてもその色が人工のものには見えなかった。
実の姉である鈴奈はセイラと同じ青い瞳が日本人としては異質に映ることを鑑みて、常にこげ茶色のコンタクトレンズを装着することにしていたのだ。
沢渡鈴奈は、セイラの実の姉であり、彼同様にハーフだった。
だが、遺伝子のイタズラなのか、姉の鈴奈は極端に母親の日本人寄りの容貌に、弟のセイラは極端に英国人の父親寄りの容貌に成長していた。瞳の色が同じ青でなければ、誰が見ても実の兄弟とは思えないほど似ていない。
そして、生粋の日本人である母の弟静流は、鈴奈によく似ていて、とても童顔だった。
「今は鹿島という場所に拠点を置いている。セイラも最初はそこにいるのがいいと思うんだ。一緒に住んでいる方が寮の連中にも紹介しやすいし。」
やっと念願の母の国に帰ってくることが出来た。
英国のあの広い屋敷にはセイラの居場所など無かった。
新天地としてこの日本に降り立つことをどれほど夢見ていたことか。
「日本では空路を民間で利用することが出来るんだね。驚いたな。」
「そうね、英国では特権階級と公共機関のみですものね。・・・はっきり言うと、日本でも許可されているわけじゃないのよ。ただ、法の整備がそこまで行っていないの。だから無法地帯同然なのよね。」
「・・・それって、凄く怖くないかい。」
「運転するものの腕次第ってトコかしら。」
噂には聞いていたが、日本の奇妙な社会制度の一画に触れて少し驚いた。
合成人間がたくさん住まう国。
そして、人間である国民が二極化するばかりだという民族性。選民意識でいっぱいの階級と、排他意識の犠牲となった人々の群れ。
「本当に緑がないんだ・・・。」
エアカーの窓から覗く風景には自然の緑が全く見当たらない。
英国人は緑を好む。だから、山も森も少ないが平地には多くの緑が見られた。どこの家の庭にも緑が植えられ、果樹園のようにベリーが生っている。それを採取して手作りスイーツにするのが英国主婦の自慢だと言うのに。
セイラにとっては物珍しいエアカーが降り立ったのは、小さな海岸だった。
打ち寄せる波は穏やかで、潮風も心地いい。
「ごめんなさいね。自然らしい自然は海岸くらいしか見せてやれないのよ。」
少女のような声でそう告げた姉が砂に足を取られそうになっている。それを叔父が手を貸して救った。
「施設はここから近いんでね。軽く散歩してから、というのもいいかと思って。」
「そうなんだ。」
笑顔を浮かべたまま答えたセイラが何気なく海の方を見て、青い目を見開いた。
波間に人の姿が見えたのだ。
目の錯覚かと思って一度目を擦る。
次の瞬間には、海から上がり、砂浜に立ち上がった少女の姿があった。
海水から上がって浮力を失い急激な重力に引かれるようにわずかによろめく。しかしすぐに姿勢を正し、砂浜をゆっくりと歩いてくる。紺色の水着を着て、ブルネットを二つの三つ編みにして。その三つ編みから、水滴を滴らせながら。
大きく左手を上げて挨拶をしているようだった。
「静流さーん、鈴奈さーん!」
よく通る声が、ここまで届く。
彼女の声に応じて、姉と叔父が手を振った。
「今日は波が静かだから海に入っていたのね、茜。」
「はい。海底の泥を少し取って来たんです。それで」
近寄ってきた彼女が、言いかけた言葉を飲み込んだ。
鈴奈の傍らに立つ金髪の異邦人を見て、まるで言葉を失ったように口をあんぐりと開けた。
「今日から鹿島の施設に来ることになったセイラ・ティルよ。あたしの母と彼の両親が親友だったの。国に身寄りをなくしたのであたしを頼って来たのよ、仲良くしてやって。」
「へっ!ま、まー、なんだって日本なんかに・・・なんてもの好きな。」
初対面の少女に、セイラはいつものように愛想良く微笑んだ。
「どうぞよろしく。海から上がって来たので人魚姫かと思って驚いちゃったよ。茜・・・さん?」
お世辞なのにそうは思えないような口調で言う金髪の少年は、茜が赤面してしまう程に綺麗に見えた。
綺麗で育ちの良さそうな外見は、幼い頃に読んだ童話の王子さまのよう。
世間に受け入れられなかった過去を持つ茜には、その笑顔は眩しいほどだった。
「よ、よろしく。吉行茜です・・・。」
海水で汚れた手を差し出すわけにもいかず、茜どうしていいかわからずきょろきょろする。
そんな彼女がやけに微笑ましく見えて、セイラはまた優しく微笑んだ。




