崩れ落ちる日
貴緒を失ってから三日後、鈴奈は彼女の代わりに由良を連れて博多へ出かけていた。
かつての側近の代わりと言っても彼女のように出来ることは戦闘くらいしかない。コンピュータは扱えないし、乗り物の操縦は出来ない上に鈴奈の性格や習慣を把握していない由良には、到底貴緒の代理など務まるわけも無かった。彼女のように務まらない由良を責めることのない鈴奈だったが、隠すこともなく舌打ちやら溜息を聞かされるのはさすがに図太い由良でも中々にしんどい。
そして思うようにことが運ばないストレスが安西兄弟、特に同行している流河へぶつけられる。
「仕方ねぇだろう。由良は貴緒じゃないんだから、同じように出来ないのが当たり前なんだ。」
「そんなことわかってるわ。別に由良さんを責めてるわけじゃなくてよ。」
「代わりに俺をいびるんじゃねぇよ。」
由良は、シルバー・レッドの助手席で黙って二人のやり取りを聞いている。市長に会ってきた帰りだった。
その時、鈴奈の端末が震える。指導者はポケットからそれを出して、通信相手を確認した。
「あらセイラどうしたの。」
「一時間後に、衛星軌道から狙い撃ちされる!」
いつもの穏やかな青年が血相を変えて怒鳴っていた。
「え?」
「この、隠れ家が、衛星軌道から集束量子砲で狙い撃ちされるって!!今からじゃもう君に戻ってもらう時間はない。システムを移すことも出来ない。せめてデータだけを転送するから、転送先を教えて、鈴奈ちゃん!!」
「落ち着いて、セイラ。何があったの?」
「さっき見たことも無いアドレスから匿名加工のメールが来て、開いた番号へ問い合わせたら、合成音声がそれだけを伝えてきたんだよ。きっと、秀だ。危険を教えてきてくれたんだ!」
鈴奈は軽く目を閉じた。端末の画面で顔色を変えて説明する金髪の異邦人には、その数秒が恐ろしく長く感じた。
「ガセというのも考えられるけど、それにしては手間をかけすぎているわね。」
貴緒が殺されてわずか三日。秀と思しき人物を白服の中に見つけたのも三日前。ここ数日で、様々な事態が起こっていた。『施設』を公営化したいという地方公共団体からの申し出や、社会不適合者への支援団体の発足。以前から、鈴奈やその母が運動してきた提案が地方から少しずつ受け入れられているという動きだった。
また、海外から『合成人間』の製造についての調査受け入れ要求が厳しく突きつけられてきている。国内のみならず外国からの突き上げを食らうように世界中を回ってきた指導者の運動がようやく最近になって実を結びつつあった。
「指示を、鈴奈ちゃん!」
マドンナの大きな瞳が開くと、軽やかな声で命じる。
「付近の住民は…この時間には殆どいないはずだけど、一応避難勧告を出して。全国の施設へも通達し、念のため施設内に残っている人は指定の時間帯は一切施設の敷地内へ入らないよう勧告。」
「わかった。それから?」
「貴方と美夜子さんは、坂巻を呼んで避難して。ただ、もし出来たら、いいえ、是非やってもらわなくてはならないわ。量子砲で攻撃される様子をライブでそのまま載せられるメディアに流すのよ。」
「危ないな。でも、やれるだけやってみるよ。持ち出す荷物は?システムはいいの?流河の温室はどうする?」
「システムのことは心配しなくてもいいわ。流河に変るわね。」
鈴奈の小さな手が端末を運転手に手渡す。
「部屋のベッド下にあるアタッシュケースだけ持ち出せ。お姫様にはちょっと重過ぎるんでね。後は美夜子に任せてくれ。」
「由良ちゃんは?美夜子ちゃんに任せていいの?」
今度は大きな手が端末を由良に手渡した。少し躊躇した後に、由良が受け取る。
「美夜子に任せてくれれば。あ、あと、サーベルのメンテナンスキットを。それ、だけ、です。」
何かを言い残したような言い方だったが、それ以上は一言も発せず由良の手から端末が指導者へ戻った。
「セイラ、嘘つきは泥棒のはじまりよ?」
鈴奈は可憐な声でそう言うとくすくすと笑った。
「随分な言われようだね。時間内に全て出来るかわからないけど、出来るだけのことはやってみるよ。」
「ええ、こちらも早めに戻るようにするわ。貴方と美夜子さんの避難先は後で教えてあげるから、今は持ち出せるものを一端横浜か川越へ動かして。」
「了解。」
画面からふっと青年の顔が消える。
「聞いたわね、流河、由良さん。一度博多支部へ寄ってから東京へ戻るわよ。」
一瞬であの隠れ家だった三階建ての建物が消える。
指定された時間ちょうどに発射された量子砲が、東京支部の隠れ家を塵にしてしまったのだ。幸い、付近への余波は殆どなく、敷地から少しもその被害がもれた様子は無い。
「さすがナサの軍事衛星ね。誤差も無く見事に命中か。」
端末の画面でその様子を見ていたマドンナが感心したようにぽつりと呟いた。
「おかげで他への被害が無くて助かったけど。」
博多支部の施設でその様子を見つめていた由良は呆然としている。
この世界へ来てからずっとあそこで生活していた。自分の部屋もあった。もはや家と言ってもいい場所だったのに。あの一見廃墟ビルのように古びて見せていた隠れ家が、由良と美夜子の居場所だったのに。
あそこの地下室でもう鍛錬することが出来ない。いつもセイラがいてくれる食堂がない。ガレージと温室のあった屋上がない。
コーヒーを飲ませてくれた秀の部屋も。初めてキスした玄関ホールも。最後に秀と別れた私室も。
秀さんの手袋が。
頼もうかと迷った末、言えなかった。美夜子にもセイラにも持ち出してくれるように頼めなかった。
本当にもう彼がいた形跡がなくなってしまう。由良が知っている彼のいた場所の全てが塵になってしまった。
秀は本当にあそこにいたのか、段々わからなくなってしまうような気がした。
秀さんの過去を知らない私には、思い出の殆どがあそこにあった。
悲しいのか、寂しいのか。喪失感があるのは確かだったが、該当する感情がなんなのかよくわからなかった。このごろ、そういう事が多い。感情が昂ぶっている自分を冷静に見ている自分がいる。それがなんなのかわからない自分がいて、どうにも捉えようが無い。悔しかったり怒ったり寂しかったりするのは確かに自分なのに、由良の意識はそこから時々離れてしまう気がした。麻痺してしまっているのかもしれなかった。
元来感受性の強い由良なのに、遠くにいるような気持ちになる。自分が自分から遠い気がするのだ。
「おい、戻るそうだ。乗れよ。」
流河に軽く肩を叩かれて飛び上がるように驚いた。
「はい。」
促されて、駐車場へ歩く。戦闘服姿の大きな背中を追いかける。
「これが新しい隠れ家よ。今、場所を入力しておいたから、それをセイラにも転送して頂戴。」
シルバー・レッドの中には既に鈴奈が乗り込んでおり、運転席に座っていた。
「この場所は、この間俺が鉢を持っていた所だぞ。」
「そうよ。すでにシステムの移行も済んでいるわ。貴方の温室は移すことが出来なかったけど、データとモノさえあればまた作れるでしょう。」
「あんたはこうなることを予測していたのか?」
「予測じゃなくて予防措置と言って欲しいわ。何かあってもバックアップを取って置く事を忘れないようにしているだけよ。そうすることを薦めてくれたのは貴緒だけど。」
マドンナの言葉の最後にだけ、ほんの少し感情が含まれている気がした。
大切な鈴奈の側近だった貴緒。指導者が誰よりも重んじて大切にしていた彼女はもういない。同様に彼女を愛していた刀麻は今頃どうしているのだろう。簡単な葬儀を済ませた後にはすぐに診療所へ戻ったと聞いている。
『心は刀麻に。命は、鈴奈に。この身を分けられないからそう思って欲しい。』
今貴緒の心は刀麻のそばにあるのだろうか。貴緒の命は鈴奈のもとにあるのだろうか。そのいずれをも宿していた肉体は葬儀の際に跡形も無く焼いたという。
貴緒さんは、刀麻さんのことも鈴奈さんのことも同じくらい大切だって思っていたってことなんだ。
きっとそういう形の愛情もあるのだろう。由良自身にも身に覚えがある。秀を好きだと思っていても、美夜子のことが心から離れることは無かった。秀にとってそれは許せないことだったのかもしれない。彼はとても寂しがりだったから、由良が他の誰かを思うことが許せなかったのだろう。彼には由良だけが理解者だった。もっとそばにいてやればよかった。もっと彼にしてやれることはなかっただろうかと後悔してしまう。
だからこそ美夜子には後悔しなくて済むように出来ることをしてあげたかった。流河という恋人がいる彼女には、親友の存在などうっとおしいだけかもしれないけれど。
いつのまにか秀が遠い存在になっていることに気がつく。ずっと傍にいてくれたのに。ずっと守ってくれていたのに。もう過去の存在にしてしまっている自分は薄情だと思ったりする。
そうしなければ、白服を着た彼を目の前にした時の不安に押しつぶされてしまうから。
ゆっくりと発信したシルバー・レッドの窓からぼんやりと外を見つめながら、由良は美夜子の無事を祈っていた。
「どうやってそんな情報を手に入れたの?」
セイラは性急に尋ねた。たった今伝えられた情報が本当ならば一刻の猶予もない。端末の画面には誰も映っていなかった。映像のない状態のブラックアウト画面だ。
「避難出来る今のうちにした方がいい。」
通話相手の合成音声は年齢は愚か性別さえわからない。
けれども、セイラは確信していた。
隠れ家が衛星攻撃されることを予告してきたこの相手は間違いなく秀だと思っていた。
「ねえ、戻ってこられるんでしょ?」
相手は何も応えない。
「戻ってきて。早くしないと、由良ちゃんが壊れるよ!君が消えてからどんどんおかしくなってしまっているんだ。君の大事な彼女がそんなことになってるのに、どうして戻ってきてくれないのさ!?」
やはり応えはない。
「君が今どこで何をしててもかまわない。鈴奈ちゃんがなんて言ったって、僕がかけあって君の身の安全を保証する。だから、すぐに戻ってきて。由良ちゃんのために戻ってきてよ。」
「ナサの狙撃は正確だ。直撃を避ければ付近への被害もほとんどない。」
「秀…頼むよ。お願いだから、帰ってきてよ。」
「これ以上の通話は傍受される。」
それからぶつっという音がしたかと思うと、通話が途切れてしまった。画面が元に戻り、セイラは慌てて操作してメールを確認した。匿名加工されたメールが消えている。
アドレスを匿名加工し、受信と同時に指定の通話へ自動的に移行するプログラムなど、セイラにはとても作成できない。そして通話終了と共にメールまで自動的に消去することまで仕込んであったとは。録音機能も働いていない。
この端末も鈴奈に見てもらわなくてはならなかった。セイラにはとても痕跡を探し出すことは出来ないが、彼女ならばなんらかの手がかりを見つけられるかもしれない。
慌てて指導者へ連絡を取った後、美夜子に知らせて持ち出せる荷物をまとめてもらった。
「いかにもあやしいわね、そんなの。本当にガセじゃないのかしら?」
美夜子は半信半疑のようだった。
「鈴奈ちゃんの指示があるんだから、ガセでもそうでなくてもとにかくやっておかなくちゃ。」
「そうね。後で、あたしにもあなたの端末調べさせてくれる?」
「いいけど…鈴奈ちゃんの後で、だよ?」
「わかってるわ。」
限られた時間の中で持ち出せるものはそう多くは無かった。坂巻信彦に来てもらって、地上車へ荷物を積んで川越の倉庫へ運んでもらうように頼む。
刀麻にも連絡したが、手術中で取り合ってもらえなかった。彼の私物はそれほど多くないので問題ないとは思うけれども、貴緒との思い出の品などが保管してあったら運び出してやりたかったのだ。
予告された砲撃時刻の5分前になって、刀麻が白衣のまま診療所からやってきた。
「刀麻、よかった。事情は聞いてるね?」
「俺は特に持ち出さなくちゃならねぇもんはないよ。それより、流河の温室とマドンナのシステムは。」
「鈴奈ちゃんが大丈夫だって言うんだ。君は、貴緒ちゃんの私物とか、いいの?」
「ねぇほうがいい。見ると思い出しちまうから。」
苦虫を噛み潰したような顔で刀麻が呟いた。
「…そうか、な。」
セイラには彼の辛さを察することは出来ても共感することは出来ない。刀麻は貴緒の死を乗り越えようと必死なのだ。彼が泣く姿を見ることは無かったが、鈴奈以上に嘆いているのは間違いなかった。一度は結婚まで考えた大切な恋人の死が、刀麻にとって軽いわけがない。たとえ、普段から人の生死に直面する医師と言う職業であったとしても、彼に大きな打撃を与えていないわけは無いのだ。
ただ刀麻はそれを周囲に見せることを拒否している。きっと誰も見ていない場所で、ひっそりと心行くまで泣くのだろう。
「中継する方はどうなんだ、準備できてるのか?」
「うん、美夜子ちゃんが機材をそろえて…ほら、あそこで待ってる。行こう。」
隠れ家から20メートルほど歩いた先で、ノートタイプの端末を手にこちらを見ていた。今の時間帯は付近の住民がほとんどいないため、彼女が堂々と通りに立っていても気にとめる者もいない。勿論警戒はしているが、心配なさそうだ。
「2分前から流し始めるわよ?」
少女の傍らへたどり着いた二人の青年に、確認をする。
「うん、それでいいかな。」
金髪の青年は緊張に強張った表情で頷いた。
新しい隠れ家の建物に入ったセイラは、既に中にいた鈴奈と流河に手を上げて挨拶する。前よりも少し狭い玄関ホールの内装をきょろきょろ見渡しながら、伴って連れてきた美夜子の方を振り返る。彼女は流河の方へ駆け寄って行った。
「荷物は部屋の方へ置いて。どうかしら、以前の隠れ家とそんなに変わらない間取りでしょ?」
「うん。よくこんな所見つけたね。」
「システムはもう設置してあるの。データを起こすのなら部屋を教えるからいらっしゃい美夜子さん。」
自分の端末の画面を見せて、美夜子にその場所を知らせる。美夜子はそのまま頷いて階段を登って行った。
「俺の鉢は?」
先に到着しているはずの鉢植えを気にして、流河が聞いた。
「屋上にガレージがあるのも同じよ。そこに入れておいたから。」
こういった細かい説明なども皆鈴奈自身でしなくてはならない。少しイライラしたが、今はもういない側近をどんなに惜しんでも仕方が無かった。煙草を吸いたいと思いながらも思いとどまる。
「由良ちゃんは?」
指導者の苛立ちを察したのか、セイラはくすっと笑って肩にかけていた荷物の中から鈴奈が好む煙草と携帯用の灰皿を取り出した。一本咥えた彼女に、火を点けてあげると、彼女はその童顔を嬉しそうにほころばせた。
「彼女たちの私室になる部屋へ行ってるはず。二階の奥。まだロックはかけてないわ。」
「そう。ちょっと行って来る。セキュリティは今日中に僕が設定するよ。」
セイラは二階へ階段で向かった。
ドアは開いたままだった。壁を軽くノックをして来訪を知らせる。
「セイラ。大丈夫だった?どこも怪我は無い?美夜子は?」
金髪の青年を見つけると焦ったように駆け寄ってきた。戦闘服のままの彼女は心配そうに見上げてくる。
「マドンナとシステムを調べに行っているよ。大丈夫、なんともない。後で荷物を運び込んであげるね。」
「ありがとう。よかった。凄くびっくりしたんだよ。大変だったね、何も手伝えないでごめんね。」
セイラがジャンパーのポケットに手を入れた。
「これ、持ち出してきたんだ。何も言われなかったけど、美夜子ちゃんは知らないみたいだったから。」
彼の白い手に乗っていたのは、黒い合成皮の手袋だった。
「迷ったんだけど、捨てるのならいつでも出来ると思って。」
セイラの脳裏に刀麻の言葉が甦る。
『ねぇほうがいい。見ると思い出しちまうから。』
由良に取っては消えてなくなったほうがいいかもしれない、秀の残して行ったもの。
それでも、秀は死んだ訳ではない。どこかで必ず生きているはずだ。そう考えると希望を捨てるのはまだ早い。
両手で手袋を恐る恐る受け取った彼女は、ゆっくりとそれを握り締めた。
「ありがと、セイラ。」
「よかったのかな、これで。」
「私も迷ったんだ。頼もうかどうしようか。でも、言えなかった。これでよかったのかどうかは私にもわからないけど、少なくとも今は嬉しいと思う。貴方に、感謝しているよ。」
戸惑ったような表情で胸に手袋を抱きしめる。
「辛い、ね。」
掠れたセイラの声が、上から降ってくるように聞こえた。
「私なんかより、刀麻さんや鈴奈さんのほうがずっと辛いはずだよ。」
「でも、君だって辛い。」
「そんなことないって。」
「ね、手袋はめてみて?少し大きいって言ってたけど、多少なら調節効くかもしれないよ。」
「そうかな?うん。」
黒い合成皮の手袋に指を入れる。指先が露出するタイプのそれは、それほど緩いとは感じなかったけれど、手首だけが少し余ってしまっていた。
「大丈夫そうじゃない。ここだけなら、ボタンを移動すれば調節出来るよ。」
「秀さんは指も細かったから。」
「そうだね。彼は本当に細いからもっと食べさせたかったんだけど…。制限食しか食べなくて。」
手袋をはめた由良の両手をそっと包むように、白い手が優しく握った。
「小さい手なんだね、君は。よくこんな手でサーベルを振るえる。」
「小さくないよ。セイラや流河さんが大きいんだよ。美夜子や鈴奈さんはもっと小さいよ?」
秀の手袋をした由良の手を大きく包むセイラは温かい。優しい青い瞳が覗き込むように見下ろす。長い金髪がはらりと肩から落ちた。
これが、今の、僕の気持ちだ。
何かを尋ねるような目で見上げた由良に、もう一度彼はやさしく笑いかけた。
「さて、手が空いたら君にも手伝ってもらいたいことが山ほどあるよ。荷物の運搬にセキュリティシステム設置の配線。今日は大変だよ。終わるまで寝られないからね。」
「うん、わかった。出来ることはなんでも言いつけてね。」
屈託無く笑って答えた由良は、はめていた手袋をはずして戦闘服のポケットに突っ込んだ。
まだ何も揃っていない会議室にテーブルを置いて、その上でセイラの端末をいじっていた鈴奈が、軽く眉を上げた。
「このキャッシュに、新淡路、という言葉が残っているわ。」
「え?」
「匠から、先週も知らせがきていたのよね。」
「知らせ?」
「微弱な地震が、増えているんですって。」
「どういうこと?」
「わからないけど、何かがあるんでしょう。」
「何かって。」
「さてね。」
何さ?と眉毛を下げて尋ねる金髪の青年に、鈴奈は素っ気無い返答を与える。端末のそれ以上の分析を諦めた彼女は、小さく溜息を付いて彼の端末を返した。
「ここ数年大きな地震は国内にも海外にも観測されていないわ。確か、あの新淡路島が隆起した地震が最近では一番大きなものだったはず。」
「またどこかから島が出来るってこと?それとも火山の噴火が起こるとでも?」
「あたしにそんなことわかるわけないでしょ。ただ、もうそんなに時間は要らないのかもしれないわ。だってね、セイラ。」
「なんだい?」
「新しく隆起した島には、新しい土があったわけよ。フィメールによって汚染されていない新しい土壌が存在するの。埋め立ててしまっているから表面には土は出てこないけれど、少しばかり掘り起こせばそこから芽を出す植物があるはずだわ。」
「もしかして、匠はすでに。」
「掘り起こして、例の種を蒔いているのよね。ここに大気と、水と光が加われば、芽吹くことは間違いないはずだわ。流河の作ったプログラムによって成長の早くなったあれが花を付けるまでにそう何日も必要ないと思うのよ。」
「地震によって緩くなった地盤が、表面の埋め立てた地面を壊してそこから大気と光が入り込む。一度芽吹いてしまえばもう成長を止められない、ということ?」
「果たして、国会を治めるのに躍起になっているフィメールが、地震で弱くなった地方の地盤のことまで注意が行くかしらって所なのよ。外国に頼み込んでまで衛星攻撃を行ったから、ひょっとしてもう種は存在しないとたかをくくっているのかもしれないわ。」
「クローンとは言っても元は人間だ。完璧ではないから、判断が鈍ることもあるそれは今までにも証明されている。だから?」
地殻変動のもたらす影響について思い至ったのは花粉という言葉が刀麻の口から出たときからだった。
現在の国土では育たない。陸上にある土壌が全て汚染され植物が一切育たない状態にしたのはフィメールだろう。
その理由も今ならば頷ける。クローニングや合成人間製造にまとわりつく、ある種の脆弱さからはどうしても逃れられないからだ。
花粉というアレルギー物質が存在するために、クローン達は致命的な危惧を抱えながら生き延びることを良しとしなかった。そして、クローン製造における過程から原因を取り除くことを諦め、原因物質を撲滅することを選んだのだ。だが、それだけでは不完全だった。あくまで国内にのみ限定してのことだから、外国からいつそれらの原因物質が舞い込んでくるかわからない。だから彼らは表立って行動することが出来ないのだ。
影から国を動かす。暗躍することでしか彼らは思い通りには出来ない。
オリジナルである素体があれば、製造における原因を取り覗く研究も可能となる。そのためにも、フィメールは美夜子が必要なのだ。そういう意味では、フィメールに取っても美夜子と由良の出現は待ち焦がれたものだったのかもしれない。
計算外にも、原因物質まで持ち込んだやっかいな存在が彼女に付き従う。死体となっても辞さない覚悟で美夜子の身体を採取しようとするフィメールから、身を挺して守り続ける面倒な存在が、その親友だった。
日本中のどこかで起こる地震によって、新しく地表に現れる土壌に希望を見つけたのは、恐らく偶然ではない。
美夜子と由良が数百年を越えたという出来事の際には大きな震災がったのだと言う。
人類や動植物に取って時に絶滅の危機さえ危惧させる地殻変動が、味方をしてくれるのだ。利用しない手は無い。
「君がこんなに何重にも手を打っていたなんて驚いたよ。まるで何もかもを予期していたみたいだ。」
「予期していたのは、あの二人の出現だけよ。他はそれに付随するただの推測から手を打っていっただけ。」
何より驚いたのは美夜子の正体ではなく、由良が種を運んだという事実だ。そしてそれが発覚したタイミングの良さ。まるで仕組まれていたように。
こんなことを仕組めるわけがない。神様だってこんなことを計画出来るだろうか。
由良が死に掛けるような大怪我と種を運ぶ場所が偶然に一致する。万が一彼女が命を落としていたら、種はそのまま彼女とともに滅びるだけだっただろうに。
新淡路で植物学博士が作成したデータを読み取ることが出来たからこそ、この種の価値がすぐにわかったのだ。これ以前に種を発見したら、ただの異物として処分されてしまっていただろう。
天はこちらに味方しているのか。
それは喜ぶべきことだった。
つまらない。
そう思えば思うほど空しいと感じるのは、貴緒が傍にいてくれないからなのだろうか。
「刀麻はどうしているのかしら。」
「また診療所に戻ったよ。仕事が立て込んでるんだって。多分、忙しくしていたいんじゃないかな。」
彼ほどの優秀な外科医ならば忙しくて当然だし、外国からも年中お呼びかかかっている。それでも刀麻が日本に固執していたのは貴緒がいたからだった。
「そう。今に、彼もあたしの元から去っていってしまうかもしれないわね。」
「どうしてそんなこと言うのさ?」
「あたしに会えば貴緒を思い出すからよ。そういう所は由良さんと一緒だわ。考えたくないなら考えない。思い出したくないなら思い出さないようにする。悲しみに浸ったり落ち込み続けるなんて馬鹿な事はしないわ。」
「鈴奈ちゃん。」
暗に刀麻の思いを口する。鈴奈に従ってきたのは、鈴奈のためではなく、ましてや日本という国を作り直したいなどという革命的な思想からでもなく、愛しい恋人の傍にいたいがためだったのだと指摘する。
「ねぇセイラ。貴方だってそうでしょう。本当はフィメールのことなんてどうだっていいはず。貴方には帰る場所がある。貴方があたしに従うのはただ…。」
「確かに僕は母親の仇を討ちたいなんて思っていない。僕が日本に来たのは君の役に立ちたかったからだ。」
くすっとまた笑った鈴奈がテーブルから降りた。
「嘘吐きね。どろぼうの始まりよって言ったじゃないの。正直になるのは悪いことじゃないわよ?」
「本当の事なのに。どうしてそういう事言うのさ。」
心外だとでも言いたそうに、セイラは軽く口を尖らせた。
「あたしは我慢なんかしなかったわ。貴緒が欲しかったから手に入れて、彼女の気持ちも考えずずっと傍に置き続けた。それには少しも後悔していない。彼女の短い人生の殆どの時間を一緒に過ごせたことは何よりも幸福なことよ。少しだけ、ほんの少しだけ、刀麻には悪いと思っているけれど。」
「貴緒ちゃんだって後悔なんかしてないと思うよ。彼女だって君を慕っていた。君に必要とされることに至上の喜びを感じていただろう。刀麻には悪いと思っていただろうけどね。」
「じゃあ貴方もそうしなさい。誰かに悪いと少しだけ思って、思うままに生きなさい。後もう少しで、貴方は解放されると思うわよ。」
「他の誰かじゃなく、自分が悪いと思うようなことはしたくないだけなんだ。」
大きなうす茶色の瞳がセイラを見上げた。小さな手が、彼の両手をとってそっと握る。
「馬鹿ね。」
「そうさ。」
反論する気も無いのかそう答えて小さな手を握り返した。握った手も握られた手もとても白い。大きさこそ違えど、その肌の色は不思議によく似ていた。
読んでくださってありがとうございます。




